第4話 互いの思惑



 部屋の窓から覗く景色に、馬車の姿が遠のいていく。




 リュネット・サルペントと接触を図り、数時間後。彼女の馬車を見つめながら、クルード・フォン・プレニウスは腕を組み黙りこくっていた。


 

 ──「手を貸してくれないだろうか?」



 そう述べたクルードに、リュネットの返事は、決して、乗り気でも抵抗でもなく、どこか値踏みし警戒を滲ませたものだった。



 内心(それはそうだろうな)と納得するものの、しかし、



(……久しく見ないうちに変わったものだ)



 胸の内で呟くクルード。


 彼の脳裏に蘇るのは幼き頃。

 サルペント男爵に連れられ朗らかに笑う少女の彼女だ。



 元より聡い娘ではあったが、ああも……



 ──と。

 よぎる過去と今の彼女に、思わず右手で口元を隠すクルードに、後ろから。

 ショーンの遠慮がちな声が響いた。




「……クルード様……本当に、彼女を信じてよいのですか?」



 問われ振り返る。

 壁を飾る、歴代のプレニウス家当主の肖像画が威厳と風格を放つ中、ショーンは不安そうだ。

 

 大方、リュネットの受け答えに恐れ慄いたのだろうが……



 クルードは金の髪束を揺らし問いかける。



「……ショーン。おまえにはどう映った」

「あの目の奥に潜むもの……底知れない思惑を感じて……ワタシには、恐ろしく映りました」


「ああ、そうだな」



 予想通りの受け答えに、ひとつ相槌。

 そして、彼は青の瞳を怪訝に細め呟く。



「……昔はあれほど牙を秘めた娘ではなかったのだが」

「昔は昔です、クルード様」

「ショーン。おまえの言いたいことはわかる」



 あくまで警鐘を鳴らすショーンに、クルードは見をただして頷いた。


 ショーンは優秀な側近であり、何よりもクルードの身を案じているのだ。彼の生い立ちを考えれば、その想いは手に取るようにわかる。


 ──しかし。

 

 それを振り切るように、クルードはひとつ。

 カツンと踵を鳴らすと、腕を組み、その表情に難色を示し口を開くと、



「我がプレニウスは代々、王家よりこの土地を治める使命を賜っている。私怨に動くべきではない……それも分かってはいる」



 固い口調で言う。

 決意は揺るがぬと示すように。



「しかし我々には彼女の力が必要だ。ダルネスの周囲に蠢く謀略……これが事実なら、叩かねばならない」



 述べ、過ぎるは「密告」。

 ダルネス子爵に纏わる黒い噂。

 

 どぐん……っと胃の奥が蠢く感覚に襲われた瞬間、ふと、クルードの目に飛び込んできたのは、テーブルの下の白い布。



 リュネットが掛けていたソファーの足元のそれに気がついて、ゆっくりと足を進めるクルードに、ショーンの戸惑いの声は続くのである。




「ですがクルード様、その……」

「随分と歯切れが悪い。どうした」

「リュネット様に手の内を明かすことになります。あんな壊れかけの笑顔を作る女に、協力要請など……!」


「ショーン」



 牽制の音が飛んだ。

 

 ショーンの言い分はわかるが、クルードはやや腹を立てていた。


 指の先で絹のハンカチを拾い上げ、丁寧に汚れを払うと、クルードは彼に顔を向け述べる。

 



「……壊れかけの笑顔、か。おまえにはあれがそのように見えたのか」



 確かに作りこまれたエガオだった。

 語る彼女の『本音』も、狂気に感じるのも仕方ない。


 しかし、貴族というのはそういうものだ。


 クルードには到底真似できぬ芸当だが、笑顔で、虚像、渡り歩かねばならない魔窟の世界……。


 

 それを知り得るクルードは言う。

 ある程度の確信を持って。



「リュネット殿は壊れてなどいない。

 あれは、壊れた人間の目ではない。

 彼女は恐ろしく用意周到に状況を作り上げている」


 流れてくる悲壮めいた状態に怪訝を抱いたが、あの女……


「……『人は哀れなモノに心を寄せる』、はは、名言だ! それで掌握しているのなら大したものだ」


 

 愉快を宿してもう一度、クルードはニヤリと口元を緩め笑う。


 しかし、横目で捉えたショーンは未だ、不安そうだ。


 

