第10話 雪雷

  冬の空に鳴り響いた雷は、これから雪を降らせる合図のようだ。

 少し前から見かける様になった雪虫は、町を歩くたびコートにぶつかり息絶えた。  

 もうすぐ、全てが白く埋め尽くされる。

 何度も嘘をついて、誤魔化してばかりいる自分は、この世界では少し生きにくい。


「起きたか?」

 澤井から電話がきた。

「起きてるよ。」

 何度も断ったのに、一緒に映画を見ようと澤井が計画を立てていた。

「あと少しでそっちに着くから。」

 一番近い映画館前まで、ここから車で2時間はかかる。せっかくの休みなのに着替えるのかと、凪は滅多に着ないワンピースを出した。

 それを上から無造作に被る様に着ると、結んだ髪の毛がボタンに引っ掛かった。

 

~ピンポン~

 凪は髪を掴んだまま玄関に行くと、

「澤井くん、後ろ見て。」

 そう言って澤井に背中をむけた。

 ボタンと髪の毛を外した澤井は、

「お前、俺の事誘ってんのか?」

 そう言って凪を正面にむかせた。

「何言ってんの、少し横着しただけだよ。」

 凪は上着を手に取った。

「ごめん、行こうか。」

 

 澤井の車に乗り込んだ凪は、

「私が運転しようか?澤井くん、昨日は泊りだったんでしょう?」

 そう言って澤井を見た。

「広澤だって、夜中に帰ってきたんだろう。あまり眠ってないんだろうし。」

「まあね。でもそれはいつもの事だから。」

「明日は休みって言ってたよな。」

「うん、そう。」

「じゃあ、ゆっくりしてこようか。少し行った所に、温泉があるし、泊まってもいいしさ。」

「ううん。私は帰る。」

「相変わらず冷たいなぁ。ここまできたら立派なデートなんだって。いい加減、諦めて俺と付き合えよ。」

 凪はラジオのボリュームを上げた。

「これって、この前解散した人達?」

「きっとそうじゃないか?広澤はこんな曲聴くのかよ。こいつらって、ヤバい奴らだろう。」

「聴くわけないでしょう。」

 澤井はラジオを止めた。

 車の中には、洋楽が流れる。

「ねぇ、澤井くん。歌詞もわからないのに、こういう曲の何に惹かれるの?」

「ノリだろう、やっぱり。」

 車の心地よい揺れは、凪を眠りに誘った。

「無理すんなよ。着いたら起こしてやるからさ。」

「うん。」

 映画を見ていても、字幕を読んでいるうちに眠りに誘われた。

 知らずに澤井に寄りかかっていた凪は、ぼんやりと周りが明るくなった後、澤井に揺すって起こされた。

「ごめん。」

 そう言って頭を起こした凪の手を、澤井は握っていた。

「そんなに眠いんなら、帰ろうか。」

「大丈夫。」

 凪はそう言った。

「澤井くん、ちょっと寄ってほしい所があるの。」

 

 雑貨屋に並んであるお香を選んでいた。

「夜の匂いって、どんな感じ?」

 澤井はいくつか手に取って確かめる。

「こんな感じか?」

 そのひとつを凪の鼻に近づけた。

「そうだね、こんな感じだよね。」 

「そんなに眠れなくて病んでるのか?」

「そういうわけじゃないけど。」

「お香じゃなくて、アロマオイルとかの方がいいんじゃないのか?その方が危なくないし。」

「ツルツルするのって、なんか苦手だし。」

「広澤、俺にも選んでくれよ。」


 雑貨屋を出た2人は、少し遅いお昼を食べようと、お店に入った。

 時々襲ってくる眠気を隠すために、何度も水を口に含んだ。

「疲れてるのか?」

「ぜんぜん。」

 夜になると眠れないくせに、昼間に感じる眠気は、誰かと一緒にいても、関係なく襲ってくる。

「広澤、誘って悪かったな。帰って寝るか。」

「ごめん。ちゃんとするから。」

「俺も眠いし、早く帰って、選んでくれたお香の匂い、確かめようか。今日は家に来いよ。元気になるもの食べさせてやるからさ。」

 

 澤井の家に着くと、底抜けに明るい母親と、同じ様にケラケラとよく高校生の妹がいた。サッカーの試合を見ながら、好きな事を言いたい放題言っている父の3人は、初めて家にやってきた凪を温かく迎えた。


「うちのエビチリは、店に出せるだろう。」

 そう言って凪に料理を勧める澤井は、母親ともいい関係なんだという事がわかる。高校生だった頃は、自分の家庭だってこんな風に賑やかな食卓だった。

 兄がコミュ障の嫁なんか連れてきたりするから、家族でありながら、仕事で顔を合わせるだけの最低限の付き合いになってしまったけれど、それまでは澤井の家庭と同じくらい笑い声が聞こえていた。  

