第37話 沈ム者タチノ標本室

咲守の目を頼りに辿り着いた、マチュア第六研究所は信じられない場所に隠されていた。

大型炉の中に入口があるなんて誰が想像するだろう。


途中で合流した舜介と2人で炎のホログラムの中を奥へと進んでいく。


「現実とは思えない。まるで映画のセットみたいだ」


舜介は辺りを見回して、独り言のように言った。


「俺たちが知ってる世界なんて、本当に表面なんだろうな」


「知らずにいられたら、それが幸せなのかもよ」


「それについては大いに同感だ」


俺は腰から拳銃を抜いて構えた。

舜介も静か構え、目の前の大きな扉のカードキーをリーダーにかざす。


扉が開き、様子を伺いながら研究所内に入る。

後方の自動ドアは次第に閉まり始める。

俺は急いで小さな懐中電灯を取り出して点灯した。


「エントランスはどこの研究所も同じ作りみたいだ」


「第四もこんな感じだったの?」


舜介も自分の懐中電灯を取り出して辺りを照らしている。


「あぁ。でも・・・第一は生きてるんだ。第四、第六は死んでる」


「・・・何となく、言わんとしてることは分かる」


舜介は朽ち果てたエントランスを見渡した。


「咲守曰く、地下1階くらいに軌跡が残ってるらしい」


「俺さ、地下って苦手なのよ。窓がさ、ないって気が滅入らない?」


「あー・・・そうだな。俺もそう思う」


ゆっくり慎重に歩を進める。

今俺たちが探しているのは、高科雅貴と一色さん。

そして、その2人を探すとなると、かなりの確率で咲守の拳銃を持った鳥成雷と対峙することになるだろう。


「非常階段から行くぞ」


「エレベーター使えない?」


「箱の中じゃ、いざって時に逃げ場がないだろ」


「そうか」


舜介は普段こんな事件は扱わない。

場慣れしていないというのは、不安要素になるかもしれない。


第四研究所と同じ作りであれば、この廊下の奥に非常階段があるはずだ。

周囲を警戒しながら、ゆっくりと足を進める。


「なんか、ぬるっとしないか?この辺・・・」


舜介がかがんで廊下の様子を見ている。


「・・・亨、これ、血だ」


「え」


舜介の人差し指には赤黒い粘り気のある物がついている。


「見ろ。飛び散ってる」


舜介が壁を照らした。

目線より下の辺りから天井にかけて、しぶきのような跡。

生乾きの血液がべっとりとくっついている。

意識した途端、鉄のようなにおいがしてきた。


「首でも切らなきゃこうはならないな」


「そうだね。ここは犯行現場だ」


舜介は瞬きもせずゴクリと生唾を飲み込んだ。


「舜介、大丈夫か?一課でもこんな現場は滅多に見ない。この先はもっと酷いと思う」


「だ、大丈夫。動けるの俺と亨しかいないんだから、頑張らないと」


壁を見上げる顔は青ざめている。

それでも、舜介は廊下の奥を照らして進み始めた。

案外、雄々しい背中が目に映り、ちょっとだけ笑みが零れる。


「俺より先を歩くなんて、歩人なら絶対しなかったな。舜介は結構勇敢だな」


「え?あぁ、俺、これでも妹が2人いるお兄ちゃんだからね」


「へぇ。舜介に似てんの?」


「マトリョーシカって言われる」


「同じ顔ってことか」


鼻筋の通った顔であることを鑑みると、妹達は美人系か。

しょうもない事を考えていると、非常扉の前についた。


「ここだね」


「あぁ。俺が先を行く。舜介は後方を守ってくれ」


「分かった」


舜介が後ろに回ったことを確認し、俺は非常扉を開ける。

中を覗くと、上下に連なる螺旋階段が見えた。

階段は防護壁になるものがなさすぎるスカスカな骨組みで一抹の不安が過る。

撃ち合いになった場合、地の利を知っている分、雷の方が有利だ。


「人の気配は感じないが・・・用心して降りるぞ」


「亨は行く先を見てて。俺は上を見てるよ」


「あぁ。頼む」


互いのポジションを確認しながら、一層暗い闇へと向かう。

カン!カン!と金属板を踏む足音だけが響く階段は無限に続いているような錯覚がする。


暗く視界が狭いこの場所で襲われるのだけは避けたい。

心なしか速足になる。


「亨、これ」


振り返ると壁を照らす光が見えた。


「また血だ・・・。血が付いた指で壁を触ったんだ」


懐中電灯の光に映し出されたのは間隔の狭い指の跡。

血が付いた手で壁を伝って歩いたような跡だ。


「この建物がこれまでの事件の犯行現場であるとするなら、夥しい量の血が流れてるはずだ。あっちこっち血まみれだな」


俺はふっと階段の上を照らした。

光の筋が通った一瞬。


青白い顔がこちらを見て笑っていた。

穴を穿ったような目が半月型に弧を描き、口元は大層赤い。


