第三幕 第二場 屋外の食卓にて
夕暮れ時の王宮の一室。和やかな音楽の調べと、明るい女達の笑い声が部屋の窓から漏れでていた。
中ではアマーリエがキリのそばにこしかけ、光がこぼれんばかりのきらきらとした笑顔を振りまいている。付き人の女官達も遠まきにこしかけ、笑顔を絶やさない彼女を微笑ましげに眺めている。
酒気を帯び、愛らしい乙女の頬はぽっと紅潮していた。
アマーリエはキリと一緒に、手をたたきながらいくつかの歌をうたった。
しかし一体、どこで覚えてきたのだろうか。彼女の生活とはまるでご縁のなさそうな ”むかえ酒” だの ”女の涙” だの、なにやら大衆的な歌詞の歌ばかりが出てくる。しかし彼女が歌うと、なぜかどの歌もわらべ歌のように可愛らしくなるのが不思議なところ。
可憐な乙女とは、なにをしても罪がなく、愛らしく見えてお得なものである。
「本当に、今日のそなたは楽しそうだな。 なにかあったのか?」
キリは長椅子に寝そべり、手のひらにすっぽりと収まる半球状の杯に注がれたワインに口を付けながら、目を細めて彼女に尋ねた。
「いいえ、なんにも。 毎日、つつがないんですのよ。
でも、しばらく戦もない今、公務とランツァウ様のお世話ばかりで疲れておりましたので。今日はのんびりで、いつもよりも楽しいですわ」
「ふふん、悪い奴だな、あいつは。 しかしそんなに世話のかかる男か?
放っておけば、自分から道化役を買ってでそうなものだがな」
「うふふ、意外と違うんですの。
すこしでもおそばからいなくなると、あの人、イライラとなさるのですわ。
それに何でも私の予定を知っておきたがるし。 正直あまり自由がありませんの。
ちょっとあの人が遠くに出ていたら、とも思いますけど、
あの人が深刻に動く時は、国の一大事のとき。
滅相もないことを願ってはいけませんわね」
「ふむ・・・細君とはじつに大変な仕事だな。
確かにあれは間抜けなところもあるが、部隊の動きはそつがない。
一癖も二癖もある部隊だが、それなりにうまく手綱をとっている。
あれがばたばたと動く時は、まさに大きな戦のときであろうよ」
先日までの彼の部隊の報告を思いだし、遠くを見ながら杯をあおるキリ。
空いた杯に、侍女がおかわりを注ぎ込む。
その侍女が控える衝立の裏側には、ワインの大樽が。
キリはいったいどのくらい飲んでいるのであろうか。
酒をあおるキリの空いた片手を、アマーリエの暖かい両手がふんわりと包み込んだ。
「ね、キリ様は、どうしてあの人をご自分の部下になさいましたの?」
「うん・・・どうしてだったかな。 忘れてしまったよ。
そのうち思い出したら、そなたに聞かせよう」
「うふふ。 楽しみですわ」
アマーリエは可愛らしい仕草で、キリの肩に体をもたせかけた。
こんな仕草で甘えられている様をランツァウがみたら、どうであろう。
元来独占欲のつよい男である。それが歯ぎしりをして悔しがっている様を想像すると、ついついキリの顔はほころんでしまう。
「なにやら、今夜はよい時間だな」
キリはにやにやした。
するとアマーリエは、唐突に妙な話題を投げかけてきた。
「ね、キリ様。例えばキリ様は、
どのような男性がお好みですの?」
「は? 何だ、唐突に」
キリはぎょっとしてアマーリエを振り返った。
「私は、そこいらの男共を好む趣味はないよ」
キリのすみれ色の目を覗き込むアマーリエの碧眼は、真剣だった。
「あの・・・まことに申し上げにくいのですけど、
本当は今日の私、キリ様に警告をしに参りましたのよ」
「警告? 物見云々の話なら、ランツァウからあれこれ聞かされているぞ」
アマーリエは首を大きく横に振った。
「あの方は、たしかに物見ができますけど、神官ではありません。
ですから私とは、ものを見る基準が少し異なるのですわ」
「なるほど。 で、そなたの目には何が見えた?」
まるでキリの背後を見透かすように、うっすらと目を細めるアマーリエ。
「はい、キリ様のちょうど背後に、男性がふたり見えますの」
「ふん、私にまとわりつく輩ということか」
「はい。 まとわりつくどころか、どちらの方も、
キリ様の将来に大きな影響を与えます」
「それは誰だ。 要らぬ者なら、早いうちに芽を摘んでおくが」
またしてもアマーリエは、首を横に振った。
「無駄です、無駄ですわ。 どんなにしても、手をかけられやしません。
そんな場所に、お二人とも今、おられます」
「そんな大層な立場で、どこかにいるというのか」
「はい。 じきに分かりますから、お探しになる必要ありませんわ」
アマーリエは、神託を下す時の、厳かな表情に変わっていた。
もしこの場にランツァウがいたら、彼女の額の一点に集まる白い光が見えただろう。キリは彼女の愛らしい顔をじっと見つめた。
「どちらも美しい方です。
一人は心に大きな闇を抱えておられる、聡明でとても恐ろしい方。
その知恵と力で何事も思い通りにしてしまう、
生まれついての君主のような方です。
もう一人は、懐が海のように深い、どこまでもお優しい方で、
その血筋において大きな運命を背負っています」
「ふうん、そんな者達がいるのか」
「・・・お二人の存在は、まさに水と油です。 嫌いあいますわ。
そして彼らの水面下での戦いが、国に戦を呼びます」
戦という言葉で、キリの背筋に瞬間的におぞけが立った。
わずかに居ずまいを糺すキリは、黙ってアマーリエの神託に耳を傾けた。
「そしてキリ様は・・・誠に申し上げにくいのですが、
彼らの間に挟まれて、戦いに巻き込まれます。
心乱されることが幾多もでてくることでしょう。
そのときに、くれぐれも、これだけは覚えておいてくださいまし。
”一見分の悪そうな、お心の優しい方” を、無下にはなさらないこと」
「一見分の悪そうな、心の優しい、男?」
アマーリエはうなずいた。
「ええ・・・闇を抱えるお方は、キリ様を確実に、ある方向へ押し流します。
しかしお優しい方の手を振りほどいてしまうと・・・哀しいことが」
ここまでを言い終えると、アマーリエはぐったりとし、背もたれにその身を預けた。
女官の一人がアマーリエの体にガウンをかける。
キリは低い声でつぶやいた。
「私は長いこと、この国の平定に尽力してきた。
だが、同時に戦も呼んできた身だ。 そなたも知っての通り。
これだけ人の生死に影響を与えてきたのだから、
将来哀しいことがおきても、自分の死に際が哀しくなっても、
仕方がないと思っているよ。
しかしなぁ・・・この私が、たかだか男同士の喧嘩の板挟みにあうなど。
その点は、じつに不愉快だな」
表情にかげりのさしたキリの顔をみて、アマーリエは弱々しく笑いかけた。
「お優しい方の手を、決して離さないでくださいまし。 それだけですわ。
その方を、もう叩いてはいけませんことよ」
「・・・は?」
キリははっと目を見開いたあと、憮然とした表情でうつむいた。
先日その頬をはたき倒した、レイヨールの顔が思い浮かんだからである。
今朝からどうして彼のことばかりを思い出すのか。
考えるうち、酒の酔いによるものか、なにやら背後から自分の体に回される腕が見える気がする。
そしてまるでそこにいるかのように、ふいに首筋に男の熱い息がかかった気がした。
ぎょっと大きく身震いをするキリ。その後で首を激しく振って、頭から幻影を払いのける。
「アマーリエ、そなたの予言で酔いがすっかり醒めてしまったようだ。
もう一杯ついでおくれ」
グラスを遠くへ掲げるキリ。すかさず侍女が、ワインをなみなみと注ぐ。
注がれるや否や、ぐいっと飲み干して、さらにもう一杯を催促するキリ。
「あら・・・ごめんあそばせ、キリ様。
せっかくの酒席で妙なことを申し上げてしまって。
戦についてのお話は、ある程度夫に託しました。 いずれお耳にはいるかと」
「ふうん。 なるほど、覚えておく。
とりあえず、あいつの物見とそなたの予言が、
どれだけ違うのかが分かった気がするよ」
「いいえ。 私の話も見る基準の差だけで、夫の物見とまったく変わりませんの。
あの人の話もよく当たるでしょう?」
キリはアマーリエの額にかかる髪をそっとなでて、目を覗き込んだ。
「確かにな・・・アマーリエ、疲れているのではないか?
