その4 魔女の弟子
アーシィに精霊魔法を教えてもらう約束をした次の日。
裕貴は前日に寝付けなかったせいで寝坊してしまった。もっとも別に起きる時間はいつでも構わないとアーシィは気にしていなかったのだが、裕貴のほうはすっかり恐縮してしまった。
「それじゃあ精霊魔法の練習をしましょうか。」
「はい!よろしくお願いします!」
背筋を伸ばして深くお辞儀し大きな声で言う裕貴。そんな彼を見てアーシィは少し笑ってしまった。
「そんなに畏まらなくていいのよ。まずは精霊が居るってことを感じられるようになりましょうか。普通にしていると分からないけれど、感覚を掴めばはっきり存在を感じ取れるわ。言葉で説明するのは難しいから身体で覚えてちょうだい。まずは私の手を握って。」
「は、はい。」
差し出された手を握る。少し硬いが繊細で指が長く暖かい。
「ミュ。」
「え?あ、うん。」
なぜか反対側の手をミュウが握ってくる。プニプニした肉球がやわらかく、大きな手で裕貴の手が全体覆われており暖かくて心地よい。
「ふふ、それじゃ目を閉じて。私の魔力をあなたに流して感覚を教えるわ。心穏やかに、力を抜いて周りの音や風の感触、流れてくる匂いを感じて。」
アーシィに言われてた通り目を閉じる裕貴。アーシィとミューの手の感触。頬に当たる風。風に揺れる葉の音。鳥の鳴き声。澄んだ空気の香り。
何か暖かい力が身体を包み込む。それを感じた時、手の温もりにぼんやりと力が宿っているのが分かる。それは風にも、揺れる葉にも、鳥や虫にも、自分の身体の周りにさえありとあらゆるところにあるのを感じる。
「分かる?いろいろな物に私が送った魔力のようなものが宿っているでしょう。それが精霊なの。最初は分かりづらいかもしれないけれど。」
「分かる。分かるよ。手の温もりにも風にも葉っぱにも。力が宿ってる。そっか、これが精霊なんだ。」
「え、ええ。すごいわね。そんなに早く感じられるなんて。もう目を開けても分かるかしら?」
「うん。あ、ほんとだ。目を開けてもなんとなく分かる。感じ方が分かれば本当にどこにでも精霊がいるのが分かるね。」
手を放すと、楽しそうに辺りを見渡す裕貴。あまりに簡単に感覚を掴んだ裕貴に、アーシィの方が困惑している。
ふと見ると、その裕貴をなんだか楽しそうにミューが見ている。
「あなたが何かしたの?」
「ミュ?」
聞いてみても首を傾げる。
「裕貴にばかり気が行っていたけれど、あなたって謎の存在すぎるわね。いったいなんなのかしら?」
「ミュー。」
苦笑するアーシィにミューは楽し気に鳴いたのだった。
§
精霊の存在を感じられるようになった後は、どこにどんな精霊が居るか、何が出来るか、何が好きかを教わって行く。
火の精霊は燃えやすいものを好む。乾燥した葉や木屑等に集まりやすい。また密閉されるより風通しの良いほうが好きで、物を擦り合わせるなど熱が出るものや、手に暖かい息を吹きかけたり毛皮で包むなど温度が上がると集まって来やすい。
同様に水の精霊なら湿った場所や、苔など水を吸いやすい物、水場があったり濡れていれば集まっているし、風の精霊は自然に吹く風だけでなく、吐く息や扇いで起こる風にも紛れている。
裕貴は、アーシィの説明を受けて、だんだんと精霊の性質を理解してきた。自然現象が起こりやすい条件を整えたり、水分や熱ならそれらが逃げにくい状態にすることや植物なら生育しやすいよう水や光に当たりやすいようにするなど、精霊の宿る物に合わせた条件にするのが基本だと学んだ。
「それじゃ、試しに火を起こしてみましょうか。」
「はい!ええと、まずは燃えやすい物を集めて。密閉しないようにしてっと。」
「最初は日の光に当てたり、木を擦り合わせたり、しっかり熱くしてやると言うことを聞いてくれるわよ。」
「わかった。あ、そうだ。」
「どうしたの?」
「クロマトをちょっと借りていい?」
「いいけど、どうするの?」
裕貴は今朝収穫したばかりのクロマトを持ってくると、その表面を焚き付けに使う木の葉に擦りつけた。クロマトの表皮の色は擦りつけても移るため、木の葉が真っ黒になる。
「よし、そしたらこれを日の当たるところに置いてっと。」
黒くなった木の葉と小枝を集めたものを日の当たる地面に置くと、手で筒を作って息が逃げないように木の葉へ吹きかける。
(火の精霊さん。少しでいいから火を点けて。)
