第12話 ガーゴイル
翌日、放課後の校舎は静かだった。
マサは屋上へ続く階段を上がっていた。滅多に人の来ないその場所に、どうしても気になるものがあったのだ。
屋上の扉を開けると、冷たい風が頬をなでる。そこには誰もいない。けれど、柵の向こう、校舎の角に設置された奇妙な石像が目に入った。
それは、ガーゴイル。
建築装飾として設置されたものだったが、どこか不気味な迫力があった。口を開け、何かを見下ろすその表情は、見方によっては笑っているようにも、怒っているようにも見える。
以前、誰かが噂していたのを思い出す。
「事件のとき、あのガーゴイルが泣いてたってさ」
もちろん、迷信だ。けれど、マサはなぜかその話を思い出さずにはいられなかった。
彼は柵のそばまで歩み寄り、ガーゴイルを見上げた。
「あんた、ずっとここで見てたんだな」
風の音だけが返ってくる。
事件の間、誰もが見て見ぬふりをしていた。けれど、この場所、この石像だけは、何も言わず、ただ静かにすべてを見つめていたのかもしれない。
マサは手すりに手を置いた。
「これからは、俺が見る番だ」
誰かが何かに怯えるような学校じゃなくしたい。あの記録を、ただの紙切れにしないために。
そう思えたのは、たぶん——
「マサ!」
再び声がした。今度は複数の足音が続いている。振り返ると、ユウト、ミナト、そしてカナが階段を上がってくる。ユウトやミナトも同じクラスだ。
「やっぱりここにいた」
ユウトが肩で息をしながら笑う。
「なあ、みんなで、もう一回話そうぜ。あのことも、これからのことも」
マサはうなずいた。
ガーゴイルの沈黙の下、4人の声が静かな屋上に広がっていった。
見上げれば、石像の影が夕陽に長く伸びていた。
---
大地と健太は、古書の山からひときわ分厚い一冊を引き出した。ページの間に、一枚の封筒が挟まっていた。
「……“相馬翔 私信”?」
封筒の封は切られていなかった。大地が震える手で開封すると、中からは数枚の手書きの手紙と、もう一つ、小さな紙片がこぼれ落ちた。
それは、黄色く変色したメモ。そこには、乱れた筆跡でこう記されていた。
> 《“ミス・マープルの庭”に似ている。だがこれは現実だ。
『そして誰もいなくなった』をなぞるように、“読者”が消えていく。》
健太はその言葉に思わず反応した。
「……“そして誰もいなくなった”? アガサ・クリスティの有名な作品だ。招待された十人が一人ずつ、過去の罪を暴かれて殺されていく」
大地はうつむいたまま、兄の手紙に目を通していた。そして、ふいに顔を上げた。
「兄貴……自分の周りで起こった“事故”が、その小説と同じ構図だって気づいてた。読者……ってのは、“秘密の大冒険”シリーズを読んだ仲間たち。みんな、この町のどこかで不審な死を遂げてる」
「つまり、これは……模倣犯?」
「いや」と大地は首を振った。
「兄貴は違う仮説を立ててた。“vol.4”を読んだことで、読者の“記憶”が書き換えられた。あの物語には何かが仕掛けられていて……読んだ者の心に“罪”を植えつけるんだって」
健太は息を呑んだ。
「まるで、“アルラウネ”みたいに?」
大地の目が、鋭く光った。
「そう。“記憶を喰らう花”が現れる前兆として、“vol.4”がばらまかれた。兄貴は……自分がその種を撒いたことを、悔やんでた」
手紙の最後には、震えるような筆跡でこうあった。
> 《次に喰われるのは、“観察者”か“記録者”だ。
記憶を書き換える存在に抗うには、“真実の物語”を書くしかない。
それが、“vol.5”の役目だ》
ふたりは顔を見合わせた。
物語を終わらせるには、書かねばならない。記憶の闇に対抗する、新たな「真実」を。
その時、木の影から小さな黒い影が音もなく現れた。――黒いフクロウ。まるで、次の章の始まりを告げるかのように。
健太が呟いた。
「俺たちが“クリスティの読者”なら、ここからは探偵役をやらなきゃな」
大地は頷き、そっと、封印された“vol.4”を懐にしまった。
――次なる死を防ぐために。
――記憶の中の犯人に辿り着くために。
> “そして誰もいなくならない”ための物語が、いま始まる。
翌朝――。
ふたりは地元の図書館の一角に集まった。かつて“秘密の大冒険”シリーズを読み、夢中になって語り合った仲間たちが、今や“消えていった読者”となった。そのリストを、大地は手帳に書き出していた。
健太が唸る。
「……やっぱり、全員、中学の同じ文芸部だったメンバーだ」
「うん。集まって読んでたのは、ちょうど俺たちが十三、十四歳の頃。“vol.4”が手に入ったのも、その時期だった」
文芸部室にあった一冊の封筒入りの本――“vol.4”。表紙にはタイトルすら書かれておらず、ただ黒い薔薇がエンボス加工されていたのを、ふたりは今でも鮮明に覚えていた。
「でもさ、大地。もしあの本が“呪い”を植えつける道具だったとして、それを仕掛けたのは誰なんだ?」
その問いに、大地はしばらく黙りこみ、そしてぽつりと答えた。
「“あの人”が関わってるかもしれない……文芸部の顧問だった、綾女先生」
健太の目が見開かれる。
「綾女……あの人、もう十年も前に町を出たって聞いたけど」
「その直前、文芸部の蔵書が一斉に処分された。“vol.4”だけが、なぜか町の古書店を経由してまた戻ってきた。俺たちが拾ったときには、もう“仕掛け”は動き始めてたんだ」
健太は呟いた。
「もしかして、“記憶を書き換える”ってのは、ただの比喩じゃないのかもな……ティーンエイジャーの感受性を利用して、本当に心の深部を書き換えられるなら」
「“罪の記憶”を植えつけ、罪悪感で人を壊す。まるで、読者自身が犯人になるように」
そのとき、図書館のスピーカーがざらついた音を立て、異様なノイズの中から、誰かの声が聞こえてきた。
> 「……vol.5の執筆者へ。観察者と記録者が揃ったようだな。では、次の章を始めようか」
――図書館の灯りが、一斉に落ちた。
健太はすぐにスマホのライトをつけた。だが、光が届いたその先には、誰かが立っていた。制服姿の、見覚えのある少年。彼もまた、かつての“読者”だった一人だ。
しかし――その目は空ろで、手には“vol.4”のコピーを握りしめていた。
「読んだんだ……また、読んじゃった……!」
叫びながら、彼は自分の頭を抱え、床に崩れ落ちた。
「記憶が、混ざる……俺の罪は……俺のじゃないのに……!」
大地は彼を支えながら、健太に叫んだ。
「急ごう。vol.5を書くんだ。俺たちティーンエイジャーだったあの頃に撒かれた“種”を、終わらせるために!」
――真実を記す物語が、彼らの手で動き始めた。
次の死を、止めるために。
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