27.作業が終わらないなら寝ないで働けばいいじゃない
執務室から寮の部屋までの記憶はなく、気づいたときには自室のベッドに寝転がっていた。
(どうすりゃいいんだ……)
セシルから告げられた、まさかの課長就任。クロダは使命感と重圧に押しつぶされそうになっていた。
しばらく放心状態で横になっていたが、ふと喉の渇きを感じ、水でも飲もうと体を起こす。すると、ベッド脇に置かれた封筒が目に入った。
どうやら、帰宅した際に無意識でポストから持ってきていたらしい。封を開けて中を見ると、それは部門長からの辞令だった。
『クロダを業務整備課の課長に任ずる』
(やっぱり、嘘じゃないんだよな……)
はっきりと書かれた「課長」の二文字は、何度見返しても変わることはない。
その下には、業務整備課のメンバーの名前が記載されていた。全部で三人――全員がクロダより年下だ。
(このメンバー構成だと、俺が頑張るしかないけど……こんなんで、やっていけるのかなあ……)
気が滅入り、クロダは辞令を雑に放り投げた。
すると、紙はひらりと舞いながら二枚に分かれ、床へと落ちた。
(二枚……?)
緩慢な動作で立ち上がり、もう一枚の紙を拾い上げる。そこには、セシルの筆跡で短いメッセージが書かれていた。
『業務整備課の仕事の説明です。目的は業務効率化。他部署と連携し、改善策の検討と推進を行ってください』
律儀なことに、セシルは補足説明まで書き添えていた。クロダは続く文面に目を移す。
『手始めに、素材調達課の改善案を考えてみなさい。迷うようなことがあったら、今までやってきた仕事を思い出してみるとよいでしょう』
メッセージはそれで終わっていた。その下には、業務整備課の執務室の位置を示す簡単な地図が添えられている。
セシルのアドバイスは、張りつめていたクロダの心をほんの少しだけ和らげた。
(何も分からない今、指針だけでも示してもらえるのはありがたい……ありがとうございます、課長)
クロダは両手でバチンと頬を叩き、気合を入れ直した。
(課長らしい姿を見せられるように、改善案を事前に考えておこう。考えに没頭している間は、不安も忘れられるし……)
ベッドに寝転がりながら、クロダは不安を追い払うように、あれこれと改善案を考え始めた。
◇
翌朝、クロダは地図を頼りに業務整備課の執務室へと向かった。
(えーと……ここか)
扉の前に立ったクロダは、思わず身震いする。
初めての場所は、いつだって緊張するものだ。深呼吸をひとつして覚悟を決めると、勢いよく扉を開けた。
「おはようございます!!」
部屋に足を踏み入れた瞬間、元気な声が飛び込んできた。すでに着席していた男女三人はいずれも笑顔だ。
(みんな、早いな……30分前に来たのに、もう来てるだなんて)
「お、おはようございます……」
クロダは小さく挨拶を返しながら、オドオドと自分の席へ向かう。
その席は三人の正面に位置する、まさに“課長席”というべき場所だった。自然と、視線が一斉に集まる。
(うっ……き、緊張する……でも俺は課長だ。何か、何かしゃべらなきゃ!)
内心焦りながらも立ち上がり、三人の顔を順に見渡す。
「ど、どうも。この業務整備課の課長になりました、クロダです。製品加工課と素材調達課を経て……気づいたら課長になってました。よろしくお願いします……」
「よろしくお願いします!」
自信なさげな挨拶にもかかわらず、三人は笑顔で拍手までしてくれる。
(い、いい子たちだ……)
思わずジーンとするが、自分が司会進行役であることに気づき、慌てて話を振った。
「じゃ、じゃあ……自己紹介と一言ずつ、お願いできますか?」
すると、一番手前に座っていた青年が元気よく立ち上がった。
「はいっ! 僕、ユートっス! 23歳、元気だけが取り柄っス! このギルドに入って二日目っス! よろしくお願いしまっス!」
「二日目?!」
クロダは思わず目をむいたが、ユートはニコッと笑って頷いた。
「はい! 最初は研修からって聞いてたんスけど……『お前は業務整備課で研修するからそっち行け』って言われたっス!」
「そ、そうなんだ。よろしく……」
(人事課……丸投げかよ!)