願いを込めて息を何度か吹きかけると、少しずつ木の葉の端が熱を帯びて赤くなっていき、対には火が出た。
「やった!上手くいったよ。」
「すごいわね。火の精霊が好む条件を上手く作り出せているし、ちゃんと精霊も働いているわ。あなた、精霊魔法の素質があるわよ。」
「そ、そうかな?きっと師匠の教え方が良かったんだよ。」
「ふふ、もう。私の助力なんて大した事ないわ。あなたの力なんだから、胸を張りなさい。」
「うん。ありがとうアーシィ!」
「ミュー。」
「あはは、ミューも喜んでくれてるの?ありがとう。」
抱き付いて鼻を擦りつけてくるミューを撫でながら裕貴は楽し気に笑う。
アーシィはそんな彼を見て満足げに頷いたのだった。
§
それから少しずつ、裕貴は精霊魔法で出来ることが増えていった。
最初はいろいろと条件を整えてやらないと力を借りられなかったが、何度も行っているうちに、簡単な条件でも力を貸してくれるようになった。
アーシィが言うには精霊との相性や親和性もあって、何度も力を借りていると簡単な対価でも力を貸してくれるようになるらしかった。
朝起きるとまずは水汲み。もちろん自分の力では井戸から水を汲むことは出来ない。
「水の精霊さん、力を貸して。」
井戸をのぞき込みそう言う。すると井戸から水が吹きあがって来て、桶いっぱいに水が入る。
「ありがとう。そしたら水やりだ。」
水の入った桶は重い。最初は一人で運ぼうとして苦戦していたが、結局ミューが持ってくれるようになった。
「ありがとう。いつも助かるよ。」
「ミュウ。」
嬉しそうに鳴くミューと畑へ行く。土の状態を見ると朝露で多少湿っているが十分とは言えないようだ。
「少しだけ撒けばいいかな?水の精霊さん、ちょっと力を貸して。」
裕貴は水桶に手を入れ、何度か水を掬ってバシャバシャと適当にばら撒く。撒かれた水は空中で広がると、野菜の植わっているふかふかの土へ均等に染み込んでいく。明らかに手で撒いている以上の範囲へ届いており、ちょっとした手品のようだ。
それから畑に生えた小さな雑草のところを周る。
「ごめんね。ちょっとどいてもらえるかな?」
水を撒かれて水滴が付いた雑草は、裕貴にそう言ってつつかれると、意思を持ったように土を掻き分けて地上へ根を出すと、畑の外へ向けて移動し、また土へ根を下した。
一通りの雑草に声をかけてつついた後には、畑の外へ雑草たちが整列して植わっていた。
「ありがとう、助かるよ。」
そう声をかけられ、雑草たちはさわさわと風に揺れていた。
それから野菜の収穫。採れる野菜の育ち具合はアーシィに教わったので、少し迷いながらも良さそうなものを取る。
そして部屋を掃除していたアーシィの元へ行き、料理を手伝う。
野菜の洗い方もすっかり覚えたし、煮込んでいる間に食器も用意できた。
ミューは木の花入れを持ち上げてテーブルを尻尾で撫でてから花入れを置く。そこへスープの入った器と木のスプーンがふわりと飛んできて置かれると、2人と1匹は椅子に座って朝食の準備は完了だ。
『いただきます。』
「ミュー。」
朝食を終えて食器を洗って仕舞った後、アーシィは裕貴を呼び止める。
「裕貴、ちょっといい?あなたずっとその服だけじゃ不便でしょ。」
「うん、まぁ確かに。」
井戸水で身体を洗うついでに服も洗って、精霊の力を借りて乾かしているので、それなりに綺麗にはしているつもりだったが、洗い終わるまで裸なのも居心地が悪いのでもう1着欲しいとは思っていたのだ。
「良かったらこの服を使って。ありもので作ったから、ちゃんとした布地ではないけれど、まぁ着られるだけましでしょう。」
「アーシィが作ってくれたの?嬉しい!ありがとう。」
素材はアーシィの言うとおり、森の植物で作った麻布のような粗い生地と動物の皮だが、彼女の着ているローブと違って、ちゃんとズボンにシャツ、ジャケットだった。
裕貴はさっそく着替えてみる。
「どうかな、似合ってる?」
「ふふ、ええ。よく似合ってるわ。魔女の弟子って感じね。」
「そっか、嬉しいよ!」
「ミュー。」
「ミューも誉めてくれてるの?ありがとう。」
そう言って2人と1匹は笑い合う。
その後はまたキイチゴや森の木の実を集めて、乾燥させ形態食を作ったり、水辺まで行って麻のような植物を採取し、布地を作って背負い袋を作ったり、アーシィやミューと生活を供にしながら2週間。やっと旅支度は整ったのだった。
§