そなたを衰弱させたら、あいつがとち狂ったようになりそうで、
そちらの方が私には厄介なのだ」
「ありがとうございます。 大丈夫なのですけど、少しだけ眠いですわ。
なので、お言葉に甘えてそろそろお休みさせていただきとうございます。
いつもはこの位の時間に眠るんですの、私」
窓越に外をみると、大きな月が上空にかかっていた。
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アマーリエ一行は、室内に美しい花が飾られた寝所へ案内された。
扉が閉まり、身内のみになってから、アマーリエはほっとため息をついた。
「アマーリエ様、ここをお発ちになるのは、いつになさいますか?」
「そうね、もうすこしだけ。 まってもらえますか?」
そう言いながら、花瓶に生けられた大きな百合を一本抜いた。
鼻先へ花弁を近づけると、清楚な香りがする。
大きな百合の花弁に顔を隠しながら、アマーリエは女官たちに語った。
「私の、ここでのお仕事のひとつは、今夜終わりました。
キリ様に、その両脇に立つお二人の存在をお話しできましたから。
明日は、もう一つのお仕事を致します」
「もうひとつ?」
「はい。 明日はそのお二人のうちのお一人に、お目にかからねばなりません。
それが済んだら、すぐに帰りましょう」
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アマーリエ一行を寝所へ送らせたあと、キリは一人で自室の寝台に横たわり、天井に描かれた天球図が、蝋燭の炎のゆらめきに変化する様を眺めていた。
「男と戦、か」
キリは大きくため息をついた。
「この時勢、男は戦とともにあるのは自然なことだが、これまでそれに私が巻き込まれた話も、ない訳ではない。
面白くもないのに、あれこれと思い出すのは不思議だな。
あれはいつのことだったか・・・」
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あれは父王の崩御後、ジェンセンが国王となって十年ほど経った頃であったろうか・・・
メロア国との停戦条約の締結のために、キリが国境付近を訪れたときのことであった。
キリひとりに対するは、メロア国の第二王子のロメオという男で、大勢の供を引き連れて締結に臨んだ。焦茶色の癖毛をもつ、まあまあの美男であるが、第一印象はとても影のうすいものであった。ただ、日に焼けたメロア人のなかでは異国人のような白肌、さながら温室育ちのような雰囲気を醸し出しており、そんな周囲との対比においてのみ、キリの記憶にとどまった。
対面した際、互いに二三、言葉を交わしたが、内容はまったく覚えていない。
その後はすみやかに帰国し、報告を国に持ち帰った。
その後三年ほどして、キリのもとに、メロアからの使者が書簡をもってきた。
それは例のロメオからのもので、内容はいたって単純な、彼らの狩り場への招待状で、近づきになりたいというものであった。
停戦中の国から、なぜこんな個人的な誘いが来るのか?
疑問こそあったが面倒くささの方が勝り、キリは一読してすぐ、断る旨を使者に告げて帰らせた。
また日が流れ、再びロメオからの書簡が届いた。内容はまた、前回と似たようなものであったため、受ける必要もないと、キリは断った。
また日が流れ、またもやあの男から接触を求める書簡が届いた。
今度は貴殿の国を訪れたいというものであった。
「まったく、面倒くさいな!
次男坊ともなると、こうも暇を持て余すものなのか?」
キリはぶつぶつと文句をいいつつ、兄に相談した。
「場所は指定されていないのだな。
であるなら、見られて困る設備のない、景観の美しい城にでも招待して、もてなしてみてかどうか?
いまのところ真意は分からぬが、疑問はそこで聞けば解決するであろう」
「兄上がそうおっしゃるなら、面倒ですが受けましょうか。
執拗にこちらの懐に入ってきたがるとは、なにやらうさん臭いですが」
キリはしぶしぶ、使者に書簡をもたせて帰らせた。
やがて書簡にて指定した日時に、ロメオは姿を現した。以前会った時と同じ、二十名ほどの従者を従えての来訪であった。
キリは便宜を図って、国境に近い古城を選んで案内した。
そこは山野の景観が大変美しく、南のメロアとはひと味違う景観が楽しめるにちがいなかった。
「実はそなたを一目見てから、ずっと再び会いたいと思っていたのだ」
ロメオはキリの脇にすわり、ゆるゆると髪をかきあげながら、月並みな口説き台詞のような言葉を口にした。もともと印象のうすい顔立ちのロメオだったが、初めて顔を合わせたときよりも幾分か顔の肉が落ちており、神経質な印象を受けた。
キリはロメオの親しげな態度にはまったく興味がなかったが、彼が持ってきた様々な贈り物の見事さと、メロアの地酒が大変美味であったので、しばらくこの話の流れに身を任せることにした。
「そんなに印象深かったのか、私は」
「勿論。鎧を身に着けている女性はまずお目にかかることはない」
「それは・・・そうであろうな」
まったく、なんて月並みなことを言うんだろう。
内心鼻白みつつ、キリは酒を飲み干した。
ロメオは酒をキリの杯に注ぎながら、これまた月並みな言葉を並べ立てた。
「以前は分からなかったが、鎧を脱いだそなたは、
想像よりも女性らしくて素敵だな」
「うむ、そうか。 そなたのおめがねにかなって光栄だな。
で? この度はどうしてこちらへ出向いてきたのかな?」
「いや・・・お互いもう少し、気がほぐれてから話をさせていただきたい」
再びロメオがキリの杯に酒を注ぎ込む。
キリは酌を受けながら、王子の腹のうちを探った。
まったく覚えてはいないが、キリは様々なことをロメオに尋ねた。
それに対する彼の答えは、なんとも面白みのないものだった。
なにか隠し事でもあるせいか、それとも語彙が足りないためか。
ロメオが話すイルフェリア語は、淀みなく滑らかであったが、なにかもの一様な言葉を選んで話してくるのだった。つまり、この男の雰囲気そのままの、ありふれた月並みな言葉ばかりを並べていた。
「美しい金の髪だ」
「うむ、そうであろう」
「肌も陶器のように美しい」
「うむ、そうであろう」
「もしや、言われ慣れ、飽きている?
