エピローグ





 大学に向かうため、いつもの路線の駅の改札を通る。

 いつもは講義が二コマ目からでも朝イチで向かうのだが、今日は珍しく休みが取れたパートナーの部屋から出たためにいつもより遅い時間の電車に乗った。スマホを見て時間を確認していたら、後ろから「成宮くん?」と控えめに声をかけられて振り向くと、そこには自分と似たような年齢の女性が立っていた。どこかで見覚えがあるような気もしたがすぐには思い出せなくて戸惑っていると、女性の方から言葉を発した。


「あ……覚えてないかな、私、海成で中学の時一緒だったんだけど……あの、高梨っていうんだけど」


 控えめにおずおずと発せられた声に「ああ!」と思い出す。


「……覚えてる。久しぶり、高梨さん」


 高校の時は中学のことを思い出すのも嫌だったけど、自分でも驚くほどに柔らかい声が出た。それは葵も同じようだった様で、少し驚きながらも咲太郎にはにかんだ。


「うん……。成宮くんもこっちの方の大学なの? いつもはこの時間いないよね?」

「今二ツ橋に通ってて……今日はたまたま。いつもはもっと速い時間帯に乗るんだ」

「そっか。なんか成宮くんみたいな子がいるなって思ったら本人だったからびっくりしちゃった」


 そのうちホームに電車が来て、同じ電車に乗り込む。

 咲太郎はいつもの席に座ると、葵はなんと咲太郎についてきて隣の席に座った。


「「……」」


 暫く二人で無言で電車に揺られる。


「……高梨さん、どこまで行くの?」


 急に咲太郎に話を振られて葵がびっくりした。

 

「えっ! ……あっ東小金井……」

「そうなんだ、俺国立。高校は結構近かったから大学遠く感じるよね」


 そう言って笑う咲太郎の顔は、あの階段下で見せてくれた笑顔よりも柔らかかった。


『次はー東小金井ー、東小金井に停車します』


 葵の降りる停車駅のアナウンスが流れてドキリとする。

 咲太郎は今日たまたまこの時間に乗ったと言ってた。という事はもう会えないかもしれない。

 葵は滲む手汗を隠すように、ぎゅっと膝に置かれた両手を握った。


「な、成宮くん!」


 意を決して言葉を紡ぐ。咲太郎は不思議そうにこちらを見ていた。


「あのね、ずっと……ずっと謝りたかったの。あの日の、こと。うううん……海成での、私達の態度のこと……全部」


 咲太郎が、外部受験していたことは知らなかった。

 入試の時期が過ぎ、卒業式に咲太郎の姿が見えなくてビックリして、担任に聞いたら外部を受験していたと初めて聞かされた。

 ずっと学年一位だったのに、海成を捨てて外部受験するなんて……理由は一つしかない。担任は至極もったいながっていたし、なんでかなぁ……と言っていたが、何故かを知っている葵は心がザワザワとした。自分たちのせいであるのは明らかだった。

 罪悪感が、胸を支配した。


 その後も、咲太郎に絡んでいた男子生徒は時々なにか言っていたけれど、「そんな事言ってる暇があったら自分の心配しなさいよ」と葵はもう二度と彼らに賛同するものかと心に決めた。彼らは「はぁ?」と暫くクラスのメッセージで葵のことも暗に言っていたが、卒業してグループメッセージも解散し、何より葵が声を上げたことで『いい加減にそういうのやめなよ』と反論する者も出てきたお陰で彼らがそれ以上なにか言ってくることはなくなっていった。


 あの時、咲太郎の隣に寄り添ってあげた人は誰もいなかった。彼はちゃんと葵に寄り添ってくれたのに。


「……ごめんなさい。酷いこと、したよね。許されるとは、思ってないけど」


 そう呟いた葵に、咲太郎は「うん」と小さく、でもはっきりと答えた。



「……あの時は、本当に消えてしまおうかって思うくらい、悩んだこともあったよ」



 咲太郎の静かな声に、胸がぎゅっとなる。でも葵に傷つく権利はない。……咲太郎の方が、よっぽど傷ついただろう。

 拳をぎゅっと握って俯いた葵の上から、思いがけず柔らかな笑い声が聞こえてくる。


「ふふ。……でもまあ、消えなくてよかったし、おかげで良いこともいっぱいあったよ。気にしないで、高梨さんのせいじゃない」


 思わず顔を上げて見た咲太郎の顔は、嘘偽りのない顔で笑みをたたえていた。


 電車が、ホームに近づく。


「……成宮くん、今元気?」


 葵の言葉に、咲太郎の笑みが深くなる。


「うん、元気だよ」


 ゆっくりと電車が止まって、ドアが開いた。「じゃあ」と咲太郎が手を挙げる。


「うん。成宮くん、元気でね」



 そう言って手を降った咲太郎の顔に、もうあの日々の硬さはなかった。

 きっと、今の彼は隣に寄り添ってくれる人がいるのだろう。咲太郎の穏やかな空気を感じて、葵は漠然とそう思った。



 ドアが締まり、咲太郎の座っていた席の方を振り向く。咲太郎はもうこちらを見なかったけれど、窓越しに黒猫とお守りのついた彼のディバックが見えた。

 それがあっという間に小さくなって見えなくなるまで、葵は駅のホームから動けずにいたけれど、完全に電車が見えなくなると背筋を伸ばして歩き出した。




❖おしまい❖


2025.5.5 了


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