完全数
@Shining3301
第1話
私は探偵である。とは言うが、実際は小さな町で便利屋をしているにすぎない人である。探偵と名乗る者が便利屋をしているだけである。小さなこの町ではなにか困りごとがあれば私にかけてくれればもちろん向かう。犬の散歩や近所のゴミ出し、部屋の掃除や歳のいった人の代わりに脚となって買い出しに出たりなど……雑用である。探偵という名を聞いて呆れて笑ってしまうことをしているのは当然のこと、当初は私もこんなはずではと何度作業机の椅子に座って回転したことか。
仕事がない日が多くなる時期もあれば、掃除の依頼が多くなってくる時期、引っ越しの手伝いが多くなる時期など決まって忙しいときは意外にもやってくるのは私がこの仕事を続けていられる証なのだろうか。
そうして暇だと適当な本を読んでいたある日、何も予定がないと思われていた日出あったが、流れのない空気の鼓動をうるさい音がまた私の顔にぶつけてきた。もしもしとここの便利屋を名乗って返答を待っていると、その人はどうやら少し離れた場所に住んでいる主婦であった。私はどのようなご用件でと話すと開かずの金庫があるから開けてほしいという依頼であった。今までしてきた依頼の中でも変わった依頼内容だと感じることは稀にあったが、金庫を開けてくれという話は初めてであった。それに個人的に名ばかりの名であった探偵という言葉に肩を並べてくれそうな依頼でもあった。ただ金庫を開けるということは当然鍵が必要になってくる。私は金庫の解錠依頼は構わないが金庫がどのような状態なのかを尋ねた。どうやらその金庫は小さなものらしく重たくはあるが持ち運びができるタイプのようであった。なるほどといった私はとりあえず依頼内容の再確認、それと商売なので価格表示を行い、契約を口頭でした。
そうして金庫をこちらに持ってきてくれるというので私はそれまで待った。正直、心の中では少し緊張していた。解錠作業など開業以来一度もしてこなかったため、うまくいくか心配ではあった。しかしそれと同等に興奮もしていた。小さな興奮ではあるが私が探偵と名乗ることをようやくこの便利屋事務所が許してくれそうな気がしたのだ。
電話から数時間がたった昼過ぎ、階段を上がってくる足音が聞こえたかと思えば、チリンチリンとドアが開くとともに上に取り付けられていた鐘が鳴った。いらっしゃいと言うと先ほど電話をした主婦であった。お待ちしていましたと言い少し息を切らしているその人を応接ソファに案内し、お茶を差し出した。隣には両手で持ち運べそうなほどの金庫が鎮座していた。
軽い挨拶と雑談をして早速本題に入ると、金庫はどうやら四桁の数字を入れる典型的な鍵となっていた。ただ解錠作業をしようとしても、出来ないことがすぐに分かった。どうやらこの金庫、もともと備え付けられていた鍵が壊れているように見える。ただその横に鍵穴のようなものがあり、恐らくそこをどうにかこうにかして開けれないかということのようだ。私はピッキングツールをもって作業を開始したのだが、鍵の構造が特殊のようで通常のツールでは解錠することができなさそうであった。こうなってしまえばもうどうしようもないことを伝え、壊して無理矢理こじ開ける方法しかないだろうと伝えると、中に息子の大切にしていたものがあるのかもしれないから、傷つける可能性があるようなことは最終手段にしてほしいと言われた。
ほう、とつぶやいた後に反射的に息子? と返した。はいと答える依頼主は、その金庫について教えてくれた。
息子は最近首を吊って自殺したそうだ。現場の状況からそうであることは間違いないと警察に言われたらしい。それで、息子の部屋にあるこの金庫も調べようとていたのだが、鍵が開かないこととそのパスワードも息子しか知らないことで開ける術がないため、一度警察側で預からせてほしいと言われたそうな、しかし中身をいち早く知りたがったためにいったん自分で預かったと。警察は大分渋ったようだがなんとか押し通したらしい。中身をなくさないようにという条件付きで。
なんだかきな臭くなってきた。ただ金庫を開けるだけの解錠作業かと思えば関連事項に自殺した息子がでてきた。それにさっさと警察に預けて開けてもらえばいいのにそれを拒んで自分で開けようとした母親。どこかの知らぬ間にできた溝があるような隔たりと違和感があった。そもそも行動と効果がかみ合っていない母親。
とりあえずなるほどと適当に相槌を打って、私もこの金庫に何が入っているのか気になってきた。この中にはきっとなにかがありそうだと思った。金庫はいつ購入したのかと聞いた。かなり前のようで、年単位で前のことのようだった。ただ金庫自体息子は使っておらず、いつの間に鍵がかかって未使用から切り離していたらしい。私はとりあえず強引に開けることは置いておいて、金庫の鍵のダイヤルに触れた。確かに劣化しているし、動きそうもない。指先で千の位を転がすように触っていると、若干動いたような気を感じ取った。もしかしたら動くかもしれないと言い、無理矢理ダイヤルに力を入れると、少しずつ動き始めた。もしかしたら正規の方法で開けることが出来るかもしれないと言ったが、すぐにそうでないことに気づいた。パスワードは息子しか知らないのだ。そもそもが成り立っていないのだから何をしようと正規には開けることができない。