あれは鳥成雷だ。


認識した瞬間に冷水を浴びたように背筋が凍る。



「あっ・・・!」


俺の声に驚いて舜介が上を照らす。


「ど、どうしたの!?」


舜介が照らした時にはもう何もいなかった。


「い、行くぞ!走れ!!」


俺は咄嗟に舜介を前に押し出し、走るように強い語気で言った。


「何かいた!?」


慌てて駆け降りる俺たちの背後から、カンカンカンカンと一定のリズムの足音が追いかけてくる。

距離が詰まってくるような錯覚に背中が凍る。


「急げ!」


「やばいねこれは!」


いる。

目には見えないが、確実に俺たちの頭上から追いかけてきている何者かがいる。

少し下に非常扉が見えた。


「非常扉だ!とにかく中へ!」


舜介が駆け降り、非常扉を開けた。

中を確認している場合じゃない。

とにかく俺たちは扉の中へ入り、鍵を閉めた。

急ぎ耳を扉にくっつけて、音を確認する。

何も聞こえない。

どこへ行ったんだ。


拳銃を握りしめた俺の手は冷や汗でぐっしょり濡れている。

舜介は肩で息をして、左右を見渡した。


「地下1階だ。出入口になりそうなのって、動くか分からないエレベーターだけかな」


「あぁ、多分な」


「足音は?」


「聞こえない」


「まずいね。唯一の出入口が塞がった。電話通じるかな」


舜介はスマホを出して電波を確認した。


「予測はしてたけど、やっぱり圏外。鉄板に覆われすぎてる」


「咲守と連絡取れないのはやばいな」


小声でやり取りをしていると、廊下の奥からチーンという音が聞こえた。


一瞬、息が止まった。

俺たちは音がした方向を見たが、あるのは暗闇のみ。

何が動いていても分かりはしない。


「今のって・・・」


「・・・エレベーターの開く音だろう」


俺は舜介の懐中電灯に目をやり目配しをした。

頷いた舜介が懐中電灯の明かりを消す。

そして俺も消した。


そっと音を立てずに非常扉の鍵をあけ、扉を開いて階段を確認した。

多分、誰もいない。


俺は先に扉を出て懐中電灯を灯す。

上下左右、何もいない。

急いで舜介の腕を引っ張り、扉を閉めた。


「駆け降りるぞ」


「うん」


一斉に螺旋階段を駆け降りる。

足音がこだまして、数人分の足音のように聞こえるのが正直怖い。


一番下の床が見え始めた。


舜介が数段飛ばして降りていき、地下2階の非常扉をそっとあけて左右を確認した。


「誰もいないと思う」


そっと扉の中に入り、再び暗闇の廊下へと歩を進めた。


念のため、非常扉の鍵は閉めた。


「ど、どうする?」


「どうって。逃げ隠れしてたって始まんねぇし、ここらで戦うんだよ。でも光が欲しいな。どこか電気が通ってるところはないのか?ここの構造が分かんない分、俺たちは結構ピンチだ」


「分かってたって、化物相手じゃピンチに変わりはないよ」


舜介は廊下の奥を懐中電灯で照らした。

随分長い廊下のようだ。


ふっと、何かの臭いがした。


とても嫌な予感が全身を覆う。


俺は廊下の奥を凝視した。


「舜介、お前後ろを守ってくれ。俺が前を行く」


「うん。分かった」


嫌な予感のせいで俺の心臓が早鳴る。

進む廊下は暗く冷たく、生を拒絶しているようで、とても居心地が悪い。


忌まわしい場所というのは確かにある。

生あるものが立ち入ってはいけない領域があるんだ。

人ならざる者が行き来するそこは、俺たちが入っていい場所じゃない。


この建物自体がそれだ。


そして、この最深部。


覗き見てはいけない地獄が待っていることは、もう俺は分かっていた。


鉄の重たそうな扉が一つ。

観音開きの扉が少しだけ開いている。


「・・・ねぇ、亨。何か、臭わない?」


鉄の扉から漏れる血のような臭いと、腐敗した肉の混じったような臭い。


「舜介、鼻と口は覆っておけ。お前はここにいていい」


「ば、馬鹿言うなよ。駐在所のお巡りさんだって立派な警官だぞ。行くよ」


「・・・しばらく肉は食えないと思っとけ」


舜介はゴクリと喉を鳴らした。


「行くぞ」


俺は観音扉を思いっきり開く。


途端にきつく臭う、ツンとした酸のような臭い。

目もしびれる様だ。


「うっ・・・なに・・・」


舜介は腕で鼻と口を覆っている。


ゆっくりと部屋中を懐中電灯で照らす。


少ない光量に映し出されたのは・・・。





「亨!!これ!!!」


「・・・地獄絵図だ」





壁一面に埋め込まれたホルマリンの水槽に漂う、手、足、臓器──静寂の中で、死が保存されていた。

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