第9話 北へ
小屋が燃えている。ペディキュアを塗ってあげたノヴァークからは、遠く離れた場所だ。先程まで、エーコとモモが滞在していた北の宿。フューン・オーデンセ大公国南部の涼しい風が、冷や汗にあたって背筋が寒い。エーコの周りには、こちらを包囲するノヴァークの諸侯軍――いや、ヘイタイと言っても、こいつらはほぼ武装強盗みたいなものだ。
「……エーコ」
モモが震える手で、自分のローブを掴む。エーコにはそれに笑顔で応じる余裕はなかった。
(……モモを守りながら、戦えるか?)
圧を感じて、包囲が狭まる。すぐにでも判断しなければならない――どうする?
+++++
季節が変わって暑くなってきた。この世界の気候は、現代日本の酷暑に比べると大分涼しいが、モモには少し酷なようだった。
『あつい』『ちょっとつかれた』『ごめんねエーコ、ちょっとしんどいから、休んでもいい?』
あの出会いから三ヶ月。この頃のモモは、そんなことを口にするようになった。奴隷の考えが抜けなかった時は、自分の体調など口にすることはなかったのに……エーコも最初は面倒くさいと感じていたが、最近はモモの変化を受け入れようとしていた。
(14歳くらいだったっけ……まだ子供だもん。甘えたいときに甘えられなかったってのは、可哀想よね。アタシにワガママを言えるようになったのは、信頼されてるってことかしら?)
意見出来るようになったのは、モモにとっては望ましいのかもしれなかった。なんだか母親になったような気分で複雑だが。
「エーコ、これからどこに行くの?」
「そうねぇ……暑くなってきたし、北の国にでも行ってみましょうか。エルフなんかがいる国みたいだし、きっとデッカイお城とかあるわよぉ。ここより涼しいから、避暑にはちょうどいいわ」
というやり取りの後、エーコはモモを連れて北の外国へ避暑に行くことにした。ノヴァーク王国の北や東には、亜人種……エルフや魔族などが街や国を作っていると先生から習った。
(そういえば、モモもハーフなのかしら? 肌の色だけじゃない、エルフほどじゃないけど耳も長いし)
モモを連れての空中歩行も大分慣れてきた。元の世界の電車なんかとは比べられないが、一週間もしないうちに、エーコとモモは国境付近まで到達することが出来た。道中にも街はいくつかあったので、食事に困らなかったのが幸いだ。ネイル道具も調達できた。
(けど、ちょっときな臭くなってきたわねぇ……あまり見たこと無い人種も増えてきた)
三日前に立ち寄った集落は、モモと同じ耳をした種族だった。ノヴァーク王国は人間種族が主体のようだったが、この世界にはヒトの他にも様々な人種がいる。モモたち……ハーフエルフ以外には会ったことはないが。モモのぴょこんとした耳を軽く撫でてみる。モモはくすぐったそうにした後、
「エーコ、モモがいっしょだと疲れない?」
そんなことを聞いてくる。正直疲れることも多かったが……それはそれとして、エーコは微笑んで、
「そんなことないわよ。モモと一緒だとアタシは嬉しいから、疲れないの。それにアタシ死神だからねぇ」
するとモモは少し申し訳無さそうな顔をして、
「……モモも、エーコみたいに空を走ったり、たたかえたらいいのに」
「戦うって……大げさねぇ。どんな魔獣や兵隊だってアタシの敵じゃないわよ」
この頃モモはそんなことも口にするようになった。すると、
「やとうとか、夜におそわれたときに、エーコが私をかばってくれてるの、知ってるよ。エーコの足手まといになりたくないの。力がほしい。エーコみたいにたたかうのって、モモにはやっぱりむずかしい?」
――『お前のスキル「死神」には、恐らく能力の一部を他人に譲渡する仕組みがある』
モモの左足のペディキュアを見ながら、先生の言葉を思い出す。同類を作る、というのは花畑のときから考えていた。しかし自分への代償などのリスク、何より『分霊化』を施せば、モモの手を汚すことになるかもしれない。
「モモが戦えるようになる方法はなくはないけど……」
「じゃあ、そうしたい。私もエーコの力になりたいの」
「まぁ、また機会があれば考えましょうか。ほら、そろそろ街に着くわよ」
誤魔化しながら、地図を確かめる。エーコは空中から山脈の向こうに街を捉えた。ノヴァーク王国の北、フューンだっけ? その南の街が見えてきた。が、少し様子が変だ。
「エーコ、あそこ……燃えてる?」
「襲われてるみたいねぇ、少し上の方から様子を見ましょうか」
