【第16話】信頼の重圧『力玖編』

 黄昏学園、午前10時、物理実験室前。

「ちょっと待ってくれ……いま、俺に“観察係”やらせるって話、聞き間違いじゃないよな……?」

 力玖は壁際で震えていた。実験室のドアには“異能×物理学特別授業”の張り紙があり、その下に、明らかに力玖の字で書かれた「観察記録ノート」が貼り付けられている。

 その字には涙の痕が見えた。

「力玖くん、ファイトですっ! “信頼されてる証拠”ですからっ!」

 能天気に親指を立てる麻友菜の笑顔が、逆に胃にくる。

「お前が言うと説得力っていうか、重さが三割増しになるんだよなぁ……!」

「それはね、信頼に“筋肉”が乗るからです!」

「信頼って筋トレだったの!?」

 今日の“異能×物理学”授業は、生徒の異能を用いた実験を記録し、観察結果を報告書にまとめるという、極めて面倒なカリキュラムだった。普段は功陽あたりが嬉々としてやる内容だが、なぜか今回に限って“実験対象の混乱を防ぐため、穏やかな生徒に記録を任せる”という理由で、力玖に白羽の矢が立った。

「……いやいやいや、俺だって内心いろいろ混乱してんだけど……!」

 力玖は“信頼されやすい”という性質を持っていた。目立つこともなく、特に強い異能があるわけでもないが、なぜか教師や生徒から「任せて大丈夫」と思われてしまうのだ。

 それが、今の彼にとって何よりも苦痛だった。

「俺が、俺に……信頼されてないんだよなぁ……!」

 教室の中からは、すでに爆発音と叫び声が飛び交っていた。

「俺の“思考加速”が暴走してる! 脳が過去と未来を同時に処理してる気がする!!」

「すごい! 自分が今何を後悔するか、リアルタイムでわかる異能だね!」

「それ、人生辛くなるだけだろうがあああ!!」

 力玖はノートを片手に教室に入る。

 すると、案の定、最前列には功陽が謎の装置と共にスタンバイしていた。

「よう力玖! 君の観察力に期待してるぞ! あと、もし僕が突然時間軸から外れたら“存在確認シール”をこの額に貼ってね!」

「やだよ怖いよ!! なんで俺がそんなSF対応マニュアル渡されてるんだよ!」

「信頼してるからだよ!」

「やめてくれ信頼の押し売り!!」

 それでも、授業は始まった。

 功陽の“自己実現装置”を皮切りに、様々な異能が順番に実演され、それを力玖が記録していくという流れだ。

 だがこの実験、やればやるほどに“想定外”が多すぎた。

 ・実験1:空間歪曲型異能 → 教室の天井が上下逆になる

 ・実験2:音波変換異能 → 言葉がすべて「猫語」に変換される(しかもリズミカル)

 ・実験3:自己分裂異能 → 俊輔が三人になる(全員が喧嘩を始める)

「おい俺! お前そっちのルート選んだんか!? いやいや、そいつは違うだろ!!」

「うっせえ俺! 過去の自分に文句言ってる暇があったら未来作れ!!」

「黙れ俺たち全員がバカだ!!」

「観察不能ッ!!!」

 力玖のメモ帳が爆発音と悲鳴で埋まっていく。

 そして最悪なことに、次のターンが来た。

「次は、力玖くん、君の番だよ」

「……え?」

「異能発動。君自身の力も観察しよう。正確な自己認識は、信頼の第一歩だ!」

 力玖は真っ青になった。

 彼の異能は、“共鳴感応”――相手の感情を無意識に読み取ってしまうという力だった。便利そうに聞こえるが、強すぎる感情や怒りを受けると、そのまま体調を崩してしまう。だから普段は“静かな環境”を選んで生きていたのに。

 今、この騒がしい教室で、異能を“見せろ”と言われることは、実質的に“ダイブ・イン・地獄”である。

「俺、やんなきゃダメ……?」

「信頼してるから」

「もうその言葉、呪文みたいに使うなあああ!!」

 だが――力玖は、一歩前に出た。

 そのとき、彼の視界に見えたのは、教室の後ろで静かに立つ優花の姿。そして、窓際で騒ぎに紛れて応援する麻友菜、力玖を記録する公孝、無言で爆笑する俊輔、どこか心配そうに見つめる砂耶と碧季。

(みんな、俺を“ちゃんとした仲間”として見てくれてる……?)