俺がほめることはそうそうないのであるが。」
「ほめること、そうそうないだと? それは嘘だ。
さらさらと口をついて出るあたりが、言い慣れた風情を感じるぞ」
嘘だと言われ、ロメオは少し表情が曇った。
「そなたは口説きの達人とお見受けするが、
私に言い寄るなら、もっと語彙量を増やした方が良い」
気が付くと、夜も更けていた。
「夜が深まった。 そろそろ、寝所を案内させよう。
そちらでもゆるりとくつろいでいただきたい。 私は、今夜はこれで」
あまりにつまらないので、キリはその場を辞そうと立ち上がろうとした。
その手をロメオが掴む。
「お待ちを」
キリが無言で彼を見下ろす。彼のヘーゼル色の瞳には焦りのようなものがちらついていた。
「私は少し疲れた。 他の用事でもあるのか?」
「なければいけないか。 そなたに会いたくてここまで来た俺だ。
受けていただいたからには、それなりのもてなしは期待していたのだが」
黙ったまま、キリはゆっくりと腰を下ろした。
座ったキリの手を離さず、ロメオは不満を口にした。
「俺とて一国の王子だ。 下々の輩と同様に、軽くあしらわれては堪らぬ」
「どんなもてなしを期待してきたんだ? 言ってみてくれ、王子」
キリの問いに、今度はロメオの方が黙った。
「このような軽い誘いで、もしや色事でも期待しておられたのか?
いかんせん気が早い。 そしてこちらを軽んじてはいないかな?
私は、現イルフェリア国王の妹だ。そなたと同じ、次期王位継承者だぞ。
もっとも、そんな身分、私は気にも留めていないがな」
”王位継承者” という言葉に、一瞬ロメオはびくりと反応した。
「ともかく、まずはこの私と、仲良くしたいんだろう?
その向こうになにがある? 隠し事はしない方が良いぞ」
キリの目が据わった。
「こ、恐い目つきをするのだな、そなたは。」
「色目をつかうより、こっちの方が得意なのだよ、私は」
「・・・双方の、人払いを願いたい」
ロメオはうつむいて、辛うじてその言葉を吐き出した。
キリは再び立ち上がった。
「どこへゆく?」
「場所を変えて、すこし馬にでも乗ろう。 夜風が気持ちいいぞ」
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この夜も大きな月が天空にかかっていた。
正面に黒々とひろがる沼沢地。
それをゆっくりと迂回しながら、二人はあてどなく駒をすすめていた。
馬上で語られたロメオの話は、これまたいたって月並みなものだった。
父王が病床にあるなか、メロア国では王位継承の話が大きくなった。
そして有力候補である兄ロドルフォに対抗したいロメオは、有事の際に軍備の整ったイルフェリアから、傭兵として数部隊を借り受けたいというものであった。
「代償は?」
風に髪をなびかせながら、キリはたずねた。
「俺が王位に就いたら、三千万ゲルト。それから、船を百隻」
キリは首を大きく横に振った。
「まったく魅力的でないな。そなたが王位に就くまでどれだけの期間がある?
貸すだけ貸して、おあずけを食らうのが一番嫌なんだ、私は。
金の申し受けなら、動かす都度、一部隊につき一千万ゲルトだ。
あと、船は要らん。 メロアの一番大きな港町がほしい。
一番大きなウルターツとの海路の、占有権が欲しいな。
そなたたちは良い港を持っているから。 どうだ?」
「そ、それは」
一番大きな海路を奪われると、メロアの貿易は確実に、先細りの一途をたどる。
陸路は残されるが、当時から山賊がひどくて、海路に比べて敬遠されがちであった。
馬上からロメオ王子の顔を見つめて、今度はキリの方が月並みな、歯の浮くような台詞を吐いてみせた。
「ロメオ・・・そなたを王位に就かせる為だ。
この条件さえ飲めば、うちの精鋭ぞろいの騎兵隊を、気前よく貸してやるよ」
ロメオはしばし黙りこくっていたが、少しして沈黙が破られた。
「即時の支払いは、難しい。 また、港はメロアの要だ。
そこをとられてしまうと、国が一気に衰退する。 分かるだろう?」
「そこは、ものの考え方次第だよ。
それを犠牲にしても、私の友好的な支援に応えるか。
それともこちらの手を振り払うか」
キリはさらにロメオに甘言を呈した。
「ロメオ、私はとても心根が優しい女だ。
そんな話を聞いて、そなたを見捨てる訳にはゆかないな」
「せっかくだが、即時支払いで部隊を借り受けることは、現実的に難しい。
言い出した手前、申し訳なく思っている」
するとキリはあからさまに鼻白んだ。
「ふうん、そうか。
そなたは大して金をもちあわせていないのに、
私の兵を借り受けようとしたのか。ずいぶん虫が良いな。
それともそなたには、私が無償で兵を貸したくなるような、なにか魅力でもあるのか?」
「王位に就いたのち、そなたを妃に望みたいと思っていた」
「この私を? あははは!」
キリの乾いた笑い声が、夜の空気に響き渡る。
「今日の中で、一番面白い冗談だ」
「冗談のように聞こえるかもしれないが、
互いの国が姻戚関係となるのは珍しくない話だろう?」
「うむ。 停戦中でありながら、こうして会っていること自体が、冗談のような事実だからな。
私の身に、軍隊がくっついてくるとでも?」
「軍隊がつく? そうは思わない。
ただ、我が国はイルフェリアより海上の貿易力がある。
姻戚となれば、互いの国にないものが得られると、思ったまでだ。
それに、そなたの身は一騎当千と聞く」
「貿易力か。 それはまあ、欲しいな。
ただこちらは海上貿易に関しては、メロアほどではないながらも、
そこそこ満足はしているのだ。
そして私の身に関して言えば・・・まあ、その通りかもな。
しかしメロアには、立派な三武将がいるだろう?」
三武将と聞き、ロメオの目が不安そうに泳ぐ。
「いや。 彼らは皆、兄の手足なのだ。
この王位継承の騒動が落ち着いたら、停戦はすぐに破られるだろう。
兄はイルフェリアとの戦争を再開するつもりだ。
俺は自分が正式な王位につければ、今後も戦をするつもりはない」
キリは呆れた顔で、彼の姿を横目でながめた。
「おいおい、ロメオ・・・そなたたちは、自分たちの騒動が落ち着いたあと、
こちらへ攻めてくる余力がどれだけ残っているのか?
