【第2話】優花登場編『無関心少女の秘密』
教室の窓から差し込む夕焼けの光が、机や床を淡い橙色に染めていた。その穏やかな景色に、校庭から聞こえる生徒たちの賑やかな声が混ざり合う。初日の緊張が少しずつ解け始める時間帯に差し掛かり、新入生たちは帰宅を促す教師の声に従い、三々五々帰路に就き始めていた。だが俊輔は、窓辺の席に座ったまま、どこか退屈そうに校庭を眺めている。その視線は、フェンス際の桜の木の下で、一人静かに佇む優花の姿に止まっていた。
優花は、教室でもほとんど言葉を発さず、周囲からは「無関心少女」という印象を持たれていた。彼女は、目立つことを避けるようにいつも視線を伏せ、誰とも関わろうとはしない。その無関心さは周囲を遠ざける壁となり、クラスメートたちも次第に彼女を避けるようになっていった。しかし、俊輔は彼女の無関心さの裏に何か別の理由があるのではないかという直感を抱いていた。
彼女が無関心を装っていることは、昼間の自己紹介のときの微妙な表情の変化で気づいていた。ほんの一瞬、俊輔の蝶の異能を見たとき、彼女の目は何かを思い出したように小さく揺らいだのだ。優花は他の生徒とは違い、俊輔の幻術に驚くどころか、少し悲しげな目をして視線を逸らした。その瞬間、彼は優花がただの無関心な少女ではないことを確信したのだ。
「気になるな……」
俊輔は椅子から立ち上がり、ゆっくりと彼女のいる場所へ向かう。窓から差す夕陽は徐々に赤みを増し、優花の影を細長く地面に伸ばしていた。近づいていくと、優花がぼんやりと桜の枝を見上げているのが見えた。俊輔は、わざと足音を立てて彼女の背後に近づいた。だが彼女はまるで気づかないかのように、静かに視線を上げたまま動かない。
「何してんの?」
俊輔が軽い口調で声をかけると、優花は驚くこともなく、ゆっくりと振り返った。その表情は無表情を通り越して冷たく、まるで石像のようだった。
「何も。ただ、立ってただけ」
「ああ、そう」
俊輔は少し間を置いてから、意図的ににこりと笑顔を作った。
「じゃあ、俺も立つわ」
俊輔は彼女の隣に立ち、同じように桜の枝を見上げた。淡い桜色の花びらがひらひらと舞い散り、二人の間を静かに通り過ぎていく。風が微かに吹き抜け、優花の長い髪を柔らかく揺らした。二人の沈黙は奇妙なほど長く続いたが、俊輔はそれを気にも留めない。
「なんで、ここに来たの?」
ようやく優花が小さく口を開いた。その声には微かな警戒が混じっているが、拒絶するほどの強さはない。
「別に。ただ、気になったから」
俊輔がそう答えると、優花は少しだけ視線を動かして彼の横顔を見た。
「私が?」
「ああ、無関心そうな奴ほど、面白い秘密があるもんだ」
俊輔は軽い口調で告げ、再び彼女を見つめた。その視線に戸惑いのような感情が揺れ動いたのを彼は見逃さなかった。優花は少しだけ唇を引き結んでから、また桜の枝を見上げる。彼女の横顔は静かで冷淡だったが、かすかに揺れる瞳の奥に何か言葉にできない複雑な感情が渦巻いていることが、俊輔にははっきりと感じ取れた。
「あなたの異能……蝶だったね」
突然、優花が静かに口を開いた。その言葉に俊輔は少し驚き、瞬きをする。
「ああ、幻術みたいなもの。まあ、それでいいや」
「あれ、本当に幻術?」
優花の問いはどこか試すような響きを帯びていた。彼女の横顔は相変わらず無表情で、しかしその声には明確な興味が感じられた。
「さあね。そう見えたならそうなんじゃない?」
俊輔はあえてはぐらかしたが、優花は引き下がらなかった。
「じゃあ、幻術じゃないとしたら?」
俊輔は少し黙った後、ゆっくりと視線を落とした。足元の地面に桜の花びらが落ちて積もっている。優花が何かに拘っているのは明らかだったが、その理由までは見えない。
「さあ。逆に聞くけど、あんたの異能は?」
俊輔が問いかけると、優花は沈黙した。彼女の眉間がわずかに寄り、口元が微かに震える。彼女の無関心な態度の裏に隠された秘密が、この瞬間、静かに暴かれようとしていることを俊輔は悟った。
「私には異能なんて、ない」
それは完全な嘘だった。俊輔はそれを直感で理解した。だが、今ここで彼女を問い詰める気はなかった。
「そっか。でもまあ、それも面白いじゃん。異能者ばかりの学校に普通の奴がいるっていうのも」
俊輔は軽く笑った。その言葉に優花は初めて微かに笑みを浮かべた。ほんの小さな笑みだったが、それは石像のような彼女の顔に、一瞬だけ温かみを与えた。
「変な人ね」
「お互い様だろ」