 その瞳に込められた想いと、互いの奥底に茹だる復讐心を決意の笑みに宿して。クルードは手元のハンカチに目を落とし、言う。



「……案ずるな。全てを信じはしない。まずは見極める」


 リュネットが彼らにとって、欲しい逸材であることは間違いない。



 夫のダルネスにも元より愛情はなかったようだがしかし、奴の嫁であることは変わりない。


 


「……同志か、駒か」



 右手のハンカチに、彼女を映して。

 呟くクルードは、その、どちらでもない選択肢がよぎる自分に、口を閉ざした。



 彼女の目には、理屈では割り切れない力がある。

 彼女の雰囲気には、男でさえ躊躇う覇気がある。

 ────そして……



「……」

 クルードは、絹のハンカチを折りたたみ、懐にしまい込みながら、口の中で呟く。




「……しかし、あの女……愚図ダルネスの女にしておくのは惜しい……」



 呟く彼の鼻腔に、ハンカチから香るほのかな匂いが広がった。










 プレニウス邸からの帰り道。

 遠ざかる屋敷を背後に揺れる馬車の中、リュネットと侍女のネネは黙りこくっていた。



 2人を支配するのは、もちろんクルード伯爵の申し出である。クルード伯爵を疑う訳ではないが、

両手放しで信用できるわけでもない。


 加えて、彼に聞かされた話は、軽い話ではなかった。当然、考えてしまう。




 ガタガタと揺れる馬車籠の中。

 リュネットに神妙な面持ちを向けるのはネネだ。

 彼女は迷いと不安を宿したまま、リュネットに目を向けると、



「……奥様……、クルード伯爵の申し出を、どう捉えますか?」

「彼は賢いお人ね。わたくしたちに事情をお話になられたのも、こちらを読んでのことでしょう」



 問われ、口だけを動かし答える。

 この馬車はクルード伯爵が手配してくれたものだが……、気は抜けない。御者も信頼できるかわからない。


 

 しかし、そんなリュネットの警戒を読めなかったのか。ネネは思い詰めた様子で口を開き、




「伯爵様がダルネス様に恨みがあるのはわか……」

「──しっ。口を慎みなさい。御者に聞こえてしまうわ」


 素早くネネの言葉を遮って。

 リュネットは馬車籠の外、馬を操る御者に目を配らせた。



 御者はきっと、プレニウスのお抱えだろう。

 が、しかし、屋敷で聞かされた情報は、軽く口にしていいものではなかった。

 


 馬車馬の足音を耳に、リュネットが思い出すのはプレニウス伯爵の吐露である。


 聞けば、クルードはかねてより、ダルネス家およびその周辺を内密に調べていたらしい。



 そこで掴んだ「こちらの事情」。

 


 ダルネスが奪い掌握した販路のこと。

 その販路も人脈も、ダルネスが壊しかけていること。

 リュネットに関するうわさ。

 


 おそらく彼は、リュネットに商談を持ち掛けても、首を横に振ると分かっていたのだ。それを分かっていながら、発破をかけ、協力を求めてきたのは──奥に、更なる理由があったから。




 ……驚いたわ。彼にそんな事情があったなんて……



 胸の内で呟きながら思い出すのは、クルードの問い。

 伯爵ほど地位にある人間が、子爵ごときに目を光らせている理由が脳に蘇る。




 『……サラ・マクラベルという名前を聞いたことはあるか?』


 静かな問いに首を振った。

 聞いたことのない名前だった。

 後ろでショーンが驚いた顔をしたが、クルードは続けた。



 『……そうか、口にもしないのだな。……報われない』


 述べる彼は心の底から悔しそう虚しそうで、その空気に息を呑んだ。




 それだけで、おおよその推測は立った。



 彼にとって、そのサラが大切な存在であったこと。

 サラはもうこの世にいないこと。

 そのサラはおそらく、ダルネスと関係があること。


 それを裏付けるような長き沈黙の後。

 クルードは、絞り出すように話し始めたのである。


 

 『爵位に就いて、内密に調べさせた結果、ダルネスのもとに辿り着いてな。結果、リュネット殿の件も知る由となった』



 そう語るクルードには、武骨な痛みと申し訳なさ、云いようのない無念が漂っており、リュネットはそれ以上を問うことができなかった。



 おそらくあれが、彼の精一杯なのだ。

 子爵の妻である自分に言えることなど、今は限られているのだろう。


 

「…………」



 ──事情は分かった。

 彼がもう少し、亡き妹サラについて情報を欲しがっていることも。ダルネスがサラに何をしたのか、そこを突き留めたいことも。



 そして、そんな彼の無念を通して、今。

 リュネットの脳に蘇ったのは、父と母の死である。



 唐突の別れだった。

 事故と聞かされたがそれ以上は解らない。

 調べる術も奪われた。

 その上、ダルネスのあの言葉……!