悪いが、私の軍は強いぞ。
そなたたちの軍が万全の状態であっても、負ける気がしない。
ましてや内輪もめが済んで疲弊している兵など、取るにたらんな。
その時期を選んで、攻め落としてやりたい位だ!」
交渉も打つ手がなく、内輪もめの実態までキリにほのめかしてしまったロメオは、渋い顔をしてうつむいた。
キリは目の端で彼の姿を眺めながら、首をかしげた。
「そなた、相当、ひどい状態なんだろ? 自国にいられなくなるほど。
ここまで供を従えて、大きな規模で国境を越えてやってきたのだ。
そなたの兄ロドルフォとて動向を知らぬ訳がない。
自国にもどれば、ロドルフォはそなたを追いたてる、違うか?」
「・・・」
「ロメオ・・・イルフェリアに亡命したいと、なぜ正直に言わんのだ。
私は、素直な男が一番好きなのだ」
「く・・・」
「まったく。 こんな上っ面をなぞるような交渉を持ちかけてくること自体、そなたは交渉ごとも、戦場経験も浅いと見えるぞ。
私に何通も書状を送ってきたのは、こちらとの繋がりがあることをほのめかして実兄を牽制する為の、いわば演技だな。 違うか?」
「・・・」
キリはロメオの顔を正面から見据えた。
「いいか、よく聞け。 ロメオ王子。
私はこの国を代表する武人として、そなたに巻かれることは、ない。
実兄に太刀打ちできる戦力も持たずして、そなたは帰国などできぬのだから、
おとなしく我が国の捕虜にでもなるか?」
「捕虜・・・」
ロメオは狼狽えた。
「そう。 もっとも、真にそなたの身の上を案じる人間がメロアにどれだけ居るか怪しいが、そなたが我が国で捕虜となっているのを聞いて、侮辱に感じる輩はいるに違いない」
キリは馬の歩みを止め、大きな月を見上げた。
「ちょうどいい機会だ、代わりに戦ってやるよ。
そなたの兄ロドルフォと一戦交えよう。 骨のある男だといいけどな。
あわよくば首都までのぼって、そなたの父王ウンベルトの首がとれるかな。
一気に、国境の地図が刷新されるにちがいない。 ふふふ・・・」
キリは馬を寄せて、敗北者の表情そのもののロメオの頬に触れた。
「ひとまず、戻ったら今の話はすべて忘れて、場所を変えて宴の続きだ。
元気をだせ。 夜はまだ長いんだ」
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城に戻ってまもなく、ロメオとその一行は自室軟禁のかたちで穏やかに捕縛された。
そしてキリは、自分の広い寝所にロメオを迎え入れた。そして彼に剣を持たせ ”稽古” と称して散々にいたぶったのである。
「そら、打ち込みが甘いな。 もう服が裂けているじゃないか。 あはは」
「く、くそっ!」
ロメオが剣を突くたび、たやすくそれをはじき返し、逆に剣先で小さく傷を負わせ、服を裂いてゆくキリ。圧倒的な力の差を前に、ロメオの顔面は蒼白になっている。切り落とされた身体の部位はどこにもないものの、ロメオの顔や体中は、既に細かな沢山の傷で真っ赤になっていた。
「こんなにぼろぼろになって、まるで乞食のようだぞ、王子。
しっかりかかってこい!」
「この俺をクズと言いたいのか?」
「言いたいのではなく、多分そうなのだ、王子よ」
やがて全身のあちこちに大小の傷を負わされ、傷の痛み、汗と疲れと恐怖でへとへとに地に倒れ込む、薄汚れた風情のロメオ。剣を捨てて目を潤ませ、ひざをついて懇願する。
「お、お願いだ、もうやめてくれ!」
「なぜ? こんなに楽しいのに」
「傷が痛くて、苦しくて、もう、無理だ!」
命乞いする姿をみて、冷ややかな視線で見下ろすキリ。
「痛いから止めてくれと言えば、お前らは止めるのか?」
「なんのことだ?」
「我が国を襲って、略奪の途上で、お前らが土地の女を捕まえて犯すときさ。
今のお前みたいに、止めてと泣き叫んでも、お前らは無視するよな?」
「お、おれはそんなことしない! したこともない!」
キリの脳裏には、再び天幕でのナダールの姿がくっきりと思い浮かんでいた。やはり心の底ではトラウマとして消えておらず、こんな時に無意識に怒りが爆発してしまうのだ。
「王宮でぬくぬくして、欲しいものを欲しいだけ手に入れて・・・」
頭上で剣を大きく振りかざしてロメオに近づくキリ。ロメオは後ずさるが、家具につまずいて大きく転倒した。
「やめて・・・やめてくれ!」
「同じ王族でもな、こっちは辛酸をなめてるんだよ!」
キリはそう叫びながら、勢いよく剣をロメオの頭に振り下ろす。
刃先はうなりをあげてロメオの頭上をかすめ、髪の毛束をばさりとそぎおとした。ロメオはひきつったような悲鳴を上げて、ふらふらとその場に倒れ込み、白目をむいて気絶した。
キリはそれをみるとさもつまらなそうに、卓上のベルを鳴らした。
すると扉があき、四名の男が入ってきた。二人は気絶したロメオの四肢を抱えて運び出し、残りの二人は汚れた床と家具を拭き清めた。
その片付けの様子を後目に、窓辺にむかって歩いてゆくキリ。
窓枠にもたれかかり、黒々とした闇を見つめながら、卓上の杯に寝酒を満たしてあおった。
「私のめがねにかなうような骨のある男には、なかなかお目にかかれぬものだな」
この度の交渉の失敗を、なにも挽回できなかった残念なロメオ王子。
寝酒をあおるキリの胸中は、既に次のメロア戦への計画に切り替わっていた。
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翌朝、ロメオ王子一行は捕虜として、まとめて首都に連行された。
鷹の間にて、キリからことの一部始終を聞いた兄王ジェンセンは、暗い顔で頷いた。
「停戦が解除されるか。 はじまったなら、全てをそなたに一任する。
ただし、向こうが動き出すまで、表立った動きは控えよ、キリ」
「もちろんです、兄上。
ロドルフォ王子にはおそらく、ウンベルト王が保持している軍隊全てと、
有名な三武将が付き従っていることでしょう。
どういう形で攻めて来るか分かりませんが、全て撃破してみせましょう」
「キリ、あまり深追いはするな。
この時期、こちらが消耗しては、すぐに他国につけ入れられる」
「はい。 存じております」
