第3話 おまえ、いつまでその皮を被り続けるつもりだ
「──おまえ、いつまでその皮を被り続けるつもりだ」
低く鋭い声が、談話室の空気を変えた。
その一言に、リュネットは目を見開き、瞬時にその場を計りにかけた。
(どう返すべきかしら)
刹那、頭の中で算段が弾け飛ぶ。
だが、次に飛び込んで来た、それを許さぬかのような紺碧の瞳に、息を呑んでしまった。
クルード・フォン・プレニウス伯爵の威圧が凄まじい。
彼は微動だにせず、冷たくも鋭い目つきでリュネットを見据えている。
ほんの些細な動き、視線の揺らぎさえも見逃すまいとするその眼差しは、まるで剣を構えた騎士のようで、何か言えば容赦なく真実を抉られてしまうだろう。
そんなクルードに気圧され、頬をかすかに強張らせるリュネットの視界の隅で、ショーンが一歩身を引く。
その緊張を、さらに加速させるように。
クルードが再び口を開く。
「かのサルペント商会がダルネスの手に落ちたのは存じている。」
その声には、抑えた怒気が滲んでいた。
「ダルネス卿の婚姻にまつわる醜聞も耳にしている。それだけの悲劇に見舞われておきながら――おまえから感じるのは、『作り物めいた悲壮感』だ」
まるで刃のように鋭い言葉。
彼女は視線をそらさず問い返す。
「何をおっしゃりたいのでしょう?」
「おまえの知恵を奪い、意志を折るような環境にあったのなら、それは哀れなことだ。だが、俺にはそう見えない」
「……」
「……まるで、自らを『悲劇』で飾り立てようとしているように見える。違うか?」
「……あら。お見通しですのね」
気迫漂う詰問に、リュネットが返したのは、あっさりとした肯定だった。
そうだ。演技だ。
すべて作りものだ。
それを見破られたことなど無かったが、彼にはバレている。
ここで隠すのは得策ではないだろうと判断し、ほほ笑むリュネットに、クルードの瞳が光った。
「……ほう?」
愉悦を交えて眉を上げる彼。
先ほどとは一変、鋭い詮索の中に僅かな興味を放つ彼は、にやりと笑うと、自身の頬を触りながら口を開け、
「……認めるのか。悲壮の笑顔で同情を誘うか、もしくは怒り出すと踏んでいたのだが……違っていたようだな」
「随分と試されたものですね」
「……クルード様にその口利き……!」
ショーンが怒りを交えて割り込んだ。
しかし、クルードは彼を制するように片手を挙げ、笑みすら浮かべると、
「ショーン。構わん。俺は彼女の真意を知りたいのだ」
「……真意、ですか?」
それに返したのはリュネットだった。
先を促すリュネットに、クルードはひとつ、じっとりと頷くと、思案するように腕を組み、
「おまえがダルネスに嫁ぐ前から、おまえの話は聞き及んでいた。『非常に聡い娘だ』とな」
静かな物言いに心が揺れた。
彼は「私」を知っている。
そんなリュネットの前、彼は上質なソファーで続きを語る。
「あれは4年前か。あのサルペント商会の大市にて、わずか13歳のおまえが取引の場に同席し、交渉を見事に納めた」
彼が語る思い出話に、また。
リュネットの瞳が僅かに揺れた。
「『難攻不落の大旦那』と呼ばれていたレインベル卿を説き伏せ、多額の融資まで引き出した。それも、わずか半刻で」
述べるクルードは証拠を並べ立てるような迫力を放ち、リュネットを射抜き続ける。
「商談に同席していた貴族たちは、その場でおまえに一目置いたと聞く。『幼さを感じさせる娘ではなく、場を制する交渉人そのものだった』と。しかし、それがどうだ?」
クルードの声が、ぐんと低くなる。
そこに滲む、明らかな怒りの色。
「ダルネスの元に嫁いでからというもの、哀れな噂しか聞こえない。腑に落ちない」
──それはまるで、悔しいと言わんばかりの色で。
リュネットは一瞬視線を下げた。