苦情を言いに行きたい気持ちをなんとか抑え、クロダは苦笑いを浮かべた。
続いて立ち上がったのは、ユートの正面に座る、小柄で真面目そうな女子だった。
「リーナです。二年目の25歳で、ここに来る前は財務課にいました。よろしくお願いします!」
丁寧に頭を下げるリーナにつられて、クロダも思わず頭を下げてしまう。
「財務課……? なんかすごそうなところにいたんですね……?」
リーナは目を丸くし、ブンブンと両手を振って否定した。
いえいえ! わたしはただの下っ端でしたし、財務課も一年だけですから! 全然たいしたことないです!」
「そ、そうなんだ……でも、心強いです。よろしく……」
(女の子、どう扱っていいのかわからん……)
困惑するクロダをよそに、最後に奥の席に座っていた眼鏡の青年が静かに立ち上がった。
「あれ、君は……」
思わず声が漏れる。眼鏡をかけ、線が細く、見るからに理屈っぽそうな風貌――その姿には、見覚えがあった。
(研修初日……ジェイクさんに手を挙げて質問してた人だ!)
男は頷いた。
「はい。研修の時ぶりですね。イゼルといいます。24歳。二か月前にギルドに入り、総務課で業務経験を積んでいました」
(日本じゃ、気づいたら同期は全員消えてた……。こんなふうに再会できるなんて、夢にも思わなかった!)
クロダは思わず頬を緩め、声まで弾んでしまう。
「ひ、久しぶりですね! 同期がいるのは心強いです!」
「はい、よろしくお願いします、課長」
イゼルの返事は、同期同士とは思えないほど堅苦しい。
「そ、そんな……同期なんだから、そんなにかしこまらなくても」
「いえ、今は立場が違います。課長らしく、堂々としていてください」
その目は鋭く、どこかセシルを彷彿とさせる。クロダは思わず身震いした。
(や、やりづらすぎる……)
◇
自己紹介が終わり、クロダはようやく一息ついた。
しかし、ふと視線を感じて顔を上げると、三人がそろってクロダに注目していた。
(そ、そうか! 俺が課長なんだから……これからの業務の説明とか、やらなきゃいけないんだった!)
あわてて姿勢を正し、咳払いしてから切り出す。
「えーと、これから業務に入るわけですが……うちの課は“業務整備課”。ギルド内の業務効率化を担当する部署――というのは大丈夫ですね?」
三人は素直に頷いた。クロダは緊張で声を震わせながら続けた。
「それで、最初の仕事なんですが……素材調達課の改善案を考えるように、というお達しが来ています」
その言葉に、イゼルが顎に手を当てて考え込んだ。
「なるほど……それが業務整備課の初仕事、というわけですね」
「はい、そうなります」
「どのように進めていくか、課長のお考えはありますか?」
イゼルの問いに、クロダは「待ってました!」とばかりに得意げな表情を浮かべる。
(よし、ついに出番だ! この日のために考えた、渾身の改善案を披露する時だ!)
クロダは静かに頷き、少しもったいぶって一呼吸置いた。三人とも興味深そうに、クロダの言葉を待っている。
(さあ、聞いて驚け! この前代未聞のアイデアを聞けば……みんなきっと、腰を抜かすに違いない!)
にんまりしながらイゼルたちの顔を順番に眺め……そしてついに、言い放った。
「毎日の作業時間を、8時間から16時間に延長します!」
「……」
「完全週休一日の“完全”を撤廃し、休日出勤を奨励します!」
「…………」
「毎週水曜日を“徹夜推奨日”として、翌朝までみんなで働きます!」
「………………」
一気にまくし立て、クロダは満足そうに胸を張った。
(どうだ、この妙案は! 我ながら、素晴らしいアイデアだろう!)
しかし、イゼルたちはいつの間にか立ち上がり、輪を作ってごにょごにょと何やら話し込んでいる。
「ユート君、倉庫から、あれを……」
「了解っス!」
イゼルの指示に従い、ユートは勢いよく部屋を飛び出していく。リーナはその様子を、硬い表情でじっと見つめていた。
(みんな、どうしたんだろう……?)
ほどなくして、ユートが戻ってきた。手には、一本のロープが握られている。
そしてユートとイゼルが、無言のままクロダのもとへと歩み寄ってきた。
「え、え? なに? どしたの?」
二人は何も答えず、ただ黙々と手を動かし……気づけばクロダは、ロープで椅子ごとぐるぐる巻きにされてしまった。
ガッチリと固定され、身動き一つできない。もがいても、結び目はびくともしない。
「あれ? みんな、これは一体……?」
訳もわからずキョトンとするクロダに、イゼルが沈痛な面持ちで語りかけた。
「課長、この素材調達課の改善案は、私たちの方で考えます……」
イゼルの口調は丁寧ながら、強い意志を感じさせる。
「申し訳ないスけど、課長はそこで大人しくしてて欲しいっス……」
ユートは先ほどの元気な様子からは考えられないほど弱弱しく、申し訳なさそうだ。
「素材調達課の、そしてギルドのみんなのために……課長は手を出さないでください……」
リーナの視線は気遣わしげだったが、縄をほどこうという気配は微塵も感じられない。
「え……? みんな……どゆこと……? た、助けて……?」
クロダの弱々しい声が、執務室にむなしく響いた。
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