第3話 大学の同級生
「何年ぶりだい。とんだところで出会ったな。でも、助かったよ」
腕にはステッキをひっかけている。いま流行りのモボ(モダンボーイ)だ。カンカン帽をかぶって、淡い藍色の背広を着る藤堂浩斗が頼もしそうに隣を歩く書生風の男を見る。
「大学卒業以来だから二年ぶりだ」
ぶっきらぼうにこたえる書生風の男、三好蒼介がこたえる。
夕暮れの銀座通りを、並んで歩くには奇妙な取り合わせだ。
二人は三年前には同じ私立大学に通っていた。だが、その学生生活はまったく異なるものだった。
父親が財閥の幹部である浩斗は新物食いで、服装にもこだわる。洋物を着こなし、アメリカンジャズ研究会で音楽に興じていた。
いっぽうの蒼介は、いまと変わらぬ着物に袴姿だった。洋服などを買う金もない。バイトをしながらの苦学生だった。忙しいなか、勉学とともに、中学のころからはじめた剣道に打ちこんだ。大学では剣道部の主将まで務めた。
接点がないようでありながら、専攻が同じ法律ということもあり、どこか馬があった。授業の合間には時として、校舎のまえのベンチで無駄話もした。楽しい語らいであった。
だが、二人の大学卒業後は決していいものではなかった。
ニューヨークの株式の暴落ではじまった昭和恐慌のさなか、帝大を卒業しても職がない時代、私立大卒の二人の働き口が見つからないのは自然の成り行きだ。
定職を持たず、社会に放り出され二年。
お互い、顔を忘れかけたころ、意外なかたちで再会することになった。
この日、浩斗は堀川の土手で、腕の一本はへし折られようかといいう危険な状況に陥った。それを、救ってくれたのが、たまたま近くに居合わせた蒼介だった。
浩斗は助けてくれたのが、大学のときの同級生だと知って、いたく感激した。さっそく、お礼に飲もうと、カフェが立ち並ぶ歓楽街へと蒼介を案内したのだ。
さまざまな屋外装飾をほどこした無数のカフェが取り囲む。着物にエプロン姿の女給たちが店の前に立って、道歩く男どもを誘う。
蒼介は華やかな銀座には慣れておらず、腰が引けていた。
ちょうど『カフェ寿』という屋号の店の前に来たときだ。ひとりの女給が二人に控えめに声をかけてきた。
「おふたりさん。うちの店で飲んでいきませんか」
それが紫津だった。
立ち止まって、浩斗は紫津の下駄の先から、パーマを当てた耳隠しの髪の毛まで順次見回す。二十歳に手が届いたところか、いや、それより若いか、などと推測する。
紫津はたどたどしい口調で二人を店に誘う。
その初々しさが浩斗には新鮮に映った。これまでもカフェには何度か入ったことがあるが、おおかたは年増ですれた女給だった。
「ここにしよう。蒼介」
隣に立つ蒼介の肩を叩くと、紫津の招きにしたがって店の扉をくぐった。蒼介はばつが悪そうに、肩をすぼめてついてくる。
店に入ると、待ち構えていた女給たちがいっせいに二人を迎えた。
浩斗が卓につくと、蒼介がその隣に座ろうとした。浩斗はあきれながら止めた。
「おい、おい。蒼介よ。おまえと僕の間には女給さんがすわることになっているんだよ」
年配の女給がちゃっかりと浩斗と蒼介の間に滑り込んだ。
「そうよ。お客さん。野暮なことしないでよ」
つぎに紫津が蒼介の隣にすわろうとしたら、浩斗はそれを制して、
「きみはこっち」
と自分の隣にすわらせた。
五人の女給が浩斗と蒼介の相手をすることになった。真ん中にすわる一番年輩の女将が少し不満そうにいった。
「まぁ、まぁ、お客さん。目ざといといったらないんだから。紫津ちゃんはね。まだ若いし、店に入ってからも間がないのよ。お手柔らかに頼みますよ」
浩斗は隣の紫津に楽しげに話しかけた。
「へぇ、紫津ちゃんというの。やっぱり店に勤めて間がないんだ。だから呼び込みも遠慮がちなんだ」
蒼介の隣には年配とまではいかないが、さほど若くない中堅の女給がついている。
麦酒とつまみが運ばれてきて、浩斗は勢いよくコップを片手であげた。
「今日は記念すべき日なんだ。僕のおごりだ。この世のうさを忘れてがんがん飲もうぜ」
場になじまない蒼介は髭面の顔をピクリともせずにうなずいた。
「そういえば蒼介はカフェに来たことがあるか?」
蒼介は眼をふせると麦酒を口にした。
「いや、ない。はじめてだよ」
「暖簾(のれん)ばかりか?」
「金がないから、店で飲むことがないのだ。もっぱら下宿で飲む。ときには屋台で現場の連中と」
蒼介は抑揚のない話し方をする。対照的に浩斗は浮かれていた。
「そういうことか。節約ということでは、きみは大学のころから変わってないな。しかし今日は助かった。二年ぶりの出会いが、僕の命を助けてくれるとはね」
「まぁ、穏やかではないこと。なにかありまして?」
中堅の女給がたずねた。
「ははは。それがな……」
浩斗は得意げに話しだした。
( 続く )
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