第24話 閑話:春咲 花菜

小さい頃から、我が家にはいくつかの「当たり前のルール」があった。


晩御飯までには帰ること、宿題はお風呂に入る前に済ませること、ピアノと書道は二つとも続けること。


私は、それを絶対的なルールとして、きちんと守ってきた。

それが当然だと思っていたし、両親もそれで安心していた。


だって、そうすればお父さんもお母さんも安心したように優しく微笑んでくれる。


その笑顔が、私にとっては何よりの喜びだったから。


でも、大きくなるにつれて、心の奥で小さな疑問が囁くようになった。


本当にこれでいいのかな?

もっと違うこと、してみたい気もするんだけど……。


だけど、その声を言葉にはできなかった。

心配をかけたくない、期待を裏切りたくない……。

自分の本当の気持ちを話すのが、怖くなってしまったのだ。


だから、疑問や願望が浮かんでも「ううん、なんでもない」と蓋をする。


いつしか、両親が望むであろう「正しいこと」を先回りして考え、自分の気持ちよりも期待に応えることを優先するのが当たり前になっていた。

それは、少しだけ息苦しくて、まるで籠の中にいるような気分だったけれど。


それでも心の奥底では、今も願っている。

いつか、この「当たり前」から少しだけ外れて、本当の自分で笑える日が来ることを……。


そんな小さな願望の種を、今日もそっと胸に隠して、私は「良い子」であり続ける。


それが、私にとっての「当たり前の生き方」だったから……。


▽▽▽


そんな日々を送っていた、ある日の帰り道。


いつもと同じ道を歩いていると、ふと、いつもは通らない公園の脇道に、白いふわふわしたものが漂っているのが見えた。


あれは……?


近づいてみると、それは白い犬のような……でも、足先は少し透けていて、明らかに普通の生き物ではない。


その不思議な存在は、まるで綿毛のように、気持ちよさそうに空中でぷかぷかと浮いていた。


私が驚いて見つめていると、その存在――風の宝石獣、ウィーヌは、大きなあくびを一つして、気の抜けた声で話しかけてきた。


《んあー? だれー? ……あ、君、なんか面白いオーラしてるねー! キラキラしてるけど、なんか窮屈そう!》


……初対面でいきなり失礼な物言い。


でも、不思議と嫌な気はしなかった。

むしろ、私の心の奥底を見透かされたような気がして、少しだけドキリとした。


《ねぇねぇ、魔法少女ってのに興味ない? なったら、もっと自由に、びゅーんって飛べるかもよ?》


ウィーヌは、お菓子でも勧めるみたいに、軽いノリでそんなことを言ってきた。


「魔法少女……? 私が……?」


突然の話に戸惑う私。

魔法少女なんて、おとぎ話の中だけの存在だと思っていたから。


▽▽▽


家に帰り、自分の部屋で一人になって考える。


魔法少女になれば、特別な力が手に入って、今の日常から少しだけ抜け出せるかもしれない……。


それは、いつも「良い子」でいなければならない私にとって、ほんの小さな「反抗」になるのかもしれない。


決められたルール、守らなければいけない門限……そんな窮屈な「籠」から飛び出して、夜空を自由に飛んでみたい。

まだ誰も知らない、美しい景色を見てみたい。


ただ、ほんの少しだけ、心のままにワクワクしてみたい……。


もし、この力があれば、ほんの少しだけでも、自由に、自分の気持ちに正直になれるのかな?


誰にも迷惑をかけずに、誰にも気づかれずに、こっそりと……。


大きな変化を望んでいるわけじゃない。

ただ、この息苦しさから解放されて、自由な風を感じてみたい。


私の心は、決まっていた。


次の日、私は再びあの公園へ行き、ウィーヌに告げた。


「……お願いします。私に、力をください。風のように、自由になれる力を……」


ウィーヌは、私の決意にきょとんとした顔をしたが、すぐに《やったー! ご主人ゲットー! これで退屈しないかもー!》と、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように、無邪気に大喜びした。


その瞬間、私の胸元に風車の形をした花のブローチが現れ、私は風の魔法少女、アルメリアベールとなった。


ウィーヌはすぐにピカッと光って、何やら嬉しそうに空を見上げ始めた。


すると、ウィーヌの周りの空気が明るくなったのを感じる。

ウィーヌは褒められているのか、尻尾をぶんぶん振っていた。


「どうかしたの? ウィーヌ」


私が不思議そうにと尋ねると、ウィーヌは満面の笑みを浮かべて教えてくれた。


《エアリエラ様……あ、風の女神様にね、褒められたんだー!》


風の女神様って、そんなに気さくな方なのね……。


私は、自分が仕えることになった女神の、意外な一面を初めて知ったのだった。


▽▽▽


魔法少女になったことは、もちろん両親には秘密。


学校でも家でも、私は相変わらず完璧な「春咲花菜」を演じ続けていた。

でも、以前と少しだけ違うのは、私の心の中に「秘密の場所」ができたこと。


夜、こっそりと部屋を抜け出し、アルメリアベールとして夜空を駆け抜ける時間。


人知れず小さなファントムを浄化する時の、小さな達成感。


それは、普段の私とは違う「もう一人の私」を感じさせてくれる、大切な時間だった。


これが、もう一人の私……。

誰にも縛られない、自由な私……。


頼りになるかは別として、いつもそばで《花菜ちゃーん、がんばれー》と呑気に言うウィーヌの存在も、私にとっては唯一、ほんの少しだけ本音を漏らせる、不思議な癒やしになっていた。


これでいい。

これが私のバランスの取り方……。


そんな漠然とした不安と、小さな希望を抱きながら、私の秘密の魔法少女生活は続いていった。


▽▽▽


そして、現在。


蒼人さんという、常識なんてまるで気にしないような不思議な鳥さん。

幸子ちゃんたちの、真っ直ぐで一生懸命な想い。

私の本当の気持ちを受け止めて、涙を流してくれたお父さんとお母さん……。


みんなとの出会いが、私の固く閉ざしていた世界を、少しずつ、でも確実に変えてくれた。


まだ完全に自由になれたわけではないけれど、以前のような息苦しさは薄れて、心がずっと軽くなっているのを感じる。


蒼人さんや、幸子ちゃんたちと出会えて、本当に良かった……。


魔法少女になって、一人で戦っていた頃には想像もできなかった。

これからは、もっと自分の気持ちに正直に、みんなと一緒に、前を向いて進んでいきたいな。


隣でウィーヌが《花菜ちゃん、なんか最近楽しそうだねー!》と無邪気に話しかけてくる。


そこへ、エアリエラ様からの念話がウィーヌに届いたらしい。


《ねぇウィーヌ、なんだか最近、花菜もあなたも、とっても楽しそうじゃない! いいことあった?》


《うん! 幸子ちゃんたちも来てくれて、すっごく面白いよー!》


ウィーヌは、女神様とのやり取りをそのまま私に伝えてくれる。


《花菜ちゃん! エアリエラ様がね、『毎日ワクワクして、楽しく、気楽に行くのが一番だよー!』だって!》


その言葉と、ウィーヌとエアリエラ様の底抜けに明るい雰囲気に、私の心はさらに軽くなる。


空を見上げると、どこまでも青い空が広がっていた。


「ふふ……ありがとうございます、ウィーヌ、エアリエラ様」


私は、心からの笑顔で、そう呟いたのだった。

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