キリは不敵にもにやりと笑った。
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兄王の元から退出したキリは、廊下でレイヨールに呼び止められた。
「キリ様、おかえりなさい」
はにかむように笑う癖がある。プラトニックとはいえ、このころからすでに、キリのレイヨールへの寵愛は、はた目にもまぶしかった。
「ただいま、レイヨール。 私の留守中になにかあったか?」
「いいえ、なにも。 平和でした。
キリ様。 今朝連行された捕虜ですが、ロメオ王子の体調が芳しくありません。
食事も召し上がらず、床にうずくまっているとのこと」
「ふうん・・・なんだろうな。 医師をよんで様子をみさせようか」
白々しく答えるキリに対し、半ば潤んだ瞳でその顔をじっとみつめるレイヨール。
「キリ様、またですか?」
「何が?」
キリの両腕に手を添えて、悲しそうな目でその顔をキリに近づける。
「いじめたんでしょ、あの捕虜を」
迷いなく事象を言い当てられ、キリはぎくりとした。
「お前は、なにも気にするな。 あれは死んでも仕方ない。
もっとも、死ねば開戦が早まるが、その程度だ」
キリは適当な言い訳を試みたが、レイヨールには効かず、彼はさらに苦言を呈した。
「ひどすぎます! 死んでも仕方がないだなんて。
そうやっていつも人の心身を、使い捨ての玩具のように玩んで。
世の男をなんだと思っているんですか!」
泣きそうな顔で必死に話すレイヨールの姿に、キリは愛おしそうな笑顔を向ける。
そう、事実この王宮内ではレイヨールこそが、キリに対して臆面なく苦言を呈すことができる唯一の人間だった。
もっとも、その苦言をキリが聞き入れるかどうかは別問題であるが。
キリは彼の頬に片手をあて、人差し指を自身の唇にあててみせる。彼は黙った。
「お前は本当に優しいな、レイヨール。
全ての男がお前のような器量の持ち主だったなら、こんな悲劇はないのだが。
世の中そう甘くはない。 私とて、あれにはいたく失望しているのだよ」
レイヨールは、複雑な表情をしてうつむいている。キリは彼の頬を優しくさすった。
「なぁ? たかだかこんなことで、怒らないでくれよ。
それより戦の準備だ。 ぬかりなく頼むよ。 私のレイヨール」
「・・・はい、キリ様」
言い足りない多くの言葉を胃の腑に飲み込み、いらだちとあきらめ、そして切なさが入り交じった視線をキリに絡めたあと、一歩下がって一礼した。
「レイヨール?」
呼ばれた彼が顔をあげると、キリは寂しげな目をして彼をみつめた。
「お前はいつでも、私の良心だよ」
そう言い残し、キリは彼の返事を待たずにその場から去って行った。
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ロメオ王子が捕えられて一週間も経たぬうちに、国境付近でメロア兵の動きが確認された。その知らせを受けた頃、既にイルフェリアの軍隊は、国境付近よりすこし内陸の、谷あいの村々に分散して駐屯していた。駐屯期間はわずか二日。物資の消耗もさほどなく、開戦へとこぎ着けることが出来たイルフェリア軍は、黒いマントをまとった鎧姿のキリを中央に、大きく陣取り、メロア軍と対峙した。
間もなく、キリの前に赤いマントの騎士が姿を現した。
キリは初めて相対する男である。その男の顔立ちは少しロメオに似ていた。しかしロメオよりもぎらついた濃い茶色の目を持つ、勝気な表情の若者だった。
「我が名は、メロア国第一王子、王位継承者のロドルフォだ。
貴様か? イルフェリア一の売女というのは?」
「我は、イルフェリアの大将軍でありジェンセン王の妹、キルステンである。
ははは、売女とな? 語彙量に乏しいのは、お前もロメオも同じか!」
「どんなに馬鹿で能力が劣っても、ロメオは血を分けた我が弟だ。
一国の王子が貴様によって囚われるのは、もはや我慢ならぬ。
一騎打ちを所望する。 我が国の名誉にかけて、その首を討ち取ってくれる!」
立派で勇敢な台詞を述べ、ロドルフォは剣と楯を構えた。
「王子が直接、私と刃をまじえるとは」
キリは兜の下でにんまりと笑った。
そしてロドルフォに続いて、同じように剣を馬上で身構えた。
「来い、ロドルフォ。
瀕死のロメオにお前の首を抱かせて、王宮に放り込んでやる」
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じつはこの開戦に際し、ロドルフォは古参の三武将から厳しい忠告を受けていた。
「イルフェリアのキルステン将軍、あれと直接あたってはなりません! 絶対に!」
「なぜだ、アルバーロ? 俺の腕前はふがいないものか?」
「いいえ、殿下の剣技は優れております。 それは事実です」
「ならば、なぜそんなことをいう?」
ロドルフォに忠告を一蹴された、大柄で明るい髪色の武将アルバーロは、王子の問いに黙り込んでしまう。すると彼の背後から、一番年長の武将であるカザルスが立ち上がり、その不足を補った。厳かなバリトンの声。
「かの女傑によってこの私の、右目が失われたこと、よもやお忘れですか?」
白髪の混じった髪を後ろで束ねた、六十歳にもうじき手が届くと見られる猛々しい老将は、その目に険しい光をたたえていたが、もう片方の目は黒い眼帯をはめていた。
「それは、お前が油断をしていたからだろう!
自分の過失をあの売女の強さと勘違いして、お前は馬鹿ではないか?」
カザルスの左目が大きく見開いた。
「違います! 殿下、素直にものごとをご覧下さい!
殿下に幼少から剣技をお教えしたのは、私ですぞ!
その私の片目を貫ける技量の持ち主と、殿下が戦っては当然!
殿下には勝ち目がないということです」
その隣にいた黒い短髪の、屈強な風貌の将軍も、カザルスの力強い抗議に加わった。
「そうです、殿下! 御身は王位継承者であられる。
悔しさと怒りにかられるお気持ちは、痛いほど分かります。
しかし冷静に御身の技量をわきまえて、身をひくことこそ王国の為です!」
「バスティア、お前もか!
皆揃って、俺が腰抜けの芝居をするようにけしかけるとは、なんたることだ!
