第6話:居場所のつくりかた
~誰かの代わりじゃなく~
フューチャーテック周東(しゅうとう)店の店内で、電話のベルが鳴った。目黒はレジ横の受話器に手を伸ばす。開店してまだ1時間半なのに、もう3件目の電話対応だ。「はい、フューチャーテック大崎・周東店でございます」
受話器の向こうから流れてきたのは、どこか訛りのある英語だった。“Hello? This is Chen from NovaTech. Is Mr. Nishidai available?” 目黒はごく自然に英語で返した。“I'm sorry, Nishidai is currently out on delivery. May I take a message for him?”
“Oh, I see. Could you ask him to call me back about the shipment of gaming monitors? It's rather urgent.” 目黒は落ち着いた声で返した。“Certainly. I'll make sure he gets your message as soon as he returns. Could I have your contact number, please?”
「英語、できるんだ」と背後から声がした。振り返ると、給湯室から戻った三田が立っていた。目黒は少し照れくさそうに首を傾げる。「あ、はい。塾で英語教えてたんで」
「へぇ〜、店長、英語の取引先多いから助かるよ」三田はマグカップ片手に、いつもの席に腰を下ろして、コーヒーを一口飲む。「昔は大手の商社にいたんだってさ。英語の仕入れ交渉も任されてたらしいよ」
「そうなんですか?」目黒が目を見開くと、コーヒーの香りがふわりと漂う中、三田は話を続けた。「うん。無理して働き続けて、体を壊しちゃったの。地元に戻るしかなかったみたい。大崎社長とは高校の先輩後輩らしいよ」
目黒は事務机の上のメモ帳を手に取り、先ほどの英語での伝言を書き留めた。その横には、「陳さん・NovaTech・ゲーミングモニターの件」と日本語でも丁寧に添えておく。
「おぉ、きれいな字だね」と千石が声をかけてきた。目黒より年下の先輩だが、いつも明るく気さくに接してくれる。目黒は軽く首を振り、「でも、生徒からは『なんとなく読めるけど、すごく見づらい』って言われてました」と笑った。
二時間後、汗をぬぐいながら納品から戻ってきた西台に、目黒はすぐに声をかけた。英語での伝言メモを手渡し、状況を簡潔に説明する。西台は一瞬目を見開いたが、すぐに表情を緩めた。「助かるよ、目黒くん」
「しかし、品川くんが言ってたのはこれか……」西台の独り言のような呟きに、目黒は首を傾げた。だが、その直後、ふと気づく。品川は、自分のスキルについても、今回の配属についても、店には何も伝えていなかったのだ。
西台は無言のまま事務所の電話に向かい、受話器を取った。その横顔を見つめながら、目黒は思った。突然、放り込まれたように始まったこの職場が、いつの間にか,、自分にとって、“居場所”と呼べる場所になりつつあるのかもしれない。
~道を選ぶということ~
「よし、ちゃんと積んだな」千石が周東店の駐車場で、営業車の荷台を確かめた。目黒は助手席のドアに手をかけ、少し緊張した面持ちでうなずく。入社から二週間、今日は初めて法人顧客への納品に同行する日だ。
「緊張してる?」ハンドルを握りながら、千石が笑顔で尋ねてきた。「大丈夫だよ。志村製作所は優しいお客さんだから」そう言って、千石は車を発進させた。営業車は店を出て大通りへと入り、やがて海沿いの道に出る。窓の向こうには、工場の大規模な設備が整然と並んでいた。
「実は僕も、最初は緊張したんだ」運転席でハンドルを握りながら、千石がぽつりと口を開いた。「もともと工場勤務だったんだけど、お客さんの声を直接聞きたくて、営業希望したんです」助手席の目黒は、思わず千石の横顔を見る。「工場から営業へ?」
「うん。組み立てる側と、使う側。両方を分かってた方がいいなって思ってさ」道路標識に目をやりながら、千石が軽く笑う。「それに、人と話す方が性に合ってるし。意外と面白くて……このままずっとやれそうっす」
「なるほど……」目黒は考え込むように窓の外を見た。千石のように、自分の意思で道を選び取る強さ。自分に、それはあるだろうか。化学薬品の匂いが窓から入り込み、鼻をツンと刺す。車は工業団地に入っていき、やがて「志村製作所」と書かれた看板の前で停車した。
「じゃあ、取りあえず事務所に行こう」千石は車を降り、荷台からモニターの入ったダンボール箱を持ち上げた。目黒も後を追い、周辺機器の入った箱を手にする。二人はそれぞれの荷物を載せた台車を押しながら、受付の女性に「お届けです」と軽く挨拶し、システム管理室へと向かった。
