第2話
それからは、何故か昼食時に咲太郎が誘われることはなくて。咲太郎は相変わらず図書室に行きたかったからその時は特に気にもならなかった。けれど、その頃から時折クラスのグループメッセージに、軽口とともに引っかかりを覚えるメッセージが呟かれるようになった。
――来週締め切りの課題範囲50ページまで拡大だってさ。
――マジ無理。
――あの先生頭おかしいよね。
――ウチのクラスにも頭おかしいやついるじゃん。
――そりゃあいつになら朝飯前かもしれないけどさ。
――凡人と一緒にしないで欲しいよなぁ。
……誰、とは言っていないメッセージ。
最初は自分のことだとは思わなかった。けれどいつも最初にそういう会話を始めるのは、あの日咲太郎を昼食に誘ったクラスメイトで、もしかして自分のことを言っているのでは? と思い始めた頃、休み時間にクラスメイトの会話に耳を澄ませていたところ、たまに囁かれる「うわ、今日あいつ教室にいるじゃん」の声。
そして、他の生徒の何気ない会話から聞こえる内容で、生徒の多くが下校後塾や家庭教師のサポートを受けて学力を維持している事を知った。有名校だけに優秀な生徒が多いが、その学力を維持することも並大抵なことではなく、学力を維持してその先を楽しむ者などほんの一握りだったのだ。
そして、期末テストの結果がが出た後、グループメッセージに『あいつは自分より成績の低いやつの事を影で笑ってる』という言われもない一言が回ってきた。
普段他のクラスメイトとの交流が薄く、部活動にも属していない咲太郎が動揺して戸惑っている内に、数人の生徒が『わかるw』と返してしまってからはもう何も言えなくなっていた。
……別に、そこから何が変わったわけではない。
クラスの生徒とは前からもそんなに交流はなかったし、グループ活動は今までと同じように出来ていた。
授業中に咲太郎を無視する生徒は誰一人としていなかった。ただ、皆必要最低限の会話しかしない。授業が終わればまるで咲太郎などそこにはいなかったかのように皆はけていく。元々咲太郎自身がお喋りではなかったのもあって、授業中や休み時間に他の生徒との会話が少なくても教師の目には奇異に映らなかった。
けれど、確実に前とは違う。
自分だけ、透明人間になったような気がした。
たまに投下されるグループメッセージさえ気にしなければ、今までと何か変わったわけではなかった。「そんな事を言われたら不快だ」と一声上げるだけでもしかしたらこの事は終わったのかもしれない。それでも、声を上げるタイミングを見失った咲太郎は流れてくるメッセージをただ見つめるしかなかった。
思春期の子どもらしく、正常な判断はもうつかなくなっていた。
……けれど、他の子よりも回る咲太郎の頭は成績を落とすことはなく、トップを走り続けた事でより問題を表面化させなかった事が良くなかった。
その後、クラス替えのない三年間。なんだかいつも水の中にいるような気がした。
昼休み、お弁当も三年時になると教室ではとるのをやめ、中庭の隅でさっさと済ませて図書室に向かう。
教室にいては何を言われるのかわかったものではないから、たった一人でもこちらの方が倍も気が楽だった。中庭から図書室に向かう為に上る階段は人も少なくて余計に気が楽だ。咲太郎はお弁当と勉強道具を入れたディバックを担ぎ階段に向かう。
「……あれ」
人気のない階段の下に、女子生徒が蹲っている。咲太郎が駆け寄ると、それは同じクラスの高梨 葵だった。
「どうしたの」
蹲って動かない葵を見ると右足首が赤く腫れている。
「腫れてるじゃん。落ちたの!?」
誰かが来た事で、葵の顔はホッとしたが、声をかけてきたのが咲太郎と解って彼女の顔はにわかに強張った。それでも、誰かが来てくれたというこの状況に安堵する。
「階段、踏み外しちゃって……動けなくて」
授業の後に委員会の担当教諭に仕事を頼まれ、いつもとは違う階段から階下に降りようとしたのがいけなかった。校舎の端にあるこの階段は思いの外人が通らず、葵はもう5分もここでひとり蹲っていたのだ。
