第8話:新しい熱狂のカタチ

 ~倉庫だった場所で~


 九月も終わりに近づいたある日、三田はダンボール箱を抱え、フューチャーテック大崎本社の旧倉庫兼店舗スペースの入り口に立っていた。かつて倉庫だったその場所は、改装途中だからか、照明もまだ薄暗い。それでも、広々とした空間には、数日前とは明らかに違う、何かが生まれ変わろうとする空気が満ちていた。


「三田さん、お待ちしてました!」目黒が小走りで駆け寄ってくると、三田は目元をほころばせた。「目黒くん、ご苦労さま。引越しの手伝い、ありがとう」そう言いながら、足元のダンボール箱を軽く指差す。「とりあえず、これを運び入れるのを手伝ってもらえるかしら」


 目黒がうなずくと、薄紫のセルフレームの眼鏡に短く整えたあごひげの男が、奥から現れた。「三田さん、こっちのレイアウト案、見てくれんか」営業部部長兼通販部チーフの山手が、数枚の図面を手にしていた。「はい、山手店長」三田は、自然と昔の呼び名で応じていた。


 山手が示した図面には、思い切った展示プランが描かれていた。入口から順に、壁沿いにむき出しのPCパーツをズラリと並べ、次に組みかけの半完成品、最後に最新モデルの完成品を配置するという流れだ。


「これは……作る流れを、そのまま見せるってことですね」目黒が思わず呟くと、山手はニヤリと笑った。「そうやね。ただモノを並べとるだけじゃ、お客さんは面白くなかっちゃ。展示には、ちゃんとストーリーが要るっちゃね」語尾に、北九州出身らしいイントネーションがふっとにじんでいた。


 三田も図面を覗き込み、感心したように頷いた。「お客様の目線を考えると、この大型モニターは、もう少し壁際に寄せた方がいいかと。入ってすぐの圧迫感も、少し和らぎますし」山手は少し考えてから、ふっと頷いた。「なるほどな。その視点は俺にはなかった。さすがやな、三田さん」


「いえ、現場は長いので……」三田は控えめに笑いながらも、その表情には経験者ならではの自信がにじんでいた。目黒は、二人のやり取りと、生まれ変わりつつあるショールームの空間を交互に見渡した。


 ただ商品を並べるのではなく、顧客の体験をデザインする。それは、塾で生徒の興味や理解度を想像しながら授業を設計していた日々と、どこか重なる感覚があった。周東店とは違う、本社ならではの規模と、そこに込められたスタッフたちの熱量。ここから何かが始まる、そんな予感が、胸の奥で静かに脈打っていた。


 ~終わりと始まり~


 本社の一角、かつて事務機器販売部門があったスペースは、がらんとしていた。棚はほとんど空になり、床には運び出された什器の跡がうっすらと残っている。フューチャーテック大崎の創業期から続く一部門が、静かにその役目を終えようとしていた。


「お世話になりました」深々と頭を下げたのは、この道数十年のベテランパート職員、田町さんだった。その手には、小さな花束が握られている。「田町さん、本当に長い間、ありがとうございました」山手が、少し寂しげな表情で声をかけた。目黒も隣で頭を下げる。


「もう、この年になるとねぇ、新しいパソコンのことはさっぱりで。若い人たちに任せた方がいいのよ」田町さんは、シワの刻まれた顔に穏やかな笑みを浮かべた。彼女は、かつて賑わっていた頃の売り場を懐かしむように目を細める。


「昔はね、ファックス一台売るだけでも、そりゃあ大騒ぎだったの。電話が鳴りやまなくて、手書きの見積書を何枚も作って、納品の手配して……毎日忙しくて、でも楽しかったわぁ」その言葉は、ひとつの時代の終わりを感じさせた。パソコンやインターネットが普及する前の、手仕事の温もりと喧騒が、目に見えるようだった。


 目黒は、田町さんの言葉に、自分が今まさに体験している熱気とはまた違う、過去の確かな熱狂の姿を垣間見た気がした。「本当に、お世話になりました」山手が改めて言うと、田町さんは優しく微笑んだ。