  『──天罰だろうなぁ』



 ダルネスの軽薄な嘲笑に力が入る。

 悔しさが渦を巻く。



 と、同時に蘇る、サルペント家の誇り。

 領地を支え、民を守り、商会を発展させるという意思。

 その全てをダルネスに踏みにじられ、汚されたあの屈辱。


 そして、今、自分が「売られる妻」の烙印を押されているという現実。



「……リュネット様? 「このまま乗って」、よろしいのですか?」

「……ええ」

 

 問うネネに、リュネットは静かに頷いた。



 これは好機だ。

 家の名前・販路・サルペントの誇り。



 父と母の名誉……!

 自分が売りに出される前に、取り戻す、最後の好機……!




「先方の事情はわかりました。わたくしも、このまま黙って売られる女ではありません」

「……では……!」

「──ええ。こちらから動きましょう。ネネ。力を貸して下さるかしら。貴方にしか頼めないの」

「……はい、奥様……!」

 


 こうして、売られる奥方・リュネットと。

 復讐の伯爵・クルードとの間で、事実上の協定が結ばれたのである。











 それから、少しの時が流れた。

 侍女のネネを橋渡しに、リュネットとクルードが連絡を取り合っているなどつゆ知らず。ダルネスとナルシアは相変わらず、他人を蔑みあざ笑う生活を送っていた。




 それに根を上げたのは、リュネットではなく使用人たちである。ナルシアの傍若無人の振る舞いにより派閥ができ、空気がギスギスしていたが、加えて嫌がらせまで加わったら勤めてなどいられない。



 屋敷からは、ひとり、また一人と消えて行った。

 しかし、ダルネスもナルシアも鼻で笑って気にしていなかった。


 使用人ならいくらでもいる。

 募集をかければ、金欲しさにやってくる。

 そう、高をくくっていたのだが──問題は、問答無用で襲い掛かってきた。



 ダルネスの世話係、ピヨールが逃げ出したのだ。旧知の仲であるピヨールの失踪は流石に堪えたようで、ダルネスは珍しくリュネットに泣きついた。



 『誰も私を愛してはくれない……リュネット、お前は違うだろ?』



 ……自分から「妻売り」に申請をし、愛人まで作り好き勝手やっているのに、何を言っているのだこいつは。と、リュネットは心の底から思ったのだが──



 彼女はそれを逆手に取った。

 ダルネスにひとり、真面目な使用人を紹介したのである。

 規律正しく、落ち着いた声を持つその使用人を、ダルネスはとても気に入った。




「おい、ショーン! 彼女がナルシアだ! 挨拶をしなさい!」

「はい、ダルネス様。初めましてナルシア様。わたくし、ショーン・マクラベルと申します」


「まあ! 素敵な青年ですこと! ダルちゃんのお付き? いいなぁ、ナルシアにもついてくれない?」

「はははは、冗談が過ぎるぞナルシア! お前にこんな男を付けるわけにいかない、すぐに食べられてしまうぞ? わたしがお前にしたように、な♡」

「きゃ♡ もぉ~、ダルちゃん、そんな恥ずかしいこと言っちゃダメ♡」


「はっはっは!」

「ふふふ♡」



「────……はは」




 いちゃつく二人に、ショーンは心を閉ざし、笑顔の仮面を身に着けた。

 これも全て、念願成就のためだと、静かに拳を握りながら。








 夜の帳が降りたダルネス領の外れ。

 没落貴族が手放した屋敷の中。


 かつての栄華を物語る広間の天井は崩れ、月明かりが無遠慮に床を照らしていた。


 壁には薄汚れた古い壁画が残り、埃の積もった家具が散らばる。暖炉の中で赤々と燃える火が、荒んだ部屋に僅かな暖をもたらしていた。



 だが、それが照らすのは、廃墟と化した部屋の中と──そこで酔いに浮かれる二人の男だ。




「はっはっは! おいラヴィズ、もっと飲め! 上質の酒だ、振舞ってやろう」


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