第11話 ルガー

 その日の放課後、マサは校舎裏の倉庫の前に立っていた。


 ここは、あの「事件」の発端となった場所——ルガーが見つかった場所だ。


 ルガー。それはモデルガンだった。精巧に作られた、第二次世界大戦中のルガーP08のレプリカ。最初に見つけたとき、誰もが本物かと思った。だからこそ、騒ぎは大きくなり、生徒たちの間にも緊張が走った。中には、悪ふざけで脅すようなまねをした者もいた。


 あのとき、マサは黙っていることもできた。だが、そうしなかった。


 倉庫の古びた扉に触れると、かすかな軋み音が響いた。もう内部には何もない。ただの古い物置だ。


 けれど、あの日の記憶だけは、この場所にまだ残っている気がした。


 「もう大丈夫だよな」


 誰にともなくつぶやいた声が、少しだけ風にかき消された。


 ポケットの中のファイルを指先でなぞる。証として託されたあの記録は、彼の覚悟と責任の証でもあった。そして、その手のひらの奥で、小さく確かに何かが変わっていくのを感じる。


 突然、後ろから声がした。


「マサ!」


 振り返ると、カナだった。3年E組のクラスメイトで、テニス部。事件の後、少し距離をとっていたはずの彼女が、まっすぐにこちらへ歩いてくる。


「もうここには来ないって言ってたじゃん」


 責めるでも、笑うでもない声。けれど、どこか心配そうでもあった。


 マサは小さく肩をすくめた。


「ケリをつけたくてさ。もう、大丈夫」


 そう言って、再びカナと共に歩き出す。


 歩くその先に、穏やかな夕陽が差し込んでいた。


 

 

 健太と大地は、社の裏手へと慎重に足を進めた。落ち葉を踏む音がやけに響く。鳥居の外の喧騒とは打って変わって、ここには時間が止まったような静けさが漂っていた。


 倒れていたのは、古びた木箱だった。何かを運んだ跡のようなかすかな引きずり痕が地面に残っている。大地がしゃがみ込んで中を覗き込むと、そこにあったのは――何十冊もの古書だった。


「これ……全部、“野木書房”のだ」


 彼の声は震えていた。


 健太も見覚えがあった。“鬼門書房”――かつてこの町にあった小さな出版社。十年以上前に倒産したが、奇妙な児童向け冒険小説や都市伝説を題材にした雑誌を多く出していたことで、一部では“カルト的”な人気があった。


「“秘密の大冒険”も、たしか鬼門書房のやつだったよな」


 大地がコクンとうなずく。


「兄貴が読んでたのも、このロゴが入ってた。『vol.4』って……先生が言ったとき、ハッとしたんす。“vol.1”から“vol.3”までは、町の図書館にも残ってる。でも、“vol.4”だけ、どこにも記録がない」


 健太は箱の中から、1冊の傷んだ本を取り出した。表紙は剥げ落ち、タイトルすら読めない。しかし、ページをめくると、ある特集が目に入る。


「鬼門神社の夜に現れる、黒いフクロウと“選ばれし者”」


 ページの隅には、日付と著者名が記されていた。


著:S・S/2008年4月


「S・S……? 誰だ、これ……?」


 そのとき、大地が小さく息を呑んだ。


「先生。これ、兄貴のイニシャルっす。相馬翔……兄貴の名前」


 風がまた吹いた。絵馬掛けの方から、フクロウの鳴き声が聞こえた。まるで、何かが始まったことを告げるかのように。


 健太は立ち上がり、夜空を仰いだ。まばらに残る桜の花びらが、ひとひらふたりの肩に舞い落ちた。


「翔くんは、“vol.4”を書いたのかもしれないな。野木書房の最後の刊行物として、誰にも知られずに」


 大地はきつく唇をかみしめた。


「だったら……その続きを、俺が見つける」


 そして、彼の声は確かな決意を帯びていた。


「兄貴が見た“秘密”。俺が書き残す。“vol.5”として」


 健太はその背中を見つめ、ゆっくりとうなずいた。


――それは、かつて封印された物語の続き。


 鬼門神社、フクロウ、青酸カリ、そして失われた書房の記憶。


 それらは、今ふたたび、物語の輪郭を描きはじめていた。







 



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