第6話 あなたの優しさが、誰かを救いますように
咲の可愛さ、優しさとお茶目さに癒されながら、カイと咲は順調に愛を育んできた。
気づけば3年が経ち、咲も二十歳を超え、カイはそろそろプロポーズをと考えていた。
咲もまた、静かにその時を待っていた。
「ねぇ、自分の指のサイズって知ってる?」
「え、だいたいね。……え? ねぇ、どの指? まさか、ここ?」
咲は左手の薬指を突き出し、ニヤニヤと見上げてくる。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねってば~」
「……しつこいなぁ」
カイはもじもじと目を逸らすが、咲が何度もツンツンしてくるので、ついに観念したように答える。
「……そうだよ」
そう言ってから、しっかりと咲の瞳を見つめ直す。
「結婚してくれる?」
咲は顔をぱっと輝かせ、冗談めかすように敬礼のポーズをとった。
「もちろん、喜んで!」
「居酒屋か!」
カイが思わずツッコむと、咲はクスクスと笑って、首をかしげる。
「ちょっと、ロマンチックなシチュエーションとは違ったけど……でも、カイらしいね。ふふっ、サイッコーに嬉しい」
そんなやりとりの後、ふたりは言葉を交わすことなく、時間を忘れ、抱きしめ合った。
咲は、溢れる涙をおさえきれなかった——。
ふたりは週末に指輪を選び、式場も少しずつ探し始めた。
すべてが順風満帆に進んでいた、あの日までは——。
咲が、ぽつりと呟いた。
「なんか最近、食欲ないんだよね……風邪かな、季節の変わり目だからかな。あっ、もしかしてマリッジブルーってやつ~」
冗談めかして笑ったが、その顔にはどこか無理があった。
「ちゃんと病院で診てもらおうよ」
カイは咲の手をとり、近くの総合病院に付き添った。
検査を受けたその日の夕方、咲は緊急入院を告げられた。
医師は、カイに告げる。
「咲さんのご家族に連絡をとってください。なるべく早く」
医師の言葉に、カイは状況を飲み込めなかった。
(風邪だと思ってたのに……なんで俺にそんなこと……)
「俺にも教えてください、咲の病状を!」
だが医師は、静かに首を振るだけだった。
「婚約者とはいえ、ご本人か、ご家族に了承いただかないとお話しできません」
翌日、咲の母親と一緒に病院を訪れたカイは、母の了承を得て診察室に入った。
白衣の医師は、重たい声で告げた。
「咲さんは――若年性白血病です。
進行が早く、現状のままだと……長くても3か月。早ければ、1か月以内の可能性もあります」
カイも咲の母も、目の前が真っ白になった。
言葉にならなかった。
その日は、どうやって病院を出たかも記憶にない。
気づけば、自宅の部屋でソファに座ったまま、窓の外が夜に染まっていた。
――後日、咲本人にも、医師から病名が伝えられた。
「咲さん、病名についてご説明します。あなたは、急性の白血病です」
咲は小さく息をのみ、わずかに間を置いて、静かに問いかけた。
「……白血病? 治るんですよね?」
医師は視線を少し伏せ、慎重に言葉を選びながらも、現実からは目をそらさなかった。
「治療はもちろん行いますが、今のところ、予後はあまり楽観的ではありません。ご家族と今後の方針を相談していきます」
その言葉の意味を、咲は理解した。
何も明言されていなくても、そこに含まれたすべてを。
そしてそれは、母やカイの沈んだ表情からも、確信に変わった。
咲は一瞬だけ目を伏せたあと、ふっと笑った。
「……そっか。カイにプロポーズされたばかりなのにね。
こんなの、ちょっとドラマみたいだよね」
病室には、やわらかな春の陽射しが差し込んでいた。
カーテンの隙間から入る光が、咲の頬をやさしく照らしている。
カイは、何も言えず、咲の手を握り返すことしかできなかった。
ふたりの時間は、止まってほしいほどに、やさしく、そして、せつなかった。
季節はめぐり、咲が入院してから、すでに2か月が過ぎていた。
体は痩せ、声もかすれがちになっていたが、それでも咲は、笑顔を絶やさなかった。
咲は、残された時間が、あとわずかと感じていた。
ベッドに横たわったまま、咲は静かに口を開いた。
「ねぇ、カイ……私ね、最初に“白血病です”って聞いた時は、すごく怖かった。
でもね、カイがそばにいるだけで、不思議と強くなれたの」
「私……後悔なんてないの。
カイに出会えて、こんなにも好きになれて、
プロポーズまでしてもらえて、いつも笑顔でいられた……」
その言葉どおり、咲はカイと過ごす一日一日を、心から大切に生きた。
咲は、少し遠くを見つめるようにして、静かに語り続けた。
「カイの優しさって、特別なんだよ。
それを、私だけが独り占めするのは、いけないんじゃないかって。
もちろん本音を言えば、ずっと独り占めしてそばにいたいよ。離れたくないよ……」
声がかすかに震えた。
「私の最後のお願い、聞いて……。もし、私がいなくなったら、
カイのその優しさで、誰かを笑顔にしてあげてほしいの。……約束よ」
そして、少し微笑んで、こう付け加えた。
「何十年後でもいい。カイが天国に来たら、絶対に、私を見つけて。
そしたら……また、こうやって、手をつないでくれる?」
カイは、震える手で咲の手を強く握りしめた。
咲は、余命「長くて3か月」と宣告されたにもかかわらず、
4か月目に入っても、生き続けていた。
それは、「カイのそばで、もう少しだけ生きたい」という咲の強い想いが起こした、奇跡だった。
しかし——
半年後、ついに力尽き、咲は、若くして、この世を去った。
まるで、天使が、そっと空へ帰っていくように——。
くしくもその日は、カイの28回目の誕生日だった。
咲は、カイと最後の誕生日を一緒に迎えたい一心で、生きる力を振り絞っていたのだった。
彼女が遺した言葉も、微笑みも、温もりも、
カイの胸の奥で、静かに生き続けていた。
そして——
数日後、陽菜は、偶然、それを知ることになる。
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