35.新米課長の奮闘② リーナ編

 クロダは新人たちへの講話を終え、ギルド会館の廊下をとぼとぼ歩いていた。


(ひどい目に遭った……)


 目を輝かせる新人たちの質問攻めから、ようやく逃げ出したものの、全身にドッと疲れがのしかかる。


 業務整備課に戻って、一息つこう――そんなことを考えていると、ドタドタと騒がしい足音が近づいてきた。


 廊下の角から現れたのはリーナだった。クロダの姿を見つけるや、焦った様子で駆け寄ってくる。


「課長! すみません! 私のミスで、少しややこしいことになってしまいまして……」


 財務課に提案を持っていったものの、事前の調整がうまくいっておらず、押し掛けるような形になってしまったらしい。財務課の課長がかなりご立腹だという。


(ひえ~。また、面倒くさそうな案件だ……)


 とはいえ、さっきの人事課での一幕はリーナには関係がない。クロダは表情に疲れを見せないよう取り繕いながら、リーナとともに財務課へと向かった。


 扉をノックして中に入ると、いかにも貫禄たっぷりのマダムが待ち構えていた。腰に手を当て、明らかにご立腹の様子だ。これでは、リーナが怯えるのも無理はない。


 だが、そのマダムはクロダの顔を見た瞬間、表情をぱっと崩した。


「あらっ? クロダさんじゃないの! やだ~、久しぶりじゃない!」


「……へっ?」


 まさかの明るい反応に、リーナは唖然とする。


 一方クロダは、にこにこと手を振り返した。


「……おばちゃん! ご無沙汰してます!」


「へ……? おば……?」


 いまだ状況を飲み込めていないリーナの頭の上には、はてなマークがいくつも浮かんでいる。


「課長、マルディナ課長とお知り合いだったんですか!?」


(……へ?)


 今度はクロダが驚いた。目の前のマダム――あの「おばちゃん」の顔をまじまじと見つめる。


「……おばちゃん、課長だったの!?」


 思わず失礼な発言が口をついたが、マルディナはまったく気にした様子もなく上機嫌だ。


「ええ、財務課の課長、マルディナとは私のことよ〜。そんなことより、クロダさんが業務整備課の課長だったなんて、ぜんっぜん知らなかったわよ! 早く言ってよ〜、水くさいじゃないの〜〜!」


 マルディナはほらほら、とクロダを無理やり応接間へと連れていき、ソファに座らせた。


 クロダはおとなしく腰を下ろすと、すぐに頭を下げた。


「この度は、うちのリーナがご迷惑をおかけしたようで……」


「いいのいいの! クロダさんの部署だって知ってたら、大歓迎でしたのに~~~」


 マルディナは鼻歌まじりでクッキーの缶を用意し、ティーポットでお湯を沸かし始める。


 その間、リーナが小声で尋ねてくる。


「課長、マルディナ課長とは一体どういうご関係で……?」


「いやあ……実はね、毎朝ギルド会館の玄関を掃除してる時に一緒になって、なんとなく仲良くなって……まさか財務課の課長だったなんて」


 ひそひそと話しているうちに、紅茶を入れたマルディナが戻ってきた。


「それでクロダさん、今日は何の話だったかしら?」


 にこにこ顔のマルディナに、クロダはリーナに代わって提案書を差し出した。


「業務整備課から、領収書のフォーマットに関する提案書です」


 マルディナは表紙をチラッと見るなり、そのまま横に置いた。


「ありがとう、さすがクロダさんね! 明日から導入するわ!」


「えっ? 中身も読まずに……大丈夫ですか?」


 思わず聞き返したクロダに、マルディナはケラケラと笑った。


「あらヤダー、クロダさんが持ってくる提案なんて、良いに決まってるじゃないの〜〜!」


「あ、ありがとうございます……」


(なんか、うまく行き過ぎて……ちょっと、怖いぞ)


 気味の悪さを覚えたクロダは、早めに切り上げようと立ち上がる。マルディナに何度も引き留められ、脱出に少し苦労した。


 手にはなぜかクッキー缶を持たされ、なんとも言えない表情で執務室への帰路につく。


「課長……本当にありがとうございました」


 隣を歩くリーナは、恐縮しきりに何度も頭を下げる。


「いや、全然大したことじゃないよ。マルディナ課長があのおばちゃんだったなんて、ただの偶然だし」


 クロダは苦笑するが、リーナの表情は真剣そのものだ。


「いえ……今日、課長のすごさを改めて知りました。私も、見習わせていただきます!」


(リーナもそのうち、"おばちゃん"って呼ぶようになるのかなあ)


 クロダの杞憂をよそに、リーナは「次の仕事があるので」と駆けていった。





 リーナと別れたクロダは、のんびりとした足取りで執務室に戻ってきた。


 室内ではユートが一人、黙々と作業に取り組んでいる。その姿を横目に、クロダは椅子に腰を下ろし、深くため息をついた。


 時計を見ると、時刻はまもなく17時になろうかというところだ。


(今日ももうすぐ定時だ。相変わらず行き当たりばったりで……このままでいいのかなあ……)


 どこか焦燥感の混じった表情で、クロダはふと窓の外に目をやった。

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