エーコはモモを背中におぶって、『足場』を操作する。次のステップを大きめに作成して、飛び乗ると同時に弓を引くように自分たちを引き絞る。十分に反発力を貯めて――二人分の質量が街のそばまで一気に大跳躍する。
「ノヴァークのヘイタイかしら? 街を襲って……色々奪っているのかしらねぇ」
王国軍が街の住民から金品や食料を略奪しているのが見えた。女子供を担ぎ上げている者もいる――やはり野蛮な世界だ。中空から街を見下ろして、エーコは思う。戦争イコール略奪、というのはこの世界に来て覚えた概念だ。背中のモモが怖がってエーコのローブをぎゅっと握る。
(そろそろ保存食も心もとない。魂を一気に手に入れられる機会だけど……モモは連れていけない。どこか安全なところは……)
中央部の近くに、大聖堂みたいな場所を見つけた。あそこでモモをお留守番させましょうか。幸い、街を襲っている王国軍には『
「モモ、ちょっとここで待っててね。アタシの食事と、あなたの食べ物を取ってくるから」
「……うん、分かった。なるべく早く戻ってきてね」
エーコのローブを掴みそうになった手が引っ込む。以前は無表情に見送るだけだった子が、今ではこんなに愛らしくて、いじらしい。
「大丈夫、すぐに戻るわ。じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい、エーコ」
元いた世界のマンションで、エーコはその言葉を聞いたことがない――だから。
(なるはやで、終わらせましょうか!)
先ほど見えた王国軍――ノヴァークでは諸侯兵と呼ぶらしいが――のところまで、足場を三つ四つ作って跳躍。一人だと、体が軽くていい。ここまで旅の疲れはあるが、ヘイタイの魂を狩って補充しよう。
家屋の間、数m上で地上へ向けて加速しながら足場を蹴った。右手に大鎌を出現させる。地上でもみ合う兵士と抵抗する住民を視界に入れて――落下のエネルギーを上手く推力に変えながら、一閃二閃。獲物を一気に薙ぎ払って街路を通り抜ける。
エーコの空中突進は、兵隊や住民を区別なく周辺の家屋に遺体を叩きつける。まるで飛空竜が飛び去った後のように。重さを感じない魔力の大鎌だが、振り回した時の衝撃はなかなか使える。振り返ってキル数を確認する間もなく、エーコは行き止まりの建物の手前で足場を形成。衝突の勢いを殺して、街路へと降り立った。
(『絶望』『嗜虐』『征服感』『自慢』……これまた豪華なラインナップねぇ♪)
こういう戦場でしか味わえない魂も多い。暴力がモノを言う世界ってのはロクでもないが……こういう美食は『死神』の特権だ。大鎌に引っ付いてきた魂に、一気にかぶりつく。スパイシーで、とても美味しい。
(エネルギー補給、完了っと。あ……いただきますごちそうさまでした!)
食事の呪文を忘れていた――疲れているとすぐこれだ、気をつけよう。通りの向こうでは、まだエーコに気づいていない兵隊や住民もいる。一通り『食事』は終えたが、折角の機会だ。多めに魂を狩っていこう。
(保存食にする算段もついたし、モモを待たせてるから急がなくっちゃ)
一人の時とは違って、今は連れがいる身である。自由気ままに行かないのは面倒だが……待っていてくれる『お荷物』がいるというのは、それはそれで嬉しい。
(何かこれって、人に感じるものに似てるなぁ……)
長らく感じてこなかった、温かい感情。スキル『死神』で血も涙もない悪辣な自分になったと思っていたが……どうも調子が狂う。元の世界の友人やカレシ達にだって、ここまで温かい感情を向けたことは無かった。
(……変なの、私)
その変化には気づかないフリをしてきた。自分にとっては致命的になる……そんな予感がしたから。不意に大鎌が震える。エーコは左手で右手を押さえて、首を振る。頬を叩いて、無理やり引きつったように笑う。
(らしくないわよ、死神エーコ)
心のなかで唱えながら、通りの向こうへ跳んだ。
残りの兵隊も、住民も、一切関係なく魂を狩った後。エーコはモモのための食料品をローブにしまって、モモを迎えに行った。
「おかえりなさい、エーコ」
首元でチャリンと冷たく鎖が音を立てて、モモが自分に微笑いかけた。目元が少し潤んでいる――寂しかったのか? 見なかったフリをして、
「ここには泊まれないから……また移動だよ、モモ」
努めて冷静にそう言って、エーコたちは早々に街を離れた。
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