第五章・業務整備課編

26.まさかの辞令

 素材調達課に配属されて、一か月が経過した。


 横領が発覚した直後こそ慌ただしかったが、セシルの施策は効果てきめんだった。課のメンバーたちもすぐに新体制に慣れ、平穏な日常を取り戻しつつある。


 今日も、とくに大きな問題もなく定時で業務が終了した。ここ最近、ほとんど残業をしていないというのに、なぜか頭も体も重く感じる。


(課長の指示は厳しいからな……。残業を何十時間もやってた頃と比べても、こっちのほうがずっと疲れる……)


 凝った肩をトントンと自分で叩いていたところに、セシルから声がかかる。


「クロダ。この後少し話があります。よろしいですか?」


「は、はい」


(なんだろう。また無理難題でもふっかけられるのか……?)


 クロダは首をかしげながら、セシルの席へと向かった。


 ドキドキしながら言葉を待つが、セシルはなかなか話し始めない。どうやら、執務室から人がいなくなるのを待っているようだった。


(他の人たちには聞かせられない話……いよいよ、きな臭くなってきたな)


 やがて、最後の一人が執務室を出ていき、セシルとクロダの二人だけになる。そのタイミングで、ようやくセシルが口を開いた。


「クロダ。ここ最近のあなたの働きぶりは、見事の一言です」


「は、はい! ありがとうございます!」


 クロダは反射的に返事をしたが、油断はしなかった。


(面倒ごとを押しつける前に、誉め言葉を入れてくる。いつものパターンだ……)


 早くも憂鬱な気分になっていたが、案の定、セシルの口から出てきたのはよくない知らせだった。


「さて、クロダ。あなたには、新部署への異動の話が出ています」


「新部署……ですか」


(え、まだ素材調達課に来て一か月なのに? 俺、もしかして左遷コース……?)


 セシルに嫌われたのではと、クロダは思わず勘ぐってしまう。実際、セシルはイライラした様子を隠そうともしていなかった。


「明日からすぐに、です。いいですね?」


「は、はい……というか、拒否権ってあるんですか?」


「ありません」


「……ですよね」


 念のための問いは、あっさり却下された。クロダは目を閉じて天を仰ぐ。


(とはいえ、本気で嫌なわけじゃない。任された場所で、任された仕事をするだけだ)


 気を取り直し、クロダは質問を投げかけた。


「仕事内容はなんでしょうか? どなたの指示に従えばよろしいでしょうか?」


 セシルは目を細める。何か言いたげだったが、一瞬の逡巡ののち、無言で腕を組んだ。その瞳には、戸惑いとも諦めともつかない色が浮かんでいる。


(な……なになになに?! 怖すぎるんですけど?!)


 ビビり倒すクロダをじっと見据え、セシルは重々しい口調で告げた。


「部署名は、"業務整備課"。ギルド内の業務の効率化を目的とした部署です」


「なるほど……以前、課長がやったような改善策を考える、みたいな……?」


「そうです」


(たしかに、大変そうだけど……なんで課長は、そんな微妙な顔してるんだ?)


 疑問が浮かぶと同時に、胸の奥に嫌な予感がよぎった。


「ま、まさか……次の課長は、バルド課長を上回る体躯に、セシル課長を凌駕する嫌らしさを兼ね備えた鬼上司、とか……?」


「……思いっきり、悪口じゃないですか」


「はっ! すみませんすみません!」


 慌てて両手で口をふさぐクロダを一瞥し、セシルは大きくため息をついた。


「……見方によっては、当たらずとも遠からずといったところです。業務整備課の課長となるのは――」


(だ、誰だ? 一体、どんなクソ野郎なんだ……?)


 心臓がバクバクとうるさく音を立てる。クロダは呼吸するのも忘れて、セシルの口元を見つめた。


 十分すぎるほど間をとったのち、セシルは静かにその名を告げた。


「クロダ、あなたです」


「………………」


 時が止まった気がした。静寂の中、カチ、カチ、と時を刻む音だけが静かな室内に響き渡る。


「い、いま、なんと……?」


 何かの間違いであってくれと、祈るような気持ちで聞き直すクロダに、セシルは容赦なくとどめを刺す。


「ですから……あなたが業務整備課の課長です。せいぜい頑張ってください」


「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」


 その悲鳴は、ギルド会館中に響き渡った。





「む、無理です! 私が課長だなんて、絶・対・に! 無理です!」


「部門長命令です。無駄な抵抗はやめなさい」


 必死にすがりつくクロダだったが、セシルの返答は冷たい。


(管理職なんて、最悪すぎる……。せっかくの、のんびりスローライフが台無しだ……)


 クロダは、これまでにないほどの勢いで頭をフル回転させる。なんとかして管理職行きを回避できないか――必死に言い訳を探す。


「えーと……そ、そうだ! 管理職になったら、残業代が出なくなるっていうじゃないですか! そんなのありえません! 課長なんて、願い下げです!」


 我ながらナイスな切り返しだと、クロダは得意げに笑みを浮かべた。しかし、セシルは心底不思議そうな顔をしている。


「残業代……? 役職にかかわらず、出るに決まっているじゃないですか」


「……へ?」


「残業に対する報酬なんですから。誰であろうと、出ますよ。課長だろうと、部門長だろうと」


 あまりにも予想外の回答に、クロダは絶句した。


(まさか……! じゃあ、日本で聞いたあの噂はフェイクだったってこと!? 誰だ、そんな都市伝説を流したやつは! ゆ、許せない、許せないぞー!)


 怒りに燃えるクロダの心中など露知らず、セシルは涼しい顔で問いかけてくる。


「残業代が出るなら、課長就任でも問題ないですね?」


「あ……はい、そ、そうですね……」


 怒りのせいで頭が回らず、クロダはつい無難な返事をしてしまう。そんな隙を、セシルが見逃すはずもなかった。


「そうですか。では、明日から頼みましたよ」


「はい、お疲れ様です……」


 セシルはクロダの肩を軽くぽんと叩き、そのまま執務室を出て行った。クロダは一人、ぽつんと取り残される。


(………………あれ? 残業代の話でごまかされちゃったけど……俺が課長としてやっていけるのかっていう、根本的な問題は何も解決してなくないか??)


 ハッとして、クロダは慌てて廊下に出る。だが、すでにセシルの姿は見えなかった。完全に逃げ場を失ったことを悟り、全身からじわっと汗が噴き出す。


(一体、どうすりゃいいんだ……)

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