第38話 怨嗟ノ花園
「さぁ、歩人。行こう」
咲守は腕で涙を拭い、自分で点滴を外してベッドから降りた。
「咲守はまだダメだろ!そんなフラフラで行けるわけない!」
俺は慌てて咲守をベッドに座らせた。
「大丈夫。体はちょっと怠いだけ。目が・・・痛むけど、こんなの第四研究所にいた頃はしょっちゅうだった。痛みと光に怯えてる場合じゃない。一色さんが危ない。行かないと」
俺の腕を力強く握った咲守は再び立ち上がり、病室を出た。
あたりには見張りの警官がウロウロしているのに誰もこちらを見ない。
廊下をすれ違う医師も看護師も、咲守の姿をまるで“見えていないかのように”通り過ぎていった。
「誰もこっちに気が付かない?」
「僕の新しい力だよ。第四研究所で見つけたファイルにあったように、他人の視覚にも干渉できるみたいだね。見たいものだけ見えて、見せたくないものは見せない。凄いな」
「マチュアの力か」
「あんまり使いすぎるなってお兄さんから言われてるから、ここを出たら解く」
グイグイと腕を引っ張って廊下を進んだ咲守は、突き当りの階段をとても危なっかしく降り始めた。
手摺を両手でつかみ、片足ずつ、でも急いで降りようとする。
「亨くん達は僕の指示で第六研究所の地下へ向かった。まだ鳥成透曄は第六研究所内にいる。僕の拳銃を持ったまま潜伏してるし、一色さんの軌跡が・・・異常に濃い。非常にまずい状況なんだ」
「え!ここから臨海コンビナート内の軌跡が見えるのか!?」
「あぁそうだよ。千里眼って知ってるかな?詳細までは分からないけど、確かに唐紅、淡黄、そして濃い葡萄茶が近い位置で見える」
「葡萄茶が一色さんか?」
「そう。僕はね、一色さんの色、嫌いじゃないんだ。不愛想だけど思慮深い色で、とても彼らしい。このとんでもなく個性の集まったチームをまとめ上げる知性の色だよ。僕らをまとめられるなんて彼以外にあり得ない。優秀で、本当は誰より優しい指揮官を絶対に助けたいんだ!」
咲守の声は切実だった。
俺はてっきり咲守と一色さんは仲が悪いのかと思っていたが、実際はそうではないらしい。
大切な仲間を失ってたまるかと、奥歯を食いしばって痛み立ち向かう姿が大きく見えた。
「咲守、まだちゃんと見えないんだろう?俺に掴まって」
手摺を持っていた手を俺の肩に回した。
「おぶって行くよ。早く乗って」
「歩人・・・ありがとう」
ずしっと背に感じる命の重みと温もり。
本当に散らなくてよかったと改めて思った。
「亨ほどじゃないけど、俺だってそこそこ鍛えてんのよ。咲守1人背負うくらい何てことないさ」
俺は軽々と階段を下りるフリをする。
本当は着瘦せして見えていた咲守の重さに驚いていた。
こいつ、案外マッチョだ!
「僕もこう見えて、結構鍛えてるのよ。重量あってごめんね」
見栄を張っているのはバレバレだった。
「・・・俺はもっともっと鍛える。この件が済んだら、亨にメニュー組んでもらう」
「ふふふふ。そうしなそうしな」
1階に着くころには俺は肩で息をするほど消耗していた。
「大丈夫?ごめんね」
咲守が申し訳なさそうな顔で覗き込んだ。
「へ、平気。さ、いこ」
俺は咲守の手を引いてエントランスに出た。
病院は多くの人が行き交っているが、誰も俺たちを気に留めることはない。
堂々と正面玄関を出て、駐車場へと急いだ。
特殊犯罪課の覆面パトカー前に誰かいる。
白衣に派手なパンツと大きすぎる黒いリュック。
あれは多分、間宮だ。
間宮を見つけた咲守は大きく手を振った。
「間宮くーん!」
こちらに気が付いた間宮の形相は鬼だった。
俺たちは病室を抜け出している身にもかかわらず、間抜けな顔で医者に手を振っていたわけだ。
「おいこら馬鹿ども。咲守はまだ動ける状態じゃないんだぞ。主治医に黙って何抜け出してんだ」
間宮って怒るとこんな怖い顔するんだな。
怒鳴り散らすような怒り方じゃないが、奥歯をギリギリ言わせているようなイメージ。
「ごめん。でも、僕たち行かないと」
さすがにちょっとしゅんとした顔を見せた咲守。
「あのなぁ咲守。きちんと回復を待たないと失明するぞ」
「一色さんの軌跡に異常がある。失明が何だっていうんだ。僕は行く」
しゅんとはして見せたが、一歩も引かないぞという姿勢。