「こちらこそ。山手チーフも、品川くんも、体に気をつけて頑張ってね。……そうだ、もし、これから何か荷物を出すようなことがあったら、また顔を出してちょうだい。近所の運送会社で、受付の仕事を見つけたの。また会えるかもしれないわね」そう言い残し、田町さんはフューチャーテック大崎を後にした。


 田町さんが去った旧・事務機器販売部門のスペースは、数日のうちに壁が取り払われ、新たな活気に満ち溢れようとしていた。そこに誕生したのは、フューチャーテック大崎の新たな中核となる「本社営業部」だ。


「今日からここが我々の城だ!」声を張り上げたのは、山手だった。その隣に立つのは、品川、そして新たに加わった販促部チーフの上野。恰幅のいい体型に、細身のメタルフレーム眼鏡。ポロシャツにチノパンという軽快な服装が、マーケティング畑の人間らしい都会的な空気をまとわせていた。


「これで、役者は揃ったな」山手は満足げに頷く。「営業部といっても、商品企画、販促、そして通販まで、全部まとめてここでやる。いわば、フューチャーテックの本体みたいなもんだ」その言葉に、品川がニヤリと笑う。目黒も胸が高鳴った。これから何が起こるのだろうという期待感が、事務所全体に漂っている。


 こうして、山手をトップに、販促の上野、ネット通販の品川がそれぞれ部門を率いる三チーフ体制が動き出した。目黒は正式に品川の部下となり、ネット通販部の一員に。一方で三田は、引き続き改装プロジェクトに専念するため、ショールーム担当として独立した扱いとなった。


 事務所のレイアウトも一新された。旧事務機器スペースは広々とした営業部エリアとなり、手前には上野率いる販促チームのデスクが並ぶ。その隣に、山手の通販チーム。そして、一番奥まった場所が、品川と目黒の席だ。それぞれのエリアは、文化祭のクラスの出し物ブースが隣り合っているような、そんな賑やかさと一体感がそこにはあった。


 ~文化祭は、再び始まる~


 新しい営業部エリアへの引越し作業が一段落した日の午後。これまで使っていたパイプ椅子とは違う、背もたれ付きの、そして何よりもキャスターが付いた事務椅子がそこにあったのだ。目黒は恐る恐る椅子に腰掛け、そっと床を蹴ってみた。「す、滑る……!」くるり、と無意識に回転してしまう。


「どうすか、目黒くん。新しいオフィスは快適でしょ?」品川は自分のキャスター椅子を器用に操り、目黒の隣に移動してきた。「最高です!これで作業効率も格段に上がります!」目黒は満面の笑みで答える。品川は満足げに頷き、ふと視線をパーテーションの向こうに向けた。そこは、社長室へと続く通路であり、その手前には社長のデスクがある。


「ちなみに、このついたての向こう、社長席なんすよ。つまり……」品川は悪戯っぽく目を細め、天井を指差した。「ここにWebカメラ設置して、社長の動向を全社配信しましょうよ。新たな社内エンタメとして。なんなら、社長のパソコンをこっそり画面共有しちゃうとか」


「やめてください!文化祭のノリが過ぎますって!それはもう完全にアウトです!」

 目黒のツッコミが、新しい営業部に響き渡った。その声は、以前よりもずっと大きく、ハリがある。


 通路の向こう、別棟では三田が熱心にショールームのレイアウトを見直しているのが見える。周東店で感じたあの熱気、本社に来てからの目まぐるしい日々、そして今、新たなプロジェクトが、まさに目の前で動き出そうとしている。


 あのとき終わったと思っていた文化祭は、形を変え、場所を変え、今まさに、ここで再び始まろうとしていた。目黒は、胸の高鳴りを抑えきれずに、もう一度、キャスター椅子をくるりと回転させた。その顔には、確かな手応えと、未来への期待が満ち溢れていた。

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