クズの弟が売女の軍門に下りたくなった気持ちも分かるわ!」
ロドルフォ王子は弟ロメオとは違って、早くから戦で戦果をあげてきた男であった。
しかし激しい戦場で戦果をあげることができたのは、陰でこの三武将が支えてきたからであることに、まったく気付いていなかった。
権力者のすべてがそういう性質を持つわけではないが、得てして彼らは、介助する者たちの手に気付かず、介助されて当然の環境で育つ。そして自分自身の足で立っているのかどうかも分からない状態であることが多い。
このロドルフォ王子もまさにそういう性質の男であり、全ての戦果を自分自身の力で手に入れた功績であると勘違いしていた。
彼の頭上に降り注いできた数多の鋭い切っ先を、いかにしてこの三武将が弾き返していたかを彼は痛感する由もなく、戦場の功績と凱旋の名誉に酔いしれて、これまでの人生を歩んできたのだった。
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そしてその結果が現在の布陣である。
ロドルフォ王子は三武将を後背に下がらせ、キリと真正面から相対することを望んだ。
キリははじめから、王子につく三武将が、王子とすんなり相対させるわけがないと踏んでいた。そのため、事前にレイヨールに部隊を持たせ、後背から弓兵隊を襲うよう指示を与えておいた。その結果が現れたか、両者が剣を抜き放った時点で、遠方から射かけられることはなかった。
ロドルフォが身構えたとき、大きく横槍がはいった。
三武将のひとり、片目のカザルスが単身で王子を止めにかかったのである。
「殿下、お引きください!
キルステン! 貴様と戦うのはこの私だ!」
「カザルス、どけ! この売女と戦うのは俺なのだ」
キリの目の前で、二人は馬上で剣を打ち合わせ、取っ組み合いをはじめた。
どうあってもこの老将は、王子を馬上から落とし、キリと戦わせないつもりらしい。
せっかくの一騎打ち、今更王子が身を引くのはつまらない。
王子の力が老将に押され、幾分か弱まったように見えたその時、キリは王子に向かって言葉で挑発した。
「ロドルフォ、よく聞け!
お前の弟を味見してやったぞ。 退屈な味しかしなかった!
メロアも、世も末だな! あはははは!」
「なんだと? ロメオを嬲りものにしたのか! 許せん!!!」
短絡的な怒りにかられ、王子の身に力が戻った。
そしてあろうことか、身を挺して守ろうとしているカザルスの腕に、剣先を突き立てた。
うめき声をあげ、馬上でうずくまるカザルス。
それをみたキリは、兜の下で笑いが止まらなかった。
「このあばずれ女、殺してやる!!!」
老将から身を振りほどいたロドルフォは、キリに馬を向け、突進した。
キリも落ち着いて剣を抜き放った。
互いの馬が近づき、ガツンと剣がぶつかり合う。
その一度目の交わりで、ロドルフォの剣を持つ手が強い衝撃でしびれた。
ロドルフォは、兜の下で冷や汗をかき、激しく心臓が脈打った。
「そんな馬鹿な!」
打ち合う力そのものに、大人と子供ほどの差があったのである。
王族という同じ立場の者同士でありながら、これだけの力の差、経験差はどうであろう。
ロドルフォは恵まれた、ごく普通の王子だった。
キリは普通の王女ではなかった。
叩き上げの武将と輿の上のお飾り武将との差が、ここにきて歴然と現れただけである。ただそれだけであるが、豊かさに慣れた愚鈍なロドルフォの頭では、この差に対する理解は、瞬時にはできなかった。
彼は今にして、自分の手足である三武将の忠告を、はっきりと思い出すことができた。
(あれと直接あたってはなりません! 絶対に!)
が、とき既に遅し。キリの剣先は彼の身近に肉迫していた。
三度目のぶつかりあいで、王子の手から剣が弾き落とされた。
無防備になった王子は、あろうことか大勢が見ている前で、キリに背をむけ逃げをうとうと、手綱を引いた。
「逃げるな! 小心者め!」
彼が馬の向きを変えようとする動作をキリは見逃さず、同じく馬の腹を蹴り追撃した。王子の背後を白刃が襲う。
「た、助けて!」
それが王子の絶命の言葉であった。
身の程知らずなロドルフォ王子の首は、キリによって宙高くはね飛ばされた。
王子に片腕を突かれたカザルスは血を流していたが、その首が弧を描いて地に落ちるのを待たず、気丈にも傷を負った利き腕で剣を持ち直し、キリに向かって突進してきた。
「殿下の、仇!」
剣と剣が交差し、離れた。
ひと太刀交えたキリはその感触からすでに、この老将がここで朽ち果てたがっていることを読み取った。互いの馬が離れたところで、キリは兜の下でさもうれしそうな表情をたたえて、片目の将軍に話しかけた。
「カザルス、まことに忠義者よ! また会えて嬉しいぞ。
前々から思っていたが、仕える相手を間違えてはいないかな?
そなたなら、喜んで我が軍に迎えるが、考える気はないか」
「断る!! 貴様に片目をつぶされたこの恨み、忘れると思うてか?!
それに、我が一族は代々メロア王家をお守りしてきた。
仕える相手を、間違えてなどおらぬ!!」
カザルスは馬上で息を整え、剣を大きく構えた。
そして暗い、憂いを帯びた表情でこう告げる。
「世継ぎを、お守りできなんだ。
この能無しの私は、せめてもの償いに、貴様の首を持ち帰る!」
「違うぞ、カザルス。 能無しはそなたではない。 そなたの主君だ」
「ほざけ!! 雌虎め・・・これ以上、我が国の男の血を吸わせん!」
そして両者は再び激しくぶつかった。
互いの剣が馬上で火花を散らす。互いの馬が噛み付き合う。
年老いているとはいえ、さすがにメロアを守る三武将のひとりである。
ひ弱なロドルフォ王子とは、その力も精神的な粘り強さも格段に違う。
何度か組み合ったのち両者は離れ、肩で息をして向かい合った。
「驚異的だな、カザルス。
その齢でありながら、以前組した時より腕を上げてくるとは、恐れ入った!」
「ふふ・・・強いのう、キルステン。 恐ろしい女よ。
そなたが我が王国の男であったならと、何度夢想したことか。 誠に、口惜しいわ」
「ははは! 私だって、私だって男でさえあればなぁ!
