015話 風は、告げていた


 “人混み”と呼ぶに相応しい数の冒険者たちが、コラの冒険迷宮ダンジョン浅層を進んでいた。


 パーティーごとに塊となり、数珠つなぎのように不揃いな列をなしながら、中層を目指して歩を進めている。その先頭集団からやや後方、俺たちは比較的静かな位置を確保していた。


 隣を歩くカナリアが、きょろきょろと周囲を見回しながら言った。

「ぎょーさんおるな。これ、みんな冒険者なん?」

「ああ、そうだ。みんな魔法協会の緊急依頼を受けた連中だ」


 俺も緊急依頼を受けるの久しぶりになる。


「緊急依頼って、協会が自分で出すやつやったっけ?」

「ああ。協会が自前で出す依頼だから、手数料もなしで報酬が高いんだ。それに加えて、中級昇格にも有利だって話だ」

「へぇ、ほんまに特別扱いなんやなあ」


 すでに中級冒険者である者にとっても、魔法協会へ恩を売る機会となる。

 協会は支部ごとに色が濃く、支部長や副支部長の裁量も大きい。その縁を持つことが、今後の依頼やトラブル時に強力な後ろ盾となることは間違いない。


 俺たちのすぐ後ろを歩くクロウェアが、肩越しに人の波を見やりながらぼやいた。

「随分と賑やかね……ここ、迷宮の中なのよね?」


 どこか呆れを滲ませた声音だ。その隣では、クイナが鼻を鳴らす。

「ふん。数ばかり揃えてもな。で、誰がこの集団を率いてるんだ?」


 どうやら、俺たちが緊急依頼の指揮を執ると勘違いしていたらしい。

 そんなのは御免だ。冒険者の集まりとは言っても、面識もない連中の上に立つ気などさらさらなかった。


「副支部長の話だと、今回は“闘犬”リンゲルマンがリーダーを任されてるらしい。古参の中級冒険者で、腕っぷしには定評がある」

「二つ名持ち、ね。なるほど、それなら悪くないわ」


 クイナは腕を組んだまま、満足げに頷く。相変わらず上から目線な態度だが、前回の調査時からしても、それが性格の“素”なのだろう。


 もっとも、俺も徐々に慣れてきた。冒険者というのは得てして癖のある連中ばかり。

 態度が大きいのも、それだけ見ている場所が高いのだと解釈すれば、理解できなくもない。


「もうすぐ中層だってのに、この様子じゃただの散歩ね」

 クロウェアが皮肉混じりに言えば、カナリアが笑って、

「せやなー。らくちんやわー」

 と、両手を後ろで組みながら肩を揺らす。


 先頭を行くリンゲルマンのパーティーが道を切り開き、現れる魔物を蹴散らしているおかげで、俺たちは戦闘らしい戦闘もなく中層へと迫っていた。

 この恩恵を受けているのは、後続のパーティーも同様だ。


 特に浅層は道幅が狭く、分岐も少ないため、魔物との遭遇は真正面からになることがほとんどだ。その性質上、先行パーティーが強ければ後続はぬるま湯を歩くようなものとなる。


