「それで、きょうはの?」


 チエは並んで歩くレオナに問いかけた。

 駅までは送らないが、校門までなら近い。


「軽井沢はまだまだ寒いですからね。おそらく初夏、妹のレイラが高地療養に移ってからは、上から通うことになるでしょう」


 レオナの妹は身体が弱く、夏場は軽井沢にこもっているらしい。

 言い換えれば、それ以外の季節は東京に住んでいる。


「新幹線通学か。もうすこし待てば、わたしもできたのかな。……けど、この程度で寒いしばれるとか、内地人は弱いわね」


 北海道札幌市出身のチエ。北海道新幹線の札幌延伸は、まだもうすこし先になる。

 この道産子に「寒い」と言わせるには、すくなくとも氷点下(できれば2桁)が必要だ。


「東京は東京で、別のがありますよ」


 怜悧な視線にこもる実感が、レオナの言質の裏にある深淵をうかがわせる。

 コンクリートジャングルを襲う、質の異なる寒さの正体。

 公家と武家の血を受け継ぐ彼女の家は、東京の上野桜木に豪邸を構える元華族だ。


「人間のエゴのこと? そういう意味なら、そうかもね……」


 察したように目を細めてつぶやくチエ。

 徒歩圏内なのに上野駅まで自家用車を飛ばすレオナが、新幹線に乗るまでには10分もかからない。

 そもそも上野に新幹線が止まる、などという「地域のエゴ」を押し通したのも、吉祥院家の後押しがあってこそ、という見立てもある。


 かつて「北の玄関口」と言われた上野は、すでにその役割を終えている。なくなっていいという意味ではない。さほどということだ。

 再開発の波もあるが、基本的には「止まる必要のない」駅に、なぜわざわざ新幹線をのか? 東京駅に集約すればいいものを、混雑の分散などというもっともらしい理由をこねくりまわし、わざわざ「お隣」に駅をつくらせて、日常的に遊休スペースを生み出している理由は?

 もちろん、地域エゴだ。


「人間がなぜ、ここまで明確にいけるのか。畏れてばかりはいられません。この山を掘り抜き、駅を築く人々が相応の利益を得る。世の中はそうして動き、われわれはその上位文脈に立つ者であると、あなたなら理解できるのではなくて?」


 レオナたちが通学に使う安中榛名駅も、同断である。

 人間よりシカやサルが多い群馬の山奥に、駅などつくる必要があるか?

 ──県内に駅をつくらなかったら新幹線なんか通さないぞ。

 そういう


 政治や商売の世界で地位を得るような、エゴイストのごり押しによって動かされる社会、マーケットの暴力が席巻する世界こそがリアルだ。

 若いうちに、現実を動かす正体不明の「力」の意味を理解すること。


 パワーポリティクスとハイソサエティ、生き馬の目を抜く世界線で生きていくことを余儀なくされる令嬢たちにとって、ここは必要不可欠の教訓に満ちている。

 その名は治外法権の学校法人、セント・エリー。



「だけどね、ミュウがあの遺跡に連れて行ってくれたことは、よかったと思ってる。いろいろ、見えてはいけないものが見えてしまったことは、事実なの」


 チエの言葉に、ぴたりと足を止めるレオナ。

 厳然たる物質主義者で物理と数学の化身のような科学少女であると信じているが、よもやあの忌まわしい霊感少女に感化されたわけでもあるまいに……。


「見えてはいけないもの? それは……」


「いいえ、見るべきもの、と言ったほうが正しいわね。この土地には、たしかに人間が暮らしていた。そう、何千年も、何万年も昔から、人類はこの地で営為をくりかえしてきたの。あの遺跡が何世紀のものであったとしても、それを築いた人々が伝えたいことを、後世のわれわれは感じ取る義務がある」


 なるほど、とレオナは納得する。

 見方によっては「霊験あらたか」な地も、べつの見方をすれば「考古学的」な地になる。

 チエはそのような「ロマン」を感じたのであろう、と推察してうなずく。


「よかったわね、チエ。群馬には遺跡が多いわよ」


「うん、だからね、あんなふうに乱暴に掘ってはいけないと思うの。あたしにそんな感傷的なところがあるとは思わなかったけど、だから土偶とか埴輪とか、見えた気がしたのかも」


 ミュウの頭からむしり取られた土偶の足を手に、つぶやくチエがなにを考えているのか、レオナにすら容易に察しえない。

 ただ、なにかおそろしいものに接したような雰囲気が伝わってきた。


 いや事実、印象は事象をともない、連続的に流転する。

 たしかに聞こえたのだ、背後から底冷えのする、低い声が。

 ハッとしてふりかえるチエとレオナの視界に、どう見ても──ゾンビ。


「よくもおれをォオ、目覚めさせたなァア」


 ゾンビが出現した!

 あまりに非現実感に、ぽかんとして立ちすくむふたり。


「ギニャァオァワアァーッ」


 そのゾンビに追いかけられているのは、ミュウ。

 ゾンビの住処を荒らした者がいるとすれば、その罰を受けるにふさわしいのは、たしかに彼女をおいてほかにない。


 大金持ちの令嬢が、涙と鼻水を垂らしながら絶叫して、転がるように逃げていく。

 彼女に恐慌を与え、途中まで追いかけていたゾンビが、ピタリと動きを止める。

 レオナたちは一瞬ひるんだが、すぐに全身から力を抜いた。


「あひゃひゃひゃひゃ」


 ゾンビの仮面を脱いでその場に座り込み、笑い転げている長身の女。

 チエとレオナは顔を見合わせ、短く嘆息する。


「趣味がよくないわよ、マコト。かわいそうに、本気でおびえてたわ」


「いい薬です、あの娘には」


 チエのやさしさを、ひとことで切り捨てるレオナ。

 放課後の最後を飾る茶番としては、じゅうぶんにおもしろかった。

 それを評価して終われば、きょうという一日は終わり。

 ──そんな簡単な終わりを、許しはしないものがあるとしたら。


 瞬間、少女たちの視線が交錯する。

 無数の目が、自分たちを取り巻いている気配。

 埴輪のように周囲を取り囲むゾンビの影が、幻視された──ような気がした。


 その一瞬、彼女たちはたしかに感じたのだ、恐怖を。

 この伝統ある女子校には、おそるべき秘密がある──。


「この学校、ヤバいわね」


 唯物論者のチエは、はっきりと口にした。

 2年生になるのに合わせて、転校した学校に対する最新の評価だ。


「……入学したこと、後悔しているの?」


 レオナの問いに、しばらく無言で考えていたチエは、静かに答えた。


「いいえ、むしろ僥倖、最適解かもね」


 ここがどんなところだとしても、それ以前にいたところよりはマシ。

 ──どうやら、そういうことらしい。

 ここにいる全員、たかが高校生と断じえない程度には、それなりに背負うものがある。


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