咲太郎は葵の足の腫れを確認すると、「俺、肩貸すから保健室に行こう」と彼女の肩に腕を回す。泣きそうになりながら「ごめんね」と言うと咲太郎は「本当はおんぶしてやれたら足もっと楽なんだろうけど。ごめんな、俺非力だから」と笑って「あ、高梨さんが重いって意味じゃないよ」と付け加えた。
貸してくれた肩は、ちゃんと力強くて、教室で見る陶器でできた日本人形のような無機質さは微塵もなかった。
「あれぇ、高梨どうしたの」
足元に気をつけながらゆっくりと廊下を歩く二人に、ザラリとした声がかけられて顔を上げた。そこには、あのクラスメイトの男子がやけに人のいい顔をして立っていた。
「あ、あの……足、挫いちゃって……それで……」
普通に咲太郎に助けてもらった、と言えばいいだけなのだが、何故かすっと台詞が出てこない。
咲太郎が彼らから無視されていることは知っていた。……グループメッセージで陰口を叩かれている事も、同じクラスだから当然に。葵は一度もそれに賛同したことはなかったし、彼らが何か発言した時に肯定したこともなかった。……否定したこともなかったけれど。
葵は彼らの発言がただのやっかみだと解っていた。みっともないと思っていた。
けれど、何か発言して矛先がこちらに向くのも怖くてできなかった。
彼らの言い分を肯定するわけではないけれど、人に構っていられるほど海成の勉強は甘くなく、目の前の課題をこなすことで精一杯だったから。まずは自分のこと、まずは自分のことだ、と言い聞かせていた。咲太郎も、表面上はいつも通りだったから。
「え、そいつ、勉強しかできないよ? 大丈夫? そいつに助けてもらったらまた転んじゃうかもね」
その物言いにカチンと来て、言い返さなくてはと葵は思った。けれど――
「ああ、なんだ、もしかして高梨……成宮のこと好きなの?」
そう言ってぐにゃりと笑った男子生徒が気持ち悪くて、地面から足を伝ってくる言いようもない恐怖に体が震えた。
「そんなわけ無いでしょ!!」
咲太郎を気持ち悪い、と思ったわけではないのに、気がついたら葵は咲太郎を突き飛ばしていた。さっきまで咲太郎に支えられていて痛くなかった足が、地面についてズキリと痛む。一瞬見えた咲太郎の顔が、当たり前に傷ついた顔をしていて葵は後悔した。
(馬鹿だ。私。……成宮くんが傷ついてないだなんて、なんで思ったんだろう)
そう思うのに、口からは咲太郎を庇う言葉が出てこない。自分に悔しくて、涙が出てくる。
男子生徒は「だよなぁ」と笑って、俺等が保健室に連れてってやるよと言って、咲太郎はその場にただ一人取り残された。
それから、葵がなにか言われることはなかったけれど、グループメッセージで『あいつは女にも手を出してるのに流石ですね』とか何とか、余計ないわれのない事まで追加されるようになってしまい、その一件後、咲太郎は教室で愛想笑いもしなくなってしまった。
けれども、相変わらず咲太郎の成績はトップを走り続け、夏休み明けのテストではなんと全教科100点だったらしい。海成は令和の時代の学校では信じられないが成績順が点数とともに未だに廊下に張り出されるから、結果は誰の目にも一目瞭然だった。
対して、咲太郎をやっかんでいた男子生徒は順位を10位も落としていたから、最近はグループ活動中も教師に見つからないように咲太郎を無視するようになっていた。 もう、授業で当てられた時以外に、咲太郎の声を聞くことが全く無くなっていた。
そして、二学期の中間テスト。変わらずに学年1位を守った咲太郎に、グループメッセージで『あいつアンドロイドかなにかじゃねーのww 心無いわw』という心無い言葉が投げかけられた。成績が思うように伸びなかった生徒数人が賛同して『それなw』と盛り上がっていた。
【つづく】
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