どうしようかと困っているとき、主婦がもう帰れねばならないと言い出した。そこまで時間が耽っているわけではないが、時間が来てしまったようである。仕方あるまいと金庫も持ち帰らねばなるまいと差しだそうとすると、そのままここに置いておくと言い出した。さすがに警察が関連している物を置いておくわけにはいかないと言うが、重いし疲れたのでまた明日取りにくると言って去ってしまった。どうしようもないデカ物をこんな机に置いておくのは邪魔でしかないのだが、もしかしたら別の方法で開けることが出来るかもしれない、その方法さえ思いつけば、と思い考えた。
残念ながら思いつかなかった。もう八時だ。自宅と併設している事務所を後にしようと腰を上げると、白い置電話が二回目の音を鳴り響かせた。事務所自体はとっくにしまっているのだが、と思い電話に出ると相手はあの主婦であった。
息子の部屋を少し掃除していたら妙なものを見つけたらしい。勝手に現場に入っていいもんなのかと思いながら、それはなんだと尋ねる。本棚に連なっている本の奥にある溝にとても分厚い本を、いや本と言って良いものかと言った。一体どういうことかとまた尋ねるとほとんどが真っ白の本だという。なるほど、長編小説かと思えば中身は何もないということか、確かに本と言って良いのか疑問に思う。
しかしそれがなんだと言うと、今から持って向かうと言い出した。もうすでに営業は終了していると言いかけたときには既に電話は切られていた。なんと勝手な人なんだと思い、言いそびれたので恐らく本当に来るのだろうと玄関前で立っていた。少しして見知らぬ車が通り過ぎようとしたかと思えば目の前で停止した。あの主婦が窓を開けてどうもと会釈をした。手早く済ませたかったので挨拶を無視してその本を見せたまえと言うと、両手で差し出したのはなんらかの辞書ほどあるのではと思われる分厚さの本であった。もしかしたらなにかのヒントになるかもと思い差し出した次第ですと言うとあっという間にエンジンを加速させていた。なんて勝手だと思い直した。
真っ白な分厚い本になんのヒントがあるのだと思い事務所の作業机でパラパラめくると、あることに気づく。確かにほとんど真っ白な頁ばかりであるが、三カ所だけ記されている頁があった。ちょっとした日記のようであった。
一カ所目には人間関係の構築の難しさを表していた。頭の中では話しかけていきたいという自分と、心の中では勇気が地を這いつくばって起き上がろうとしない。二人を一つに掛け合わせたら一つの大きな自分ができあがるというのに。と記されていた。
二カ所目は、知らない人でも一人の人がいる。他と関わりがない、自分だけの存在。その人と友達になった。そう記されていた。
三カ所目には知らない人でも一人の人でも会えば大きくなる。と書かれていた。
私は身勝手なあの人へ電話をした。幸いすぐ電話に出てくれた。この内容は知っているかと尋ねると、でなかったらヒントなどと言わないでしょうと返ってきた。そうだと思いながら、息子は友達が少ない方なのかと聞くと分からないが、時々友達と出かけるのでそうではないのだろうと言った。そもそも息子が吊った理由はなんだと問うと、分からないときた。どうやら遺書もなにもなく動機がはっきりとしないと。一人で抱え込んでいるパターンはよくあるが、なにも印がないのは妙であった。一瞬金庫を見やった後、本に視線を落とし、息子の特徴を聞いた。彼はとても努力家であったと。そして遊びもしっかりする子だと。私は少し首を横に振った。息子はどのくらい勉強するのだと聞いた。すると主婦は少し黙った後、中々勉強するような子ではなかったと言った。先ほどの努力家とは相反するようだがと聞くと私たちで勉強をさせていたと言った。私たちというのは父親のことらしい。本棚には勉強本がたくさんあるのかと言うと山ほどあると言った。私は彼の言われたときの気持ちが分かるような気がした。その息子は気丈であったかと聞いた。主婦はそうではないと言った。
もういいか、と切られ十分と答え、電話は切られた。私は息子の鼓動を本から感じたようだ、と先ほどの気持ちに理由を肉付けしてみた。私はまた本の内容を見た。もしかしたらこれは金庫のダイヤルを解除してくれるかもしれないと思った。この妙な本にはなにかがありそうだと感じた。