『おまえはそんな女ではないだろう』
無言の問いが胸を打つ。
迷う瞳が、クルードに惹かれて上がる。
本質を表せと言われているような感覚に、リュネットは小さく息を吐き、静かに目を閉じた。
──これは騙せません。
きっと彼は、わたくしに似ているのでしょう。
ただの挑発ではありません。
確信を以って述べていらっしゃる──……
それは、”経験と思考がなせる業。
己で見、考え、導き出した答えへの信頼──
──ふう……
数秒の葛藤。
迷いを晴らすように、リュネットは小さく息をついた。
それは、諦めか、それとも同調か。
リュネットはそれまで浮かべていた「悲壮に満ちた」笑みを一変。
きりりとした眼差しで彼を見据え、冷徹で策略的な笑みでゆるりと唇を開くと、悪戯のばれた子どものように手を開くと、
「……なるほど。流石は
「──ほう? なぜそのように振舞う? なぜ耐え忍んでいる? 嫁いだ娘とはいえ、おまえの才が消え失せたわけではない。ダルネスごとき、いくらでも説き伏せられるはずだ」
「……人は皆、哀れなものに心を寄せたいのです」
言われ、端的に答えた。
穏やかに、かつゆったりと放った鋭利な棘に、クルードが驚き目を見開く中。リュネットは静かな笑みを湛えて云う。
「憧れ・羨望・悪意・憐憫……。人が
言いながら思い出すのは、屋敷の人間たちの顔や態度だ。
日々繰り返される理不尽な行為に、ダルネスに忠誠を誓った執事が寝返った。日和見だった召使いが気をかけてきた。
「哀れ」が集まってきている。
それが、「現状」。
「一方的になじられ、侮辱を受けています。
このような場合、十中八九、人々は弱き者に加担する。弱き者の前では、
──わたくしは、「それを誘っているだけ」ですわ」
「ほう……」
明かした本性に返ってきたのは感嘆の音。
静かなる高揚を押さえ見射る先、クルードは愉快だと言わんばかりに顎をさする。
「つまらぬ女では無いようだな」
「あら。お褒め頂けるのですか? 光栄です、ふふ」
策略と策略が交錯する空間に、咲き誇るは共鳴の花。
腹の内の探り合いの最中見つけた共通点は、ふたりの距離を縮めるには十分だった。
「気に入った。『薄笑いの蛇』『菩薩の淑女』の噂に、飛んだ偽善女かと思っていたが……本性はそれか」
「まあ。本性だなんて。「立ち回り」です」
「──ふ、ははは!」
愉悦に頬杖をつき、クルードが笑った。
その声には言い知れぬ興奮が混じっており、まるで「こちら側の人間だ」と言うようだった。
そして彼は前のめりに肘をつくと、紺碧の瞳を光らせリュネットに笑いかけ、述べるのである。
「おまえの目は濁っていない。今も野心を燃やしているな? ダルネスの仕打ちをどう返してやろうか、そう企てている目だ」
「さあ。どうでしょうね」
ここで返すは「蛇能面」。
わざとはぐらかし、曖昧な返事を返すリュネットの挑戦的な姿勢に──
「食えぬ女だ、ふ、はははっ!」
再び笑うクルード。
その笑いはまるで彼女を許容し認めたようで。
リュネットも意識せず口の端を緩めていた。
考えを見せすぎたかと思ったが、そうではないのかもしれない。クルード伯爵の腹の内は掴み切れぬが、自分に対して興味を持ったのは間違いない。
後ろ盾も援軍もなにもない中、彼という人間は、この状況を打破する切り札になり得るかもしれない──……
そんな思惑を微笑みに隠し、わざとほころびを見せる彼女の前で。笑いを納めた彼は、ふぅ、と息を整えると、至極真面目な顔つきで述べたのである。
「──どうだろう? ダルネス子爵夫人……いや、リュネット殿。私に力を貸してはくれないだろうか?」
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