 自分だって、こんな田舎で一生を終えるのは嫌だと、高校を卒業してすぐにこの町を出ていったんだから、両親の意にそぐわない生き方をしてるのは、兄も私もおんなじか。

 澤井と結婚したら、こんな風によく笑う毎日が送れるのかなぁ。私の父も母も、澤井の明るさに巻き込まれたら、少しは私を産んで良かったと思える様になるのかな。


 食べ過ぎて澤井の部屋で横になった凪のお腹を、澤井は触った。

「すごい胃下垂なんだな。」

「元々お腹が出てるんだよ。だらしなかったね、ごめん。」

 起き上がった凪の髪を、澤井はほどいた。 

「風呂入ってこいよ。」

 澤井との距離が近くなり、凪は焦った。

「家まで送ってよ。ここに泊まるわけにはいかないから。」

 澤井の持っているヘアゴムを取り返すと、凪は髪を結び直した。

「何言ってるんだよ。一人の部屋に帰ったって、どうせ眠れないんだろう。」

 澤井の言葉は図星だった。

「ここだって、眠れないよ。よそのうちなんだし。」

 凪は上着を取ろうとした。

「俺が気絶させてやろうか。」

 澤井が凪を床に押し倒し時、

「渉!早くお風呂に入っちゃって。凪さんも。」

 下から母の声が聞こえた。

「ったく、タイミング悪い家族だぜ。」

 凪は起き上がると、このまま澤井の家族の色に染まっていく事が怖くなった。

 理想の家族はこれから起きるいくつかの悲しみも、なんなく乗り越えて未来を繋いでいく。辛い昨日は半分になり、明るい明日は何倍にも輝く。

 それを受け入れられない偏屈な自分は、こんなに温かい空気の中にいても、冷たい雨を求めている。

「どうした?」

 澤井が凪の顔を覗いた。

「私、好きな人、いるんだ。」

 凪はそう言った。

「先に風呂入ってこいよ。母さんがまた叫ぶだろう。」

 話しを聞かない澤井の耳を凪は掴んだ。

「澤井くん、聞こえてる?」

「聞こえない。」

 凪に枕をぶつけた澤井は、 

「早く入ってこいよ。」

 そう言って浴室へ連れて行った。


「渉のものなんか嫌よね。」

 澤井の母親はそう言って凪に水色のパジャマを渡した。

「これ、おばさんくさいって、着てくれないのよ。」 

 母親はリビングの方を見て言った。

「こういうのは、今の若い子は着ないだろう。」

 澤井がそう言うと、母親はその花の模様を撫でた。

「そうかなぁ。ねっ、2人で一緒に入れば。」

「母さん、からかうのはやめてくれよ。広澤、俺、むこうで待ってるから。」 

 浴室から出て水色のパジャマを着た凪を見て、澤井の妹は笑った。

「お母さんが2人いるみたい。お兄ちゃん、もう少しかわいいやつ買ってあげたら?」

 

 澤井の家で更けていく夜が、少しずつ凪の鼓動を速くさせていた。

「広澤。」

 凪の唇に近づけた澤井の顔を避けると、

「片思いか?それとも失恋した相手を忘れられないとか?」  

 澤井が聞いた。

 凪の視線を自分の視線に合わせる様に、澤井はそらしている凪の顔を両手で包んだ。

「恋なんてしてないよ。時々思出だすだけ。」

「そっか、ただのセフレか。むこうにいた頃は、そういう関係だってよくあったんだろう。」

「違う。」

「そういうやつがいても、俺は別に問題なしだよ。これからこっちをむいてくれたら、それでいいからさ。」

 澤井の手を避けて起き上がった凪は、

「お香、焚こうか。」

 そう言って買ってきたお香の袋を開けた。小さな三角をひとつを取り出そうとしていると、澤井が凪の手からそれをとり、小さな皿に乗せた。ゆっくり火で先を焦がすと、ポッと一筋の煙が立ち昇った。

「これでいいだろう。」

「うん。」

「なんか思ってたのと違う匂いだな。」

「そう?」

「広澤はこれが良かったんだろう。」

「そうだね。」

 凪の頬を静かに撫でた澤井は、

「嫌だったら、ここに布団を敷こうか。」

 そう言って凪を見つめた。

「いいよ、そんな事しなくて。」

 凪が言った。

「一緒に寝ると、何するかわかんないぞ。」

 澤井は凪の肩に手を回した

「澤井くんは、ちゃんと理性を持ってるよ。」

「そんなこと言われたら、なんにもできないじゃなあいか。」

「だから一緒にいられるんだよ。」

 凪の言葉を聞いた澤井は、先にベッドに入った。

「こっち来いよ。」

 電気を消して凪の腕を掴んだ澤井は、掛け布団の中に凪を身体を包みこんだ。

「寒くないか。」

「うん。」

「広澤が寝るまで、こうしててやるからさ。」 

 凪を胸に抱いた澤井の鼓動は、これ以上ないくらいに速くなっていた。

「澤井くん、苦しいんじゃない?」

 凪がそう言うと、

「当たり前だろう。好きな子がこんなにそばにいるんだからさ。」

 澤井は凪の髪を撫でていた。

「おやすみ。」

「ああ、おやすみ。」

 

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