私はまず気にかかったのは三カ所目の位置が他と比べてほとんど終わりの頁にあったことだ。それに一カ所目と二カ所目も最初の頁周辺にある。これだけあってどうしてこの三カ所を選んだのか。中身が白紙になっているのはなにか意味があるのだろうか。それともこの位置でないとだめなのだろうか。私はまずこの分厚い本が全部で何頁からなっているのか数えた。ちょうど五百であった。そして、驚くべき事実がそこには隠されていた。一カ所目に記されていたページ数は六ページ、二カ所目は二十八頁、三カ所目は四百九十六頁であった。偶然ではないと思った。六、二十八、四百九十六。記されていた頁数は、すべて完全数だ。完全数とは、自身を除く約数の合計が元の数と一致する数で、その名の通り完璧な数として知られている。
しかしこれが何を示しているのかは分からない。他にもなにかあるのかと内容を頭の中でかみ砕いて解釈してみた。二人を一つに掛け合わせたら大きな一人になる……平方数? 不意に口がそういった。二人を一つに掛け合わせるというのは、完全数である六に同じ六を掛け合わせるということなのだろうか、答えは当然三十六である。しかし三十六は完全数ではない。このような操作に意味なんてあるのだろうか。
念のため、他の場所も同じように数学に置き換えてみる。二十八頁目には、自分と同じように一人ぼっちであっただろう人と友達になったという。これに関連する数学と言えば……他に関わりのない自分だけの存在……もしかして、素数? 素数とは、一とその数以外の約数を持たない数のことである。他の人間と関わりのない人物を素数として、その二人が友達になるということは……そうか、これは半素数だ。半素数は、二つの素数の積で表される合成数のことだ。しかし二十八は半素数ではない。どの約数をとっても素数同士の積にはできない。となると、次に考えられるのは、二十八番目の半素数だろうか。私はパソコンでその数を調べると、八十六という数字が二十八番目の半素数であることを得た。しかし当然八十六も完全数ではない。なんなら今までの操作は完全数とは真反対の操作しかしていない。
そして三カ所目、知らない人でも会えば大きくなる。これは直感的に理解できた。楔数だ。楔数とは三つの素数の積で表される合成数だ。私はまた四百九十六番目の楔数を調べた。それは三千八十一であった。
同時に不思議でもあった。この内容はそもそもなにかを表しているのであろうか。それともこのように数字の辻褄を表すだけの適当なものなのだろうか。友達と出かけると言っていたのとなにか関係でもあるのだろうか。これ以上分からない謎に一旦足を引き抜いてこの数字たちを眺めた。ダイヤルは四桁。一度三千八十一とするため力強く動かしたが、どうも違うらしい。中には何があるのだろうか、そもそも何故急に金庫を使い出したのか、その時期さえ分かれば知らないことも憶測できそうだと思いながら金庫を少し傾けてみた。何も知らない中身が傷つかないようゆっくり押し上げて底をのぞき込んだ。するとそこには和と書かれていた。この金庫の製造元の名前だろうか? 削れて掘ってあるので息子が削ったわけではないのだろう。それともそのようなデザインなのだろうか。私は金庫をもとの通りにして椅子についた。三十六、八十六、三千八十一。なんの数字だろうかと悶々としていると、不意に足したくなった。そういえば金庫の底に刻まれていた文字も和だったな。和とはつまり足し算の総和、すべて足し合わせたものだ。偶然かどうかは分からないが底にあった文字も数学に関連している。私は出てきた数字三つをすべて足し合わせた。答えは三千二百三だった。ちょうど四桁である。しかし、本当にこんな数字がダイヤルを解除するとは思えない。素数だ。三千二百三は素数である。頁数の完全数とは───そう思ったのだが、カチッと解錠された音が聞こえた。
中身には丁寧に封のされた手紙のようなものが入っていた。
『いつかその数のようになりたいと思った。その数はパーフェクトナンバーと呼ばれ、古代には崇められる数でもあった。でも心の中ではいつでも嫌っていた。たくさん押しつけられて、不足していたり超過していれば毎日たくさん叱責が家の中を耳元の蚊のようにうっとうしく飛び回っていた。それぞれ持つ約数から個性のある完全数を表すのはまるでその分野のプロのような存在のように思えた。現代の発展した最新技術のコンピュータを駆使しても完全数は四十四個しか見つかっていない。適当な自然数を選んだとき、素数となる確率はゼロに収束する。僕はたくさん頑張って疑似完全数にでもならなければならなかった。でもいつの間にかその気すら起きなくなって、すべてのことに気が起きなくなっていた。ごめんささいお父さんお母さん。私は、もう自分以外何も持たない存在になり果ててしまいました』
私はやはり、この子の気持ちが理解できるということに嘘はなかった。
完全数 @Shining3301
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