ここまでの苦労はなかったのだ!」
カザルスは精神統一して、剣の柄を堅く握りしめた。
「これが最後だ」
キリもまた大きく深呼吸し、意識を研ぎすました。
風が凪ぎ、両軍すべての者が見守る中、訪れる一瞬の沈黙。
と、両者同時に馬の腹を蹴って突進した。
大きく突き出されるカザルスの剣を、キリの片腕の剣が捕える。
勝負は、まもなくついた。
何度か組み合ううちに生じた一瞬の隙をついて、キリの剣が老将の胸甲の下を刺し貫いたのである。
カザルスの、大きな苦悩の叫びがこだまする。
そして老将は、胸にキリの剣を刺したまま馬から転げ落ち、背を強打した。
落馬する姿を認めたキリは、すぐに反対の腰からもう一本の剣を抜いて大きく頭上に掲げ、敵陣に向かって勢い良く振り下ろした。
「殺せ!!」
*******************
ついに両軍は総当たりとなったが、間もなくメロア軍は敗走をはじめた。
メロアが誇る三武将、すべてが首を討ち取られたからである。
三武将の一人アルバーロは、キリの予想通り弓兵を指揮していた。
王子の一騎打ちを行う直前を狙って、キリに向けて矢を放つつもりで待機していたのである。ところが突然彼らの背後から、そばにいた同国の兵士達が反旗をひるがえし、弓兵隊に襲いかかってきた。背後から急襲され、弓兵隊はあっけなく切り崩されてしまった。
「なぜ味方が!」
それはメロアの鎧を身に着けたイルフェリアの部隊であった。
アルバーロは、目の前に現れた、同国の鎧を身に着けた敵兵の将と対峙した。
得体の知れぬその将は、長剣を抜き放っている。
「なんということだ、私の読みが浅かった。
敵兵がこんなに紛れ込んでいたとは!」
アルバーロは苦々しく自身の敗北を受け止め、目の前の騎士をにらんだ。
「我が名はアルバーロ。貴様の名はなんという」
「レイヨール」
「聞いた名だ。 たしか三年前の戦闘で、我が軍を谷間で急襲して、痛手を負わせたのは貴様ではなかったか?」
こういう場面でのレイヨールは、極めて冷静であっさりとしている。
「そうかもしれない」
「差し金は、あのキルステンだな」
「我が主君はメロアの、三勇の首をご所望だ」
その言葉を聞いて、アルバーロは何も言わずに剣の構えを整えた。
そしてこれが自身の最期の戦いとなることを覚悟した。
*******************
そして最後の一将バスティアは、ある一人の騎士と相対し、あっけなく破れていた。その騎士は早々に兜が弾かれてしまったのか、頭を守るものがなく、真っ赤な髪を戦場の風になびかせ、雄叫びをあげて次々と剣で敵をなぎ倒していた。
三武将の一人の首級をあげ、あれだけ派手な戦い方をしている男が、キリの目に留まらぬ訳がない。
全てが終わったあと、戦場にてふらふらと駒を進めているその男をキリは呼び寄せた。
連れて来られた男は、なにやら憮然とした表情をしている。
キリから、この男に話しかけた。
「おい、お前。 強いな」
キリはほめたつもりだったが、男は全く嬉しそうな表情ではない。
つまらなそうに男は答えた。
「ああ? どうも」
「どこの所属か?」
「ええと・・・シュトイバ部隊ですけど」
シュトイバ。キリの部下の部下である。その顔も、おぼろげにしか記憶にない。
そんな下層の部隊に、なぜこんな猛者がいるのか。
月並みでない風貌、幾分かぼんやりした男の反応を観察するうち、キリはこの騎士が、まったく上昇志向のない、自由な人間であることに気が付きはじめた。
みると、男の鎧の一部に一風変わった星の紋章がついている。
星(シュテルン)・・・ベルツァーシュテルン公爵家のものか?
たしかあの家には、はぐれ者の毛並みの悪い男子がひとりいると聞いているが、あるいは。確認の為に、キリは尋ねた。
「お前の身分は?」
「はぁ? そんなの、どうでもいいんじゃないですかね?」
男はさもうっとうしそうな顔で、キリの問いにつっけんどんな返事をした。
王位継承者、王子などという肩書きを誇示しつつも、その実は無能者である男たちを見てきたキリにとって、この男の、身分をことさら嫌う発言は、妙に小気味よく感じた。
「悪かったよ。 名はなんという?」
「ランツァウです」
「ランツァウか。 お前、私のところに来ないか?」
「えぇ? なんでぇ?」
すっとんきょうな声。
明らかに主君に対して礼儀を欠く言葉遣いと物腰のため、そのやりとりを見ている周囲はむっつりと押し黙っているが、キリ本人は彼に向かって豪快に笑って見せた。
「お前が面白そうだからだ。 気に入った」
するとランツァウは、目を細めてキリの姿をじっとみつめた。
「ああ・・・将軍は、あれですね。
妖しい ”もやもや” は、ついていませんね、不思議と」
「は? 妖しい、何だ?」
「 ”もやもや” です。
大抵の武将の周りには ”もやもや” したのが、こんな感じでくっついてますけど、
あれがついてる奴には、俺は負けなしなんです。
メロアの、あの武将には ”もやもや” が沢山ついてましたから。
それを見て、俺はあいつには絶対負けねえなって思ったんですよ」
ランツァウは ”もやもや” が体についている様を、手振りで表してみせた。
はたから見るときわめて滑稽な姿であるため、周囲から苦笑が漏れる。
「ふうん、そうかそうか。 お前は ”もやもや” が見えるんだな?」
「はい、そうです」
ランツァウはふと視線をずらして、キリの後方にいる馬上の男をみて指をさした。
「あ、あいつも ”もやもや” がついてない!
将軍と同じですよ。 珍しいなぁ」
キリが振り向いた先には、自国の鎧に着替えたレイヨールがいた。
「良くやってくれた」
キリに声をかけられると、レイヨールははにかむような笑顔で一礼し、ふいと姿を消した。
「あれはレイヨールという、私の部下だ。
王子との一騎打ちの邪魔が入らぬように、弓兵隊を潰した」
「へぇ、気が利くんですね。 俺はそんなに気が利きませんよ」
「べつに構わんよ。
お前はその ”もやもや” を見てくれればいいんだぞ。
私のところにくれば、戦と ”もやもや” に事欠かず、毎日が楽しいかもしれん」
自分に関する非常識な話を肯定され、ランツァウは初めて、満足そうな笑顔をみせた。
「へぇ、そんなら俺、王宮に顔をだしてみよっかな」
「うむ。 そうしてくれ、待っているよ」
やがてキリが帰還すると、王宮の牢でロメオ王子が舌を噛み切って自害したとの報告が届いた。キリはロメオ王子とロドルフォ王子の亡骸を棺にいれ、捕虜であった従者達を国境付近で解放し、その棺を担がせて帰還させた。
三武将の遺体は首都に持ち帰り、ジェンセン王に報告後メロアには返さず、丁重に荼毘に付した。
メロアのウンベルト王の容態は、奇跡的に回復し一命を取り留めたが、生きる気力をそがれるほど、落胆したに違いない。
国土の境界線が今回の戦争により大きく後退した。
加えて、国に多大な貢献を成し遂げた三武将すべてを失い、出来はともかく男盛りの王子二人を失った。その時点で王位継承者にあたるものは、側室が生んだ五歳になるかならぬかの女児一人だけになってしまったのだから。
それからというもの、イルフェリアとメロアは、依然として静かな睨み合いが続いている。
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記憶の断片をつなぎ合わせて、キリの心は現在に戻ってきた。
寝台の上であおむけに寝そべるキリは、ポン、と手を叩いた。
「思い出した。 ランツァウはこの時に私の傘下にはいったのだったな。
よし、明日になったらアマーリエに教えてあげよう」
記憶の糸が無事につながって、キリは満足げに眠りにつこうとしたが、ふと、小耳に挟んだ情報を思い出した。
アマーリエの来訪にふてくされたランツァウが、レイヨールと二人、城下で宴会を開いているという報告である。
「そうだった。 あいつには悪いことをしたかもしれんな。
私は十分楽しませてもらったから。
よし、あの ”もやもや” 好きに、お返しをしてやろう」
そしてキリはむくりと起き上がり、もうすぐ真夜中になろうというこの時間に、いそいそと金の工面をしに、部屋をでたのだった。
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良く晴れた翌朝。
ギディオンから急な帰郷の話を受けたキリは、ひとまずその日の昼食をともにすることにした。
正午の明るい陽射しのなか、庭にある大木の木陰に大きな白いテーブルと椅子・・・本日の昼食の席が用意された。
屋外のしゃれた席についているのは、ギディオン、キリ、アマーリエと三人の女官。
あともうひとつ、席が空いている。
テーブルに食事が運び込まれるころ、なにやら遠方から動物が近づいてきた。
黒いやせた牛。その背に、ひとりの人物が乗っている。
「どうどう! そこにお止まり! そのまま座っておくれ」
ゼフィルである。シャツにベストを羽織って、帽子を頭にちょこんとかぶり、まるで農夫のような格好をしている。
しかし、あまりに美しくあか抜けているので、演劇の舞台上で農夫役を演じているようにしか見えない。
「ごきげんよう! おそくなってごめんなさい」
牛の背から降り、にこにことした屈託のない笑みを見せて食卓に近づくゼフィル。
「こら、ゼフィル。 まったくお前という奴は!