俺はどうしていいか分からず、睨み合う2人の間で1人オロオロしていた。
「マチュア薬は何が入ってるか分からない。最悪、死ぬぞ」
「だとしても、一色さんを助けに行かない選択肢なんて僕にはない。もし行かずに一色さんが死んでしまったら、僕はきっと後悔に苛まれてどこかで自死するよ。同じ死でも、行って死ぬ方がいい。行かずに生きることの方が僕は怖いんだ」
両者とも言っていることは間違いではないと思う。
でも、咲守が死ぬのも、一色さんが死ぬのも、どちらもあってたまるかと思った。
「とにかく医者の判断として、お前を行かせるわけにはいかない。病室に戻れ」
「だめ。僕は行く。僕の目がなきゃたどり着かない」
「咲守」
「間宮くんが一緒ならいいでしょう?そのリュック、救急道具が入ってるんでしょ。一緒に行くつもりで来てたんじゃないの?」
小さな舌打ちが聞こえた。
「歩人に同伴するつもりで待ってはいた。でも、お前が付いてくるのは予測してなかった。碌に見えてもいないくせに、お前はどうしようってんだ?」
「確かにあまり見えてはいないよ。でも、軌跡は前よりうんとハッキリ見える。僕は僕の役割を果たすんだ」
しばらく沈黙の睨み合いが続いたが、程なくして間宮は眉間に皺を寄せまくって空を見上げ、がっくり首を落として深い深いため息をついた。
「あーもう。咲守は俺の傍を離れるなよ。歩人を追って走り出したら、その場で足の骨折ってやるからな」
根負けした間宮が咲守の手を引いた。
「うん!ありがとう間宮くん!歩人、急ごう!」
俺は頷き、パトカーに乗り込んだ。
行先は△△臨海コンビナート。
この病院からは約1時間ほどかかる。
間に合うか・・・。
後部座席に座った咲守と間宮がシートベルトを締めた。
バックミラーで2人を確認し、出発。
パトライトを点けて、サイレンを鳴らす。
現場へ急行だ。
咲守はすぐさまスマホを出して誰かにコールしている。
「亨たちにかけてんの?」
「うん。でも、電波が届かない場所にいるみたい。地下に入ったのは間違いなさそう・・・あ!折り返しがきた!」
慌てて電話に出た咲守は、数分ほど何やら話しを聞いて、間宮を見た。
「ど、どうしたんだよ」
咲守は渋い顔で間宮にスマホを渡した。
間宮は困惑した顔でスマホを受け取り、恐る恐る電話に出る。
「もしもし?あぁ、舜介。え?・・・・・・なんてこった。わかった」
また間宮も渋い顔でスマホを切った。
「何事?」
俺はバックミラー越しに2人を見た。
「地下2階で多数のバラバラ遺体を発見したって。これまで遺棄されていたパーツの持ち主達と・・・多分、その他の研究員も犠牲になってるらしいし、多数の子供のパーツもあるらしい。しかも・・・尋常じゃない数がホルマリンプールに沈められてるって言ってた。引き揚げたら、俺の病院に渡すってさ」
「研究所にはホルマリンプールなんてのがあるのか。何のためにそんなの造ってたんだ?」
「死体保存のためだろうな。インマチュア達は死んでなお実験材料として保管されてたんだろ。死体といえど、採取できるデータはあるはずだ」
「悍ましいものを造ってたもんだよ。まさか自分たちがそこに浸かるとは思ってなかったろうね」
「朗報なのはその中に一色さんはいないってことだけ。今、亨が応援と鑑識を呼んでるって。寺岡課長も現場に来てるらしい。犯人も一色さんもいなかったらしいけど、この後どーすんだ?」
「それなんだけどね、歩人、行先変更。一色さんの軌跡が凄いスピードで移動してる。あっちも車で移動してるな。多分、方向的には〇△区」
「〇△区?俺が小さい頃に住んでた地域だ」
俺は肝心要の約束を思い出した。
田所悠太との約束だ。
「・・・俺、行先に心当たりがある。・・・十中八九、行先はそこで間違いないと思う。しっかり掴まってて、飛ばすよ」
「それってどういう・・・」
「俺もよく分からない。田所悠太が俺と一色さんを助けた時に言ったんだ。第六研究所を無事に出たら、幽霊屋敷で落ち合おうって。そこで鳥成雷に関する詳しい話しをしてくれるって。目まぐるしく変わる状況で一瞬忘れてたよ」
「幽霊屋敷って穏やかじゃないな」
「あぁ。〇△区には、昔殺人事件が起こったお屋敷が今も残ってる。地元じゃ有名な心霊スポットだよ。何故かそこを指定されたんだ」