(信頼って、こういうことか?)

 彼は、ほんの少しだけ、心を開いて異能を使った。

 その瞬間――

 感情の奔流が押し寄せた。

 功陽の“知的興奮”、俊輔の“爆発的やる気”、麻友菜の“応援のド直球”、砂耶の“無言の心配”、公孝の“責任の自覚”、そして優花の……“静かな期待”。

 すべてが混じり合い、力玖の中に流れ込んでくる。

 でも、不思議だった。いつもなら息が苦しくなるこの感覚が、今は少しだけ、温かくて――

「……俺、みんながいると、ちゃんと立ってられる気がするんだよ……」

 その言葉に、教室が静まり返った。

 そして次の瞬間、拍手が起こった。




 拍手の音が教室の隅々まで響き渡った。誰かが促したわけでもないのに、自然と湧き上がった音だった。それが、力玖にとって何よりも救いだった。

 拍手の中心で、力玖はぽかんとしたまま、ただ立ち尽くしていた。

「……あれ……俺、今、褒められてる……?」

「そうだよー! めっちゃ良かった!! すごく“伝わった”!!」と麻友菜が両手をぶんぶん振りながら叫ぶ。

「今の一言で論文五枚分の価値あったわ」と碧季がさらりと記録用紙に走り書きをする。

「何あれ、共鳴感応ってあんな綺麗に使えるんだ……」と砂耶はそっと呟きつつも、視線を逸らした。

 そして俊輔がやってきて、軽く肩を叩いた。

「よっ、信頼され系男子。いい異能じゃん。ずっと使わなかったの、もったいねぇよ」

「使うの、怖かったんだよ……他人の気持ちが流れ込むって、しんどいことだって思ってたし……」

「まあ、そりゃそうだ。でも、誰かといるってのは“全部理解し合う”んじゃなくて、“ちょっとだけ踏み込む”ってことだと思うぜ」

 俊輔の言葉に、力玖は少しだけ考えるように目を伏せた。

(誰かといると、たしかにしんどい。めんどくさいし、傷つくこともある。でも……)

(俺、少しだけ……人の中にいるの、嫌じゃなかったかも)

 彼はおずおずとメモ帳を取り出し、記録欄に小さくこう書いた。

《実験16:共鳴感応による感情伝達。副作用:少し泣ける。利点:信頼って、悪くない》

 その文字に、本人も思わず笑った。

 授業の終わりに、生徒たちは教室を後にしながらも、力玖に声をかけていった。

「記録ありがとなー! おかげで異能ぶっ壊す寸前で止まったわー!」

「今度から“感情が暴走したら力玖に相談”って流れになるな」

「いやちょっと待って!? それ重荷だから!?」

「信頼してるからー!」

「それ呪文か何かなの!? もうやめてぇぇぇぇ!!!」

 そんな悲鳴が、またみんなの笑いを誘った。

 それは、力玖がずっと“避けようとしてきた世界”だった。だけど今は、そこにいても、ひどく不快ではなかった。

 放課後、屋上のベンチで力玖は空を見上げていた。

「……俺って、“信頼される”ってことを、拒絶してたんだな」

 彼の横に、いつの間にか俊輔が座っていた。

「ま、俺も“ちゃんと見られる”のが面倒で校則破ってたし。似たようなもんかもな」

「なんで、あんたは怖くなかったの?」

「怖いよ? でもそれ以上に、楽しそうだったから。俺って、バカだし」

「……ずるいなぁ、そういうの」

「だろ? でも、力玖もたまにはバカになってみろよ。信頼されることって、ちょっとしたお祭りみたいなもんだから」

「お祭り……ねぇ……」

 ふたりは夕暮れの空を見上げる。茜色に染まった雲が、どこか温かくて優しくて、胸の奥がじんわりと熱くなる。

 その時、教室の窓から功陽の顔が突き出て叫んだ。

「力玖ーー! “君を主題にした現代詩”、今夜提出だからなーー!!」

「なんで俺が主題になってるのおおおお!!??」

「信頼してるからあああああ!!」

「信頼の使い方おかしいのおおおおおお!!」

 また、笑いが学園に響く。

 力玖の心に、確かにあった“重圧”は、今、ほんの少しだけ“誇らしさ”へと変わっていた。

(第16話『信頼の重圧』完)

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