第1章:わたしが“元アイドル”じゃなくなった日

 ――「卒業、おめでとうございます」


 あのステージの上で、最後にマイクを置いた日のことを、

 わたしは今でも、夢の続きみたいに覚えてる。


 その日は、天気がよくて、ファンもスタッフも泣いていて、

 わたしも泣きそうだったけど、笑っていた。


 


 でもね、あの瞬間。

 本当に嬉しかったことがあったんだ。


 


 ファンの歓声でもなく、祝福の花束でもなく。


 


 ――舞台袖で、悠真くんがただ“恋人の顔”で迎えてくれたこと。


 


 誰の目も気にせず、真っ直ぐに近づいてきて、

 そっと抱きしめてくれた。


 


 「お疲れさま、透花。……すっごく、綺麗だったよ」


 


 それだけで、全部報われた気がしたの。


 


 わたしは今、“アイドル”じゃなくて、“悠真くんの彼女”なんだって。



◆その後の日々:はじめての“普通”


 アイドルを辞めてからの生活は、思った以上に静かだった。


 朝は自分で目覚ましを止めて、

 洗濯機を回して、コンビニで朝ごはんを買って、

 電車に乗って、悠真くんと合流して、どこかでゆっくりお茶する。


 


 「ねぇ、こういうのって……ちょっと新鮮だよね」


 


 ある日、街のカフェでココアを飲みながら、そう言ったら、

 悠真くんが少しだけ目を細めて笑った。


 


 「“普通の恋人”ってやつ?」


 


 「……うん。へへ、なんか、照れるね」


 


 推される側じゃなくて、

 手をつなぐ側になって、甘える側になって。


 


 アイドルとしてじゃなく、“透花”として愛される日々。


 それが、どこまでも優しくて、でも少しだけ不安でもあった。



◆不安の理由、それは「今のわたし」


 ある晩、リビングで彼と並んで映画を観ていたとき――

 わたしはぽつりと、ずっと胸の奥にしまっていた気持ちを口にした。


 


 「ねえ、悠真くん」


 


 「ん?」


 


 「わたしが……もし“アイドルだった”って過去に、

 すがりたくなったら、どうする?」


 


 悠真くんは驚いた顔で、しばらく黙って、

 やがて、少し首をかしげた。


 


 「……透花は、“今の透花”じゃ、ダメって思ってるの?」


 


 その言葉が、思った以上に胸に刺さって――

 気づけば、涙がにじんでいた。


 


 「わたしね、ステージを降りてから、

 “誰かの特別”でいる理由がなくなった気がしてたの」


 


 「……そんなわけないだろ」


 


 悠真くんは、ソファの隣からそっと体を寄せて、

 わたしの手を握り、真っ直ぐ目を見て言った。


 


 「透花は、“今ここで、俺の隣にいること”で、

 充分に特別なんだよ。誰のものでもない、“俺の恋人”だよ」


 


 その言葉だけで、胸の奥に溜まってたものが溶けていった。


 


 わたしは泣きながら笑って、

 彼の腕にそっと頭を預けた。


 


 ――ねぇ、悠真くん。

 あなたが“今のわたし”を愛してくれるなら、

 わたしはもう、過去になんてすがらなくていいんだ。


 


 “ただの女の子”として、あなたと恋をしていく。


 


 それが、わたしの新しい物語の始まりだった。

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『After Love, Still Love』〜5人の彼女と僕の、その先の恋〜 如月キャシリア @kya_swrod

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