遅れてきたかと思えば、昼食の席に家畜を連れて登場するなど!」
ギディオンはさっそく彼をしかった。
しかし彼は悪びれたふうもなく、相変わらずにこにことしている。
「おやおや、なんで王宮内に牛をつれてきた?」
キリは面白がってたずねた。
先日の飲み物作りの場面でも思ったが、この若者の行動は謎が多い。
ただ、キリ自身はこういった突拍子もない出来事に関して、比較的寛容であった。
「あの牛、ぼくが飼おうと思って。
今朝、城下の牛市で売られていたのだけど、
年寄りなので働きも鈍いし、肉をとるにももう、ね。
だからなかなか買い手がつかなくて困っていたんだよ。
それでぼくが買い取ったというわけ!」
「そうか。 だが、今日の午後にギディオンがここを去ることは知っていたのか?」
「ええ、はい。 とても寂しいです。
ねえ、ギディオン、この牛を連れて帰ってはだめ?」
ため息をつくギディオンを横目に、ゼフィルはひらりと食卓についた。
キリは改まった表情で女性陣に声をかけた。
「アマーリエ、紹介しよう。 この者はゼフィルといって、ギディオン卿の友人だ。
ゼフィル殿、こちらのご婦人がたは、私の部下ランツァウ夫人アマーリエと、その付き人たちだ」
ゼフィルはにこやかに社交的な笑みを浮かべた。
「はじめまして、アマーリエ様。 お会いできて光栄です。
ぼくはギディオンと一緒に、ここにひととき身を寄せています。
街で、あなたが描かれた絵をいくつも見かけましたよ。
奥様としてのお立場より、神官としてのお立場の方が有名であられる」
「はじめまして、ゼフィル様。
お見知りいただいて、こちらこそ光栄ですわ。 どうぞよろしく」
アマーリエは、初めは一瞬、彼の登場風景にあっけに取られていたが、社交辞令としての金色の笑みは絶やさない。
お付きの女性達も主人に続いて穏やかに一礼をした。
あいさつがひとしきり済んだ後で、ギディオンがグラスを片手に、キリに相談をもちかけた。
「キリよ。 この席での相談になって申し訳ないが、
わしの代わりにゼフィルを王宮においていってもよいかね?
彼は調べものがあってここにきておるのでな」
「調べもの?」
キリは小首をかしげた。 ゼフィルがギディオンの言葉に次いで答える。
「はい。 王宮とその城下の、民間伝承に関する資料を探しています。
そういうことを調べて、書物や物語で世間へ伝えるのが、
ぼくの長年のライフワークなので。
ぜひここで、しばらく研究などをさせていただけないでしょうか?」
研究、とゼフィルはあらたまった顔で提案した。
研究であれば、書庫への出入りが自由にできる可能性が高まる。
しかしながらキリの答えは、彼の望みをすべて叶えるものではなかったが、至極当然の話であった。
「ここの書物を使って研究がしたいのならば、兄上に確認を取る必要がある。
大方の過去の資料を管理しているのは兄上だから。
もし、そなたがこれまで書き残したものなどがあれば、私に見せて欲しい。
それを兄上に見せて、私から話をつけてあげられるよ。
ただ、べつに研究などせずとも、好きなだけ滞在するのはいかが?
そなたの音楽は素晴らしい。それだけでいてもらう価値はある。
それについては、兄上も異存ないであろう」
「本当に? キリ、ありがとう!」
ゼフィルは太陽のような笑顔を見せて、きらきらと喜んだ。
「ぼくの資料は、色んな場所に預けてあるんだ。
持ってこられれば良いのだけど。これを機に少しずつ取り寄せよう。
ひとまず、ただの食客では申し訳ないから、
ぼくはいつもきみの食事の席で、音楽を提供させてもらうよ」
「いやいや、そなたは一緒の席にいてもらって構わないのだ。
代わりに、私の客人がきたときには、お願いできるかな?」
「もちろん、よろこんで奏でましょう。 きみが望むときは、いつでもね」
食事の時間はなごやかに進んでいった。
ゼフィルは饒舌に、自分が農家の生活をしたことがある話、海辺の漁師にまじって魚とりをしたことがある話、旅先で出会った摩訶不思議な動物の話をした。
キリを始めその場にいる皆が、本心はともかくとして、質問しつつ彼の話を興味深く聞いていた。
陽射しにふさわしく、じつに楽しい昼食会であったことはいうまでもない。
アマーリエ一行はその後、慌ただしく王宮をあとにした。
「アマーリエ、またいつでも来ておくれ」
キリの見送りに笑顔で応えたアマーリエだったが、ゆれる馬車の中、身内のものだけになると、彼女の顔から笑みが消え失せていた。
「アマーリエ様?」
侍女たちが彼女の容態を心配している。
「はい。 大丈夫ですわ」
そういいつつもアマーリエの体は、わずかながら小刻みに震えているのだった。
「王宮を退くには丁度、潮時でした。
あのお方と、ああいった形でお会いできてよかったです。
私の予言はここまで。 ここから先は、ご当人たちの問題です」
それだけ言うと、アマーリエは口をつぐみ、目を閉じて、帰宅するまで身じろぎひとつしなかった。
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