第8話 応報、エーコの日課
安らかな顔だ、とその神父は目の前の死体らしきものを見下ろして、思った。
『死体らしきもの』というのは、書いて字のとおりだ。遺体の損壊が激しく、ところどころが欠けていた。見るに耐えなかったのだろう、相方のシスターは自分から少し離れたところで吐瀉物を地面にまいている。
それでもこの『魂の抜けた』遺体は2人分あって、その顔はとても満ち足りているように思えた。
『教会』はこの大陸において、調停者だ。『教会』は人々の残忍な行いを未然に防ぐ。我らの神が、それをお許しにならないのだから。この大樹の前で息絶えた二人の肖像を、私は尊いと思う。
苦しかったかも知れない、痛みもあったろう。それでもこの二人は寄り添ったのだ。ならば、私が救いを願っても主はお赦しになるだろう。遺体が抱えていた鉄の塊に彫られた文字を読みながら思う。
二つの遺体が、この王国において『厄災』と呼ばれた者の屍でも。
(『厄災』が討伐されてから、もう三ヶ月か)
間接的な被害を含めて、この国と周辺国に住む
「私が告げる。我らの神レフリアの名のもとに、その罪を赦そう。この魂たちに主の恩寵があらんことを」
銀の髪を撫でつけて、神ならぬ地上の使徒は静かに聖典を読み上げた。
+++++
街道沿いには、旅人や冒険者のための小屋が建てられていることが珍しくない。村はずれの小屋なんかと違って、そこそこ寝心地の良いベッドが備え付けられているのがありがたい。
(そういうところだと、獲物も狙いやすいのよねぇ)
集落が見当たらない時は、そこで『狩り』をするのが、エーコの旅の日課だった。今回はたまたま、旅の商人たちが多く滞在している小屋を見つけられた――当たりだ。エーコは魂と食料を調達して、そこから少し離れた、モモの待つ小屋へと降り立った。
「エーコ、おかえりなさい!」
モモがほにゃっとした笑顔で自分を出迎えて、抱きついてきた。愛すると、それに見合った愛情が返ってくる。最初こそ表情が無かったモモだけど、今となってはよく笑う子になった。それを見てエーコは、こんな世界でも少しだけ、温かな感情を思い出せるようになってきた。
「ただいま、モモ。さぁ、今日もいただきます、ね」
一緒に小屋に入って、モモが作ってくれていたホワイトシチューを一緒に口にする。牛乳を入れたシチューは、エーコがモモに教えたレシピだ。日本の定番料理だが、今ではすっかりモモの大好物になっているようだった。
(一緒に味わえないのは、残念だけどねぇ)
そう思いながら、味のしないシチューを口に含む。美味しそうな見た目の料理から味がしないというのは、いつものことだが脳がバグる。なるべくなら口に入れたくはないが……モモと一緒に食事をする、というのはエーコにとっては大事な儀式だった。『いただきます』の呪文と同じくらい。
食べ終わって、一緒に食器を片付けたら、エーコは日課に移った。自分のネイルのお手入れである。以前のベルデン市で油脂は調達していたので、しばらくは困らないだろう。
(こればっかりは魂と違ってゼイタク品だけど、辞めるのは……なし。絶対に。出来る限りはきちんとしよう)
そう考える自分の反対側のテーブルで、モモは絵本を読みながら、インクで羊皮紙に字を書く練習をしていた。数日前から始めたことだ。
『私も、エーコみたいにいろんなことをしりたい。文字をかくれんしゅうもしたい。そしたら、もっとエーコのやくにたてる』
そう言われると、エーコも断れなかった。自分もこの世界の書き文字は勉強している途中だったが、モモに教えるためにきちんと本を集め始めた。エーコの教えは『先生』に比べると拙かったと思うが、モモはとても楽しそうだった。そして読み書きを教えるようになるにつれて、色々な返事を返してくれるようになった。
「エーコ、『けいさん』って何?」
こんな具合である。
「んー、数えなくても数字が分かるテクニックかなぁ……」
左手のネイルをデコりながら、適当に答える。ちょっと今は手が離せない。ようやく作業が終わった時、モモが興味深そうに自分の手を覗き込んでいた。そして、
「エーコのお手入れ、私もやってあげたい」
なんていじらしいことを言うんだ。確かにモモにやってもらえると、自分も嬉しいだろうが、
「……これ結構難しいから、モモにはまだ無理ね」
そう言って、さらっと断った。『むぅ』と唸るモモ。こればっかりは仕方ない……いや、待てよ。手をパンと叩いて、
「モモにもやってあげようか? モモもお手々キレイな方がいいでしょ?」
アタシとモモ、お
「……ちょっと困る」
「なんでよ~、アタシとおそろいだよ?」
「仕事ができなくなる。だから、爪は短いほうがいい」
少しイラッとするエーコ。絶対かわいいのに。
「じゃあ、ペディキュア――足ならどう? 足で作業はしないでしょ。やってあげるから、こっちに来なさい」
ポンポンと椅子に座らせるエーコ。
「足なら、いいよ」
無表情にモモ。
(ふふ……学校でも評判だった私のセルフネイルを見せてやろう!)
モモの足指に触れて、ペディキュアを施す。モモはエーコが
左足の作業を一通り施したあと、エーコはキレイになった完成品を見せて、
「ハイ、これでよし。キレイになったねぇモモ。右足はまた今度やってあげる。どう、嬉しい?」
モモは水玉模様のピンクや水色に塗られた自分の足指を、まるで小さな子が人形をみるかのようにまじまじと見つめた。そして小さく笑って、
「……こんなの初めて。かわいいのかな、私」
「うん! とっても可愛いわ、私のモモ! 愛するモモ!」
ぬいぐるみを抱きしめるように、エーコはモモを腕に入れた。モモは恥ずかしそうに、えへへと声を出して笑って、
「かわいくしてくれてありがとう。エーコがモモをあいしているなら、モモもエーコをあいしているよ」
と言った。やはりこの子はこうやって愛してあげるだけでいい。お荷物だろうと、それでいい。最初こそ愛玩動物みたいに思っていたが、今やモモはペットなんかじゃない。モモを腕の中に入れて、エーコは思う。
(この子を『分霊化』するってことは、アタシと同じになるってこと。それはダメだ。モモは――私の可愛い友達なんだから)
死神なんて、自分ひとりで十分だ。この重みを『忘れる』ことがどれだけ大変かなんて、この子は知らないほうがいい。
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