 緊張感のあった空気は徐々に霧のように薄れ、今や周囲には笑い声すら飛び交っていた。


「ははは、調査系の緊急依頼ってマジで楽だよな」

「この前の依頼なんて、ただ空洞を歩いて魔石拾っただけで銀貨が貰えたぜ」

「毎月こんな任務が続きゃ、下手な商売より稼げるな」


 気楽な言葉ばかりが耳に入ってくる。

 おそらく彼らの多くは、地上での仕事をメインにしている冒険者だろう。

 日常的に迷宮に潜っているわけでもなく、ここで起きている異常の本質もわかっていない。ただの“臨時収入のチャンス”くらいにしか見ていないのだ。


「緊急依頼の範囲って中層までだろ? そんなん朝飯前だわ」

「この前の地上の依頼で遭遇した飛竜ワイバーンの方がよっぽど怖かったしな!」

「逃げ切れたのはマジ運だったよな」

「違うね。あれは俺たちの連携の勝利ってやつさ!」


 そんな明るい会話を耳にしながら、俺は無意識に足を止めていた。


 目の前には、黒々とした中層の闇が口を開けて待っている。


「……言ってられるのも、今のうちだ」


 小さく、独り言のように呟いた。

 果たして、この中でどれだけが“帰ってこられる側”に立てるのか。


 彼らはまだ知らない。

 緊急依頼とは、報酬の高さと引き換えに、命を賭ける仕事であるということを——。


 §


 普段は闇に沈む中層——。

 だが今は、浅層すら霞むほどの明るさで、その空間は照らされていた。


 各パーティーの後衛職が魔法や魔法道具を駆使し、視界を確保しているのだ。

 カナリアもまた、その光源の一翼を担っていた。


「うちの光、なくてもいけそうやけどなあ」

 と、軽口を叩くカナリアに俺は静かに返す。


「……と、みんなが思ったらどうなると思う? その隙に、死角に潜んでた魔物に襲われたら?」


 それは実際にあった話だった。


 かつて、複数のパーティーが合同で中層を進んでいたときのこと。

 最前列を行くのは一流の冒険者たちで、彼らの魔法使いが放つ明かりは強力だった。

 その明かりを頼る後続のパーティーたちは、やがて自前の光源を持たずに進むようになった。

 ——慢心と油断。

 そして突如として襲った奇襲。

 明かりを操る魔法使いが最初に殺され、迷宮は闇に閉ざされた。


 その暗闇の中、魔物は知恵をもって動いた。

 後衛を、光を扱える者たちを狙い、的確に殺していった。

 後衛が倒れれば、光が絶え、戦闘力を持つ前衛もまた闇に沈む。

 生還者はほんの一握りだった。


 以来この話は、「他力本願は死を招く」として冒険者のあいだに語り継がれている。


 そんな背景を知る俺の真剣な眼差しに、カナリアは肩をすくめて、

「じょ、冗談やんか〜……。うち、ちゃんと魔法出し続けるさかい……」

 と、肩をすくめてみせたが、軽口の裏にわずかな緊張が見えた。


 だが俺は笑わない。

 冗談では済まない場所に、今俺たちは足を踏み入れている。


 俺はふうとひとつ息をつき、それ以上は追及せず黙った。


 ——そのとき、前方のパーティーがざわめいた。

 敵の気配かと身構えるも、違った。

 人混みを割って、一人の人物が前線から戻ってくるのが見えた。


 その姿は、まるで死地から戻ったばかりの戦士のようだった。


 ただの冒険者ではない。

 その装備と雰囲気からして、あれは————探索者シーカー

 迷宮に生き、迷宮で死ぬ者たち。


 薄闇の中を、その探索者はゆっくりと歩いてくる。

 黒い軽鎧とフルフェイスの仮面に包まれ、肌の一欠片も覗かせてはいない。

 息遣いだけが、重く静かに響いていた。

 その姿は、無機質な戦闘人形のようでありながら——獣のような熱を孕んでいた。


 「……フーッ……フーッ……」


 フルフェイスの下から漏れる呼吸は、荒く、それでいて力強い。

 魔法の光に照らされたマスクの奥、その眼だけが異様な輝きを放っていた。

 ギラギラと血走り、まるで獲物を値踏みする肉食獣のそれだった。


 俺たちも自然と道を譲る。

 誰もがその威圧感に抗うことができず、ただ静かに、通り過ぎるのを見守っていた。


 ——だが、探索者は俺の前でふいに足を止めた。


 すれ違いざま、不意に視線が合った——ような気がした。


 探索者は俺の目の前で足を止め、フルフェイスが静かにこちらを向いた。


「……その目、まだ死んじゃいないな。戻ってきたんだな、“紫電”」


 くぐもった声。

 フルフェイス越しにしては、妙に明瞭だった。

 そしてその口調からは、俺の名を知る“確信”が感じられた。


 ――誰だ……?