奥のデスクには、がっしりとした体格の中年男性が座っていた。千石が明るい声で挨拶する。「お疲れ様です、フューチャーテック大崎です。ご注文いただいたモニターをお持ちしました」男性は立ち上がり、机上の書類に目を通しながらうなずいた。「ありがとう。えーと、確か五台だったよね」そう言って、台車のダンボール箱を一つひとつ目で確認する。
「はい。それと、先日ご相談いただいた旧型PCのメモリ増設も、あわせて確認させていただきます」千石は後ろを振り返り、「こちら、うちの新人の目黒です」と紹介した。「よろしくお願いします」目黒は深く頭を下げた。
千石は古いデスクトップPCの筐体を開き、メモリスロットを確認した。増設が可能かどうか、慎重に見極めている。その作業ぶりを横で見ていた目黒は、丁寧さの中に無駄のない動きを感じた。迷いのない手つきには、工場勤務で培った技術と経験がにじんでいる。
「増設できますね。来週、部品を持ってまた伺います」千石の説明に、男性は満足そうにうなずいた。帰りの車の中で、千石が目黒に声をかける。「いい感じだったよ。最初から緊張してるようには見えなかったし」
「ありがとうございます。千石さんのおかげです」目黒がそう返した瞬間、スマートフォンが震えた。画面には「品川」の名前が表示されている。信号待ちで車が止まったタイミングで、目黒は通話ボタンを押した。「「やあ、元気?」スピーカー越しの声が、変わらぬ軽さで耳に届いた。
「いい知らせがあるんだ。アパート、決まったよ」品川の言葉に、目黒は思わず声を上げた。「え、本当ですか?」軽い調子のまま、品川は続けた。「そう。来月からは本社勤務、よろしくね」
「どうした?」千石が横目で目黒を見る。「本社勤務が決まったみたいです」目黒の言葉に、千石はハンドルを握ったまま声を弾ませた。「おぉ!おめでとう。寂しくなるけど……成長のチャンスだよ」
目黒は、嬉しさと戸惑いが交錯する気持ちを抱えながら、窓の外に視線を向けた。化学プラントの設備が並び、わずかに熱気が漂っている。信号が青に変わり、車が静かに走り出す。窓から吹き込む風が、目黒の頬を優しくなでた。
~去る者、残る者~
閉店時間が近づき、店内の掃除を終えた目黒は、在庫表の更新に取り掛かっていた。数字の羅列に目を凝らしていると、ドアが開き、チャイムの音が鳴る。顔を上げると、見慣れない中年男性が入ってきた。
「お疲れ、三田」低く張った声が店内に響いた。三田は軽く会釈し、奥のテーブルへ案内する。「春日店長、どうぞ。お茶、お持ちしますね」春日と呼ばれたその男は、わずかにうなずいた。大柄な体格に加え、その声だけでも十分に存在を主張していた。
三田と春日が打ち合わせを始める中、目黒は黙々と在庫表に向き合っていた。蛍光灯の光が在庫表の数字を浮かび上がらせ、時折、春日の大きな笑い声が響く。しばらくして、不意に春日の視線が目黒の方に向けられた。
「ああ、君が品川くんのご自慢の部下か」春日の思いがけないひと言に、目黒は手を止めた。その様子を見ていた西台が、苦笑いして言う。「店に送られてきたFAXに、“品川推薦”って、二重マルまでついてたからな」
「品川くん、もともとはここにいたんだよ」西台は懐かしそうに目黒へ語りかけた。「ネット通販がない会社なんて時代遅れだって、社長にレポートを送ってさ。そしたら『じゃあ、お前がやれ』って話になって、本社行きになった」少し笑ってから、続けた。「で、そのあとを継いだのが……千石くんってわけ」
「それにしても、三田さんの後任はどうするんだ?」春日が問いかけると、西台は肩をすくめて答えた。「まだ決まってない。本社の指示待ちさ」その声には、どこか諦めを含んだ響きがあった。
「私、再来月から本社に異動なの」三田が何気なく言った。「目黒くんと、また一緒になるかもね」驚いた目黒が顔を上げると、三田は続けた。「本社の倉庫兼店舗を、ショールームにするらしくて。私、そこの店長になるの」口調は淡々としていたが、その目にはどこか寂しさがにじんでいた。
店内の時計は午後八時を指していた。三田と春日は、カウンターに広げたリフォーム計画の図面に目を落とし、熱心に話し込んでいる。目黒はパソコンの前で、在庫データの入力に集中していた。西台と千石はレジ横で、明日の配送予定を確認している。
それぞれが自分の役割を果たしながらも、ひとつの空間でつながっている。この光景は、どこか文化祭の準備を思わせた。空気には熱がこもりながらも、心地よい緊張感が漂っている。蛍光灯の下、それぞれが、自分なりの“明日”を静かに準備していた。
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