「隠れ家かな」
「あの幽霊屋敷は随分昔から人が隠れ住めるような場所じゃなくなってる。でも、鳥成雷に関係してる場所なんだろう」
「元住人なんじゃない?」
「あのお屋敷に子供が住んでたなんて話しは聞かないけどな」
鬱蒼とした林の奥にある大きなお屋敷だったはずだ。
俺は隣町だったから、詳しくは知らないが、それでもバラバラ殺人事件の話しは聞こえていた。
その話しの中に幼い子供がいるような話しはなかったはずだ。
「まぁ、なんにせよ、手掛かりは田所悠太が知っているはずだね。急ごう」
〇△区までは車で20分ほど。
車窓から見える景色は、段々と懐かしい風景になってきた。
戸建て住宅は時を重ねて佇んでいるが、アパートやマンションは記憶にないものが多い。
見覚えなのないコンビニやドラッグストアが立ち並び、元あった建物は思い出せない。
あんなに見慣れていた町が、今は違う町のようだ。
隣町へ行く途中、ハナちゃんと出逢った公民館を横切った。
思い出の公民館は随分と新しくなっていた。
最近改装されたんだろう。
2人で遊んだ図書コーナーはもうないんだなと思った。
あの日、俺はハナちゃんからとても悲しくて大切な話しを聞いた気がしている。
この事件に大きな関わりがあるのかもしれないが、思い出せない。
田所悠太の話しで何か思い出せるのだろうか。
川沿いを進み、小さな公園を曲がると、薄暗い林がある。
そこに伸びる1本の道。
ギリギリ車1台が通れる道幅。
車道には枯れた雑草が生い茂り、今はもう誰も通らないことが窺い知れる。
「車進めるのは難しそうだ。ここに停めて歩いて行こう」
俺は林の手前に覆面パトカーを停めてバックミラー越しに2人を見た。
間宮は林の奥を見つめて言った。
「・・・良くないものが見える。なぁ咲守」
「・・・そうだね。名前の通り、とても恐ろしい場所だここは」
俺は2人が見つめる林の奥を見た。
何も見えはしないが、確かに異様な雰囲気はある。
「咲守の目には・・・何が映ってるの・・・」
「・・・鈍色の針金が張り巡らされてる。点滅が激しい。憎悪がこの土地を覆ってる」
「間宮は?」
「・・・女の人がこっちを睨んでる。自分の首を鷲掴んで立ってるんだ」
「それってどういうこと?」
「首・・・切り落とされたんじゃないかな」
俺は間宮の視線の先を見つめた。
何も見えはしないが、恨めしくこっちを見ている首を想像して非常に怖気づいてしまう。
「・・・どうする咲守。行く・・・のか?亨達を待つ?」
咲守は目を閉じて眉根を寄せた。
そして、大きく息を吸ったあと、力なく頷いた。
「あの先に一色さんの軌跡がある。怖いなんて言ってる場合じゃない。さぁ、行こう」
決心した咲守は車を降りて、よろよろと林へと向かいだした。
俺と間宮は慌てて追い、咲守の手を引いて荒廃した道へと入る。
林の中は異常に冷たい空気が支配している。
何かがいる。
俺たちを拒絶する意思を持った何かが俺たちを追随している。
そう思った途端、指先は細かな震えが出だした。
「あまり知らない方がいいかもしれないが、一応言っておく。付いてきてるぞ。真後ろだ」
間宮は憂鬱そうな声で言った。
俺はあまりの怖さに一瞬目を瞑った。
「気にしちゃダメだ。気を取られると足が進まなくなるよ。平常心で前へ」
咲守は真っ直ぐ前を向いて歩いている。
あまり見えていないはずなのに、足取りはしっかりしていて、俺より半歩前を行く。
半ば俺の方が引っ張られて歩いているような具合だった。
3人ともその後は無言で足を進めた。
暗く冷たい林の奥に建物の輪郭が見え始めた。
「あれが・・・幽霊屋敷だ」
林を抜け、広い前庭に出た。
朽ち果てた花壇と枯れた噴水。
蔦に覆われたレンガ造りのお屋敷は落書きで汚れている。
ほとんどの窓は内側から板で塞がれていたが、正面玄関の明かり取りの窓だけがそのままになっている。
お屋敷の北側には温室だったであろうビニールハウスと納屋が見える。
咲守はビニールハウスを指さした。
「一色さんの軌跡があそこに続いてる。もう1つあるな。
「可能性としては田所さんだと思うけど、分かんないな。他の軌跡は見えるか?」
