24.アリシアお嬢の作戦① 大量注文
アルセイン家の邸宅で、アリシアの声が響く。
「コンラッド! 来てちょうだい」
アリシアの呼び声に、いつものように素早くコンラッドが現れた。
「はい。お嬢様、いかがいたしましたか?」
アリシアは手元の書簡を、すっとコンラッドに差し出した。
「お父様からの手紙よ。西の国境に、新しく関所を建てるそうよ」
コンラッドは書簡に目を落として小さく唸った。
「なるほど……なかなかの大仕事になりそうですね」
「ええ。関所の建築には、大量の人手と資材が必要です。ですから、今日は素材の買い付けのために……街に出るわ」
アリシアは腰に手を当て、誇らしげに宣言した。そのご機嫌な姿を見て、コンラッドの目がきらりと光る。
「《黒鉄の牙》……ですか」
「え? ええ……まあ、そうね。大量の仕入れを頼める規模のギルドは、あそこくらいのものね」
「クロダ……ですか」
コンラッドの言葉に、アリシアはわずかに目を逸らした。
「クロダは関係ないわ! クロダは最近、素材調達課に異動になったと聞いてるけど、関係ないわ! よく窓口に出没すると評判だけど……関係ないわ!」
早口でまくしたてるアリシアを、コンラッドは黙って見守った。
アリシアが、ギルドに紛れ込ませた間者からの報告を毎日楽しみにしていることは知っていた。その報告書を、宝物のように引き出しにしまっていることも、よく知っていた。
(まるで、恋……ですが、お嬢様がどれだけ自覚しているかは分かりません。ここは暖かく見守るべきですね……)
「さあ! さあ、コンラッド! 早く行きましょう!」
アリシアはあっという間に身支度を終え、馬車へと軽やかに駆け出していく。コンラッドは静かにその後を追った。
◇
《黒鉄の牙》のギルド会館は、ひときわ混雑していた。原因は、一人の少女だ。
「あら、お気になさらず。順番が来るまで、お待ちしますわ」
アリシアは伯爵令嬢らしい気品を漂わせながら、素材調達課の窓口の列に並ぼうとしていた。
周囲のものたちは、すぐにアリシアの存在に気づいた。誰もがその気品に目を奪われ、なかにはそのオーラに圧倒されて思わず跪く者までいた。
アリシアは列に並んで待つ気満々だったが、客たちは次々に順番を譲り、あっという間に先頭までやってきていた。
「あ、その、ええと……本日はどのようなご用件で……?」
窓口担当の男は、あからさまに困惑して言葉に詰まった。アリシアは凛とした表情を保ったまま、ゆっくりと口を開いた。
「クロダを出しなさい」
「へ……?」
「私は、クロダ以外の者と取引はしないと決めているの。早く、クロダを出してちょうだい」
アリシアの有無を言わせぬ口調に、男は狼狽して奥へとすっ飛んでいく。ほんの十数秒で、クロダを連れて戻ってきた。クロダは、アリシアを見てポカンとした表情をする。
「あなたは……」
「お久しぶりね、クロダ。アリシア・アルセインよ。本日は素材の買い付けに参りました」
クロダは、相変わらず感情を表に出さないまま、淡々と応じた。
「承知しました。それでは、必要な素材と個数を教えていただけますか?」
コンラッドが必要素材を記載した書類をクロダに手渡す。あまりの大量注文に窓口の奥がざわついているが、アリシアにとってそんなことは重要ではない。アリシアはクロダに熱い視線を送り続けていた。
「ねえ、クロダ。ついでに、あなたも私に"買われて"みる気はありませんこと?」
「残念ですが、私は今の職場に満足していますので……」
「そう。では、一度一緒にお茶でもいかがかしら? 最近良い茶葉が手に入ったのですわ」
「お茶ですか……私は水出し麦茶が好みですね」
あまりにもあっさりとかわされてしまったが、ここまではアリシアにとっても想定内だ。もちろん、彼を振り向かせるための策は、まだある。
「クロダ、最近困っていることはないかしら? 何かあれば、私が相談に乗って差し上げるわ」
アリシアの言葉に、クロダは顎に手を当てて考え込んだ。
(ほら、最近、あなたの課で横領事件があったでしょう? それで、職場に嫌気が差したりしてるんじゃないの?)