二人は再び沈黙に包まれたが、今度の沈黙は居心地の良いものだった。夕陽が二人を照らし、影が地面に並んで伸びていく。俊輔は確信していた。無関心を装うこの少女には、自分がまだ知らない深い何かがあると。その謎を解くことが、彼にとってこの学園での一つの楽しみになるだろう、と。
続きます。
【第2話『無関心少女の秘密』続き】
日が西に傾き、黄昏がゆっくりと校庭を包み込んでいく。薄闇が辺りに忍び寄る中、俊輔は優花と並んだまま動かなかった。二人を包む沈黙は、すでに不自然なほど長く続いていたが、不思議と居心地が悪いとは感じなかった。優花は静かな瞳で校庭の彼方を見つめ続け、その瞳には深い陰影が落ちていた。俊輔はちらりと彼女の横顔を窺った。先ほど見せた微かな笑みはすでに消え去り、再び無関心を纏った仮面が張り付いている。だがその仮面が徐々に薄れているのを、俊輔は直感的に理解した。
「優花さ、異能がないって言ってたけど、本当は何か理由があって隠してるんじゃないの?」
思い切って俊輔が口にした言葉に、優花の肩がほんのわずかに震えた。視線を逸らし、再び地面に落ちる桜の花びらをじっと見つめている。彼女の唇が少し開きかけて、だが言葉はそこから漏れ出る前に飲み込まれた。微かな風が彼女の髪を撫で、薄闇の中でその表情を隠している。
「……それを知って、どうするつもり?」
優花がついに小さな声で返事をした。その声には、慎重さと怯えが混じり合っているのが分かった。俊輔は一瞬だけ視線を宙に投げ、言葉を選ぶように考えた。そしてゆっくりと、あえて無造作な口調で答えた。
「別にどうもしないよ。ただ俺は、秘密を抱えてる奴が気になるんだよね。特に、何もないフリしてる奴はさ」
その言葉を聞いた優花は一瞬固まったように動きを止めたが、次の瞬間、堪えきれなくなったように小さな笑い声を漏らした。予想外の反応に俊輔は目を丸くしたが、優花は少しだけ楽しそうに口元を緩めている。その表情は初めて見る明るさを帯びており、彼女が完全に仮面を外したかのように感じられた。
「俊輔って、変な人。……本当に、変」
笑みを含んだ声で優花がそう言った。俊輔は少しむくれて眉をひそめたが、実際のところ、彼女の笑顔を見たことへの満足感が胸に広がっていた。彼女の無関心の仮面に、ほんの小さな穴を空けることができたような気がしていたからだ。
「そんなに変かな。俺、普通のつもりなんだけど」
「普通の人は、こんな風に人の秘密を聞き出そうとしない」
優花は冷静な口調に戻ったが、その瞳には柔らかい光が残っていた。俊輔は肩をすくめて見せる。
「それもそうかもな。でもさ、黄昏学園って普通の奴が来る場所じゃないだろ? みんな少しずつ変なんだよ。俺も含めてさ」
その言葉に優花は一瞬目を伏せ、再び口を閉ざした。優花が隠していることは間違いなく何か重いものだと俊輔には分かったが、今それを無理に暴こうとは思わなかった。ただ彼女のそばにいることが、自分にとって大切な意味を持ち始めていることに気づいたのだ。
「今日はもう帰る。……あなたも早く帰りなよ。変な噂が立つから」
優花は突然そう告げ、踵を返して歩き出した。その背中は薄闇の中へと遠ざかり、小さくなっていく。俊輔はその背中をじっと見送った。優花の言葉の裏側に、何かが隠されていることは間違いなかったが、急ぐ必要はないと思った。時間をかけてゆっくりと、彼女の謎に近づいていけばいい――俊輔は心の中でそう呟いた。
夜の帳が学園を完全に包み込み始めた頃、俊輔はようやく自宅へと帰路に就いた。だが彼の頭の中には優花のことが強く残り、家に帰っても彼女の笑みがちらついて離れなかった。無関心を装いながらも、どこか心に影を秘めた彼女のことが、俊輔にとって特別な存在となりつつあることを彼はぼんやりと自覚した。
黄昏学園の最初の一日が終わりを告げる。規律を破ることで楽しさを見出す俊輔と、無関心の仮面を纏いながらも謎めいた優花。この二人の距離が今後どのように変化していくのか、それはまだ誰にも分からなかった。ただ一つだけ確かなことは、俊輔にとって、この学園生活が予想以上に退屈とは程遠いものであり、むしろ刺激と謎に満ちた日々になるだろうということだった。
遠くで鳴くカラスの声が夜風に混ざり、俊輔の耳に届く。まるでこれから起こる数々の事件や騒動を告げる予言のように。その声を聞きながら俊輔は、静かに口元を緩めて呟いた。
「まあ、楽しませてもらうよ。とことん、ね」
こうして、黄昏学園の長く奇妙な日々が静かに幕を開けたのである。
(第2話『無関心少女の秘密』完結)
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