「お屋敷の中に雷くんの白い軌跡がある。でも、今徘徊して残したものじゃないと思うよ。問題の透曄ちゃんはね、分からない」
辺りを見渡した。
人影はないが、視線を感じる。
目を凝らして物陰を確認したが、誰もいない。
でも、ハナちゃんはどこかで俺を見ている気がする。
「随分と広い庭だな。人が住んでた時は手入れされてたんだろうけど、今は雑草だらけで不気味だ」
急ぎつつも気をつけながら庭を突っ切る。
目の前にある温室は所々破け、かなり風化しているように見える。
咲守は俺に目配せをして、扉を開けるよう指示した。
捜査一課以来、久しぶりに拳銃を構え、扉横にしゃがむ。
不透明なビニールハウスの中で動くものはない。
ドアノブを回すと、がさついた金属の音がした。
ゆっくり扉を押し開け、中を窺う。
足元に目をやると、わずかな血痕が一筋残っている。
まだ新しい。
俺の心臓が大きく鳴った。
「血痕がある」
「歩人、用心しながら先を歩いて。僕は後ろから軌跡を確認する」
頷き、扉を全開にして中へと入った。
続いて咲守と間宮が入ってくる。
温室は2部屋になっていて、前後に分かれているようだ。
前室の部分は鉢植えを並べるための段々がある。
隠れられるような場所はなく、すべてが見渡せた。
一色さんはいない。
血痕が示す後方部分は、不透明なビニールの奥にまだ色が見える。
植物が野生に還って生きているんだろう。
「ここは鉢植えを並べてたんだな。残骸だらけだ」
割れた鉢植えが至る所に散らばっている。
「全部が粉々。自然とこうなったわけじゃなさそうだな」
後方のビニールハウスに向かう血痕を辿り、再びドアノブを握った。
少し開けて中を覗き見る。
鮮やかな色が見え、温かい空気が漏れてきた。
俺は扉を全開にして中へと入る。
間宮が咲守の腕を引き、後ろに続いた。
「すげ・・・ブーゲンビリアの温室か」
温室内の天井に張り巡らされた細い鉄骨。
そこに蔦を這わせ、垂れ下がって咲き誇るブーゲンビリアの赤、黄、ピンク、白。
どこかで水が漏れているのか、床は水浸しで、凪いだ水面にはシンメトリーの配色。
目が醒める色に囲まれた風景に変わり、一瞬どこか分からなくなった。
「一条さん?」
俺を呼ぶ声は後室の真ん中から聞こえた。
視線の先には田所悠太がいた。
「田所さん」
俺は小走りで田所悠太に近寄った。
「無事だったんですね!良かった!鳥成雷は?」
「ここにはいません。血痕があったので、誰かとここへ入ったんだと思ったんですが。多分、母屋の方にいるんだと思います。急ぎましょう」
不安げな表情の田所悠太は、後室出入口にいる咲守と間宮に気が付いた。
「貴方たちは・・・鼓草と一夜草ですね」
「またその名で呼ばれる事があるなんて想像もしてなかった」
間宮が抑揚のない声でポツリと言った。
「何草だって?」
「被験者に付けられた名前だよ。知らなくていいことだ。気にするな」
「各自色々と聞きたいだろうけど、話しはあとだよ。母屋へ行こう」
咲守の声で一斉に動き出した。
鮮烈な温室を出て、蔦だらけのお屋敷を仰ぎ見る。
彩りは一瞬の夢だった。扉を出た瞬間、世界は再び灰色に沈んだ。
一気に色失せた世界は憂鬱を呼び起こした。
「表は鍵が掛かってるんです。裏口から行きますよ」
田所さんは走り出した。
俺が後を追って走り出すと、咲守も走ろうとした。
「おい。ダメだって言ったろ」
すかさず間宮が咲守を止めた。
「でも」
「お前の目があれば、あいつらがどこ行ったかわかるだろ」
「そうだけど、でも」
咲守はもどかしそうな顔で俺を見たが、間宮が頑として許さない。
諦めて大人しく歩き始めた。
「間宮!咲守を頼む!ゆっくりでいい!気を付けて!」
「おぉ、お前も気をつけろよ」
「歩人、一色さんの軌跡は屋敷の中には見えない!どこにいるか分からないから気を付けて!」
頷くと、咲守と間宮も頷いた。
「一条さん!早く!」
田所さんの声を受けて、俺は前を向いて全速力で走る。
空模様の機嫌が悪くなってきた。
向こう側には分厚い雲がある。
じき、この建物の上にやってきて、雪を降らすかもしれない。
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