必要な物はすっかり背負い袋に入れ、明日には出発という日。
いつも通り2人と1匹は食卓を囲む。
裕貴の服はアーシィに貰ったもので、下着は着まわしているものの、着ていた制服は背負い袋の中だ。
「いよいよ明日には出発だね。改めて本当にありがとう。」
居住まいを正してお辞儀する裕貴。そんな彼を見てアーシィは笑う。
「ふふ、どういたしまして。まぁ、どうせ森を出るまでまだ何日も一緒なんだからそんなに畏まる必要はないでしょ。」
「そうだね。でも、本当にいっぱいお世話になったのに、何にもお返しが出来なくて申し訳ないなって。」
苦笑する裕貴にアーシィは首を振る。
「そんなことないわ。私も結構楽しかったもの。それだけで十分よ。」
しみじみと言うアーシィに、裕貴はなんだか照れ臭くなり、ごまかすために質問をした。
「そういえばアーシィって、この森に住む前ってどうしてたの?」
「ここに住む前ねぇ。サマーリン王国の端っこにある小さな村の、そのまた端っこに私の師匠の魔女と一緒に住んでたわ。」
少し遠い目をしながら言う。
「そうなんだ。どうしてこの森に?」
裕貴の言葉に、アーシィは少し間を置いてから話を続ける。
「大した事じゃないわ。師匠が亡くなって、村にも知り合いが居なくなって、採取するのに森と村を行き来するのも面倒だから森の中に住むことにしたのよ。」
「そっか。その……、家族とかはどうしたの?」
聞いていいのか一瞬迷ったが、すでにでかかった言葉を飲み込むことは出来なかった。
「家族か。魔女ってね、身体は人間と変わらないけれど、魔力にとても親和性が高くて、寿命も遥かに長いの。人の中からたまたま魔女になる子が居るのか、魔女の子供が魔女になるのかは分からないけれど、私は物心ついた時から師匠と2人だったわ。師匠がお母さんだったのか、まったくの他人である私が魔女だったから弟子として引き取ったのかは最後まで教えてくれなかったわ。小さい頃は村の子と遊ぶこともあったけれど、皆年老いて先に亡くなっちゃうから。気づいたら一人で、なら便利な方がいいかなって森の中へね。どんどん奥へ入って行ったらこんなところまで来ちゃったわ。」
「そっか。……大変だったね。」
憂いを帯びた瞳に、どんな言葉をかけていいか、まだ高校生の裕貴には分からなかった。自分がもっと大人だったら、もっとマシな言葉が出て来たのだろうかと意味もなく頭に浮かんでしまう。
「ううん。別に大した事じゃないのよ。家族や友達との別れは誰にだってあるでしょ。あなたみたいに突然引き離されたわけじゃないもの。だからまぁ、あなたに会って、すごく久しぶりに人と話をしたのよね。だから人と一緒に過ごすのがこんなに楽しいんだって忘れちゃってた。思い出させてくれてありがとうね。恩返しなんてそれで十分。」
「そっか。僕もとっても楽しかった。でもやっぱり、大切な人達をほったらかしにはできないからさ、帰る方法を探すよ。」
「そうね。それがいいわ。大切な人に突然会えなくなるなんて、やっぱり辛いものね。」
アーシィは裕貴と目を合わさずに笑った。それが裕貴にはずいぶん寂しそうにみえたのだった。
§
その日はずいぶんと天気が良かった。
雲一つない青空で、朝の日差しがすがすがしい。
風も穏やかで優しく、旅に出るには絶好の日和だった。
「忘れ物は無い?」
「うん、ちゃんと確認したよ。大丈夫。」
アーシィの言葉にしっかり頷く裕貴。
「それじゃあ出発しましょうか。今日は川の近くまで行って、そこで休みましょう。魚も取れるから食料を節約できるし。」
「そっか。この世界にきて魚って初めて食べるなぁ。ちょっと楽しみ。」
「ふふ、結構おいしいから期待してて良いわよ。それじゃあ行きましょうか。」
「おー!」
「ミュー。」
手を挙げ声を出す裕貴に、ミューも合わせて鳴く。
2人と1匹がまさに旅への一歩を踏み出す、その時だった。
「えっ?」
「何?」
「ミュ?」
裕貴の足下が突然光る。光は裕貴を中心に輪になって強くなり裕貴を包み込む。
「うわっ!?何これ?どうなって――。」
「裕貴!?」
「ミュー。」
裕貴の全身が輝くとき、ミューが彼に抱き付く。
次の瞬間、裕貴とミューの姿は忽然と消えていた。
「うそ……でしょ?」
目の前で起きた突然の出来事に、アーシィは一人立ち尽くしていた。
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