 だが、俺にはその声にも姿にも心当たりがない。

 顔も、性別すらも分からない。

 ——ただ、かつて“紫電”と呼ばれていた俺を知る者であることは間違いない。


 俺は肩をすくめて、表情を作る。

 「少しだけ……やることが残ってただけさ」


 探索者は何も言わず、ただじっと俺を見つめている。

 周囲の冒険者たちの視線が、じわじわと俺たちに集まり、背中がむず痒くなるような感覚があった。

 だが、探索者は周囲の反応など意にも介さぬ様子だった。


 やがて、ぽつりとひと言。


 「……そうか」


 その声音には、意外なほど温かみがあったような気がした。

 気のせいかもしれないが——俺も短く返す。


 「ああ、そうだ」


 それで十分だったのか、探索者は何も言わずに踵を返す。

 その背中が、再び迷宮の奥へと消えていく。


 すれ違った冒険者たちが、一様に道を開ける。

 それほどまでに、彼の歩みに漂う“気配”は他者と異質だった。


「なんだ、あいつは……?」

 その背中が見えなくなった頃、クイナが低く呟いた。


 俺は答える。


「……探索者シーカー。冒険者の中でも、迷宮に特化して生きる者たちだ」


 そして、すでに見えなくなったその背中を、もう一度だけ思い返す。


 ——ほんの一瞬、すれ違いざまに感じた。

 あいつは“俺の今”じゃなく、“俺のこれから”を見ていたような気がした。


 気のせいかもしれない。だが、あのときの沈黙は、ただの無言じゃなかった。


 §


 中層に入ると、緊急依頼クエストに参加していた各パーティーは、徐々にそれぞれの持ち場へと散っていった。


 この階層からは、本道以外の脇道が急増する。

 本道と呼ばれる道も、かつて誰かが踏破したから“本道”であるに過ぎず、迷宮のすべてが未だ未知であることに変わりはない。


 今回の依頼は、その中層全域を人海戦術でくまなく調査するというものだった。

 俺たちのパーティーも、他と分かれ、ひとつの脇道へと足を踏み入れる。


「なあ、カナリア。魔物はともかく……仲間殺しフレンドリーファイアだけは絶対にやめてくれよ?」


 カナリアの放つ高出力魔法は、下級魔物なら魔石ごと吹き飛ばすほどだ。

 うまく避けられる俺はともかく、他の冒険者たち全員がそうとは限らない。


「ま、任せといてや!」

 勢いよく胸を張ってみせるが、その声音にはどこか空元気めいた響きがあった。

「な、なあクロ? もし相手が冒険者やったら、うちに先に教えてくれてもええ……?」


 目を泳がせながら、カナリアがクロウェアに耳打ちしているのが丸聞こえだった。

 とはいえ、誤射を避けようとするだけマシではある。


 誤射、それも味方への魔法は、状況次第では重罪扱いとなる。

 迷宮のような不安定な戦場であっても、できる限り防がねばならない。


 俺は軽く目頭を押さえてから、後方のクイナに振り向く。


「クイナも頼むぞ。……あんまり大火力で暴れるなよ」


 が、返ってきたのはぶっきらぼうな一言だった。


「ふん。……当たる方が悪い」


 本気で言ってるのか冗談なのかも怪しいが、避ける努力をするぶん、カナリアの方がまだ“協調性”がある。


「クロウェア。お前にもう一つ仕事を頼む。

 もしあの二人が味方に魔法を撃ち込みそうだったら、何が何でも止めてくれ。

 一度でも仲間殺しなんてことが起これば、この迷宮の踏破どころじゃなくなる」


 そう念押しすると、クロウェアはすんなりと頷いた。


「了解。でもね、止めるたびに恨まれても、知らないから」


 その言葉には一抹の不安もよぎるが、彼女の瞬間移動は制止役にうってつけだ。


「もちろんや! うち、止めてくれる人おらんとちょっと不安やし!」

「……見くびるな。僕はそんなヘマしない」


 満面の笑顔で返すカナリアと、不機嫌そうにそっぽを向くクイナ。

 なんとも対照的なふたりだった。


 ところで——クイナは一体、何歳なのだろうか。


 顔立ちは若い。

 だが、時折垣間見せる発言や態度には幼さが混じる。俺より年下かと思いきや、それすら怪しい。


 魔法使いは、魔力の蓄積と制御によって、老化の進行が著しく遅くなる。

 特に一定の魔力域を超えた者は、そこから先、何十年経とうが外見がほとんど変わらなくなる。

 お見合いで相手が祖父母より年上だった、なんて話も珍しくない。


 ――クイナの昔の仲間たちも……クイナがこんな調子じゃ、きっと苦労したんだろうな。


 ふと、今は亡きふたりの姿を思い出していると——


「それより、お前さっき……このコラの迷宮を踏破するって言ったな?」

「……まあ、言ったな」


 クイナの問いにそう答えると、自分の口から出た目標がやけに現実離れして聞こえた。


 いや、現実離れもなにも、実際に壮大すぎる話なのだが。


 そんな俺の答えに、クイナは肩を落とし、

「……さては、本物のあほうどもだな。お前たち」


 眉尻が垂れ下がり、呆れ顔全開で吐き捨てる。

 だが、これが“まともな”反応なのだ。


 最初から信じてついてきたカナリアが、やはり少しおかしい。


「な、なに〜? そんなにうちのこと見つめて……あっ、さてはうちのこと、かわいいって思ってるやろ? そうなんやろ?」


 急に頬に手を当て、艶っぽく目線を落としてくるカナリア。

 どういう思考回路を経てそうなったのか、まったく理解できない。


 助けを求めるようにクロウェアへ視線を送ると——


「まあ、私のほうがかわいいわよね」


 と、サラリと爆弾を投下してきた。


「あーー! クロ! それはクロでも許されへん発言やで! かかってこんかい!」


 カナリアが全力で食ってかかるが、クロウェアはいつもの無表情で流している。


 ぎゃーぎゃー騒ぐ彼女たちを見て、俺はため息をついた。


 その様子を苦笑しながら眺めていたが、ふと、何かがおかしいと感じて足を止めた。


 風が、吹いた。


 ここは中層だ。

 閉ざされた迷宮の中で、風など吹くはずがない。

 けれど今、確かに背筋を撫でるような冷気が、ひとすじ通り抜けていった。


 ――気のせいか?

 そう思いつつも、なぜか呼吸が浅くなる。


 何が、とは言えない。

 けれど、肌の奥で微かに——冒険者の“勘”が、静かにざわめいていた。


 俺は黙って一歩、前へ進む。

 目の前には、いつも通りの仲間たちの姿。

 その喧しさが、今は少しだけ、遠く感じられた。


 ——この迷宮は、何かがおかしい。

 

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