思った通り、クロダは真面目な表情で大きく頷いた。
「たしかに。最近、困ったことがありましたね」
(きた!)
アリシアは嬉しくなって、窓口のカウンターに身を乗り出した。
「それは大変ね! どんなことに困っているか、聞かせてくださるかしら?」
クロダは考えながら少しずつ言葉をつなげていく。
「その……課長に言われて、自分でも考えてやってみたんですけど……なかなかうまくいかなくてですね……」
「……へ?」
アリシアは予想外の言葉に、表情を強張らせた。
(考えてやってみる? うまくいかない? ま、まさか……クロダ、横領に手を出していないでしょうね……? たしか、報告にはなかったはずだけど)
「まあ……そういう意味だと、転職っていうのも、ありえなくはないのかなって……一瞬だけ、思ったりしたことはありますね」
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい!」
アリシアは混乱し、思わずクロダの言葉を遮った。
クロダを助けたい。その気持ちは確かだった。けれど、もし彼が本当に悪事に手を染めているのだとしたら――話は別だ。
たとえギルドの指示だったとしても、見過ごすことはできない。正義感の強いアリシアにとって、それだけは絶対に無理な相談だった。
(ありえないとは思うけど……横領に関与した人をアルセイン家で受け入れるわけにはいかないわ! 急いで調査させないと……)
アリシアはコンラッドに目配せすると、早口でまくしたてた。
「えっと、注文は、もう大丈夫よね? でしたら、指定の日時に届けてくれればいいから。では、今日はこのあと用事があるから、これで失礼するわ!」
「……え? は、はい。ご注文を承りました。ありがとうございます!」
意外そうな表情で頭を下げるクロダを一瞥し、アリシアはスカートを翻してギルド会館を後にした。
◇
帰宅するなり、アリシアは荒れていた。
「まっったく! クロダったら、横領なんてまったく関係なかったじゃないの! なによ、あの思わせぶりな態度は!」
アリシアは帰宅してすぐ、間者に命じて横領事件の詳細を調べさせていた。ほどなくして調査結果が届き、クロダがまったくの白であることを知らされたのだった。
「お、お嬢様。クロダが無実だったことが分かってよかったではないですか……」
コンラッドの必死のとりなしで、アリシアはようやく落ち着いた。
「そ、そうよ……今回の目的は、クロダの素材調達課の売上を上げて、彼にボーナスを届けることだったんだから。問題なんて、まったくないわ!」
満足げに何度も頷くアリシアに、コンラッドが申し訳なさそうな表情で声をかける。
「お嬢様、《黒鉄の牙》は固定給料制です。売上が多少増えても、クロダら従業員の給料が増えることはございません……」
「えっ」
アリシアは表情を変えないが、動揺しているのは明らかだった。
「でも、でも……横領事件で課の売上ノルマはきつくなってるはずよ。大きな売上が出れば、その締めつけも少しは緩和されるんじゃないかしら……?」
「……ええ、そうですね。そう信じたいものです」
コンラッドの頼りなげな声色に、すべてを察したアリシアは――顔を真っ赤にして、自室へと駆け込んだ。
「……青春ですなあ」
コンラッドは遠い目をしてそうつぶやいた。
◇
アリシアが帰った後の素材調達課は、重苦しい雰囲気に包まれていた。
「この注文量……一体、何がどうなったらこうなるんですか……」
セシルがぼやく。課のメンバーは皆、顔を曇らせた。
倉庫にある素材の確保、不足分の追加注文、運搬業者の手配……課のメンバー総出で対応しても、終わりが見える気配はまるでない。
「まったく、勘弁してくれえ……」
「これで、この前の件がチャラになったりしないかな……」
聞こえてくる愚痴に対して、セシルは珍しく表情を崩し、苦笑いを浮かべた。
「残念ですが……この大量注文を部門長に報告したところ、『それとこれとは話が別』、だそうですよ」
全員、ため息しか出てこない。そんな中、一人元気な男がいた。
「課長、どうしますか? 残業でもしないと終わらなそうですけど……」
「……そうですね。今回ばかりは仕方がありません。今日は残業でカバーしましょう」
セシルの言葉に、クロダは目をランランと輝かせた。
「はい! 待ってました、久しぶりの残業! 全力で対応させていただきます!!」
「まったく、なんであなたはそんなに元気なんですか……」
セシルのぼやきだけが、執務室にむなしくこだました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます