第6話 攻略失敗、そして本当の成功

エライザの遺したノート。


それは、今の俺にとって、まさに攻略本のようなものだった。


ルナの好み、彼女を笑顔にする魔法の呪文(レシピ)、そして元のカインとの関係性。


断片的ではあるが、貴重な情報が詰まっている。


これさえあれば、俺だって少しはマシな父親になれるはずだ。


不器用な俺でも、セオリー通りに進めれば、きっとルナとの信頼度を上げられるに違いない。


そんなゲーマー的思考が、俺の頭を占めていた。



翌朝。俺は意気込んでキッチンに立った。


今日の目標は、クエスト『ふわふわ卵を作れ!』の達成だ。


ノートに書かれたエライザのレシピ――「弱火でゆっくり、愛情を込めて混ぜる」――を忠実に再現する。


「よし……見てろよ、ルナ。今日のパパは一味違うぞ」


食材を並べ、カマドの火を慎重に調整する。


弱火、弱火……よし。


卵を割り、牛乳(らしきもの)を少し加え、ゆっくりと、ノートの指示通りに混ぜていく。


集中。全集中だ。


まるでラスボス戦に挑むかのように、俺はフライパンの中の卵だけを見つめていた。


「パパ、見て。お外に、赤い鳥さんがいるよ」

テーブルに座って待っていたルナが、窓の外を指さして声を上げた。


「ルナ、今はダメだ! パパ、集中してる!」

俺は、つい強い口調で返してしまった。


しまった、と思ったが、今は卵から目が離せない。

弱火でゆっくり、愛情を込めて……愛情……? 愛情ってどう込めるんだ……?

思考が迷走しかけたが、なんとか形にはなった。

見た目は、前回の黒焦げとは雲泥の差だ。

我ながら、なかなかの出来栄えではないか?


「どうだ、ルナ! 今日の卵はふわふわだぞ!」

自信満々で、皿をルナの前に差し出す。


ルナは、少し驚いたように目を見開いた後、小さなフォークで一口、卵を口に運んだ。

もぐもぐと咀嚼し、こくりと飲み込む。


「……うん、おいしい」


よし! クエスト達成か!?

俺が内心ガッツポーズを決めた、その時。


「でもね」


ルナは続けた。

「ママのはね、もっと……おひさまの匂いがしたの」


……おひさまの、匂い……?

それは、どんな隠し味なんだ……? レシピには書いてなかったぞ……?


俺は、またしても見えない壁にぶつかった気がして、がっくりと肩を落とした。


完璧な手順でクリアしたはずなのに、評価はBランク止まり、といったところか。



その日の午後は、ノートにあった「ルナのお気に入りの子守唄」に挑戦してみた。


メロディも簡単な楽譜で書き留められていたので、それを頼りに歌ってみる。


「♪~~~」

……ひどい音程だ。


自分で歌っていても分かるくらいに、単調で、お世辞にも心地よいとは言えない。


案の定、ベッドに横になったルナは、眠るどころか、不思議そうな顔で俺を見つめているだけだった。


結局、ルナが眠りについたのは、俺が歌うのを諦めて、部屋が静かになってからだった。


(なんでだよ……! ノートの通りにやってるのに、なんでうまくいかないんだ!)

夕食の準備をしながら、俺は内心で叫んでいた。


ゲームなら、正しい手順を踏めば、必ず望んだ結果が出る。


アイテム合成だって、レシピ通りにやれば失敗しないはずだ。(まあ、たまに大失敗もあるが)


なのに、現実はどうだ?

レシピ通りに作っても「おひさまの匂い」は再現できないし、楽譜通りに歌ってもルナは寝てくれない。


攻略本(ノート)があるのに、ちっとも先に進めない。


(もしかして……やり方が間違ってるのか……?)


効率や、セオリーばかりを気にしていた。


「ふわふわ卵を作る」「子守唄で寝かしつける」というクエストをクリアすることばかりに、気を取られていた。


でも、エライザのノートは、単なる攻略本じゃなかった。


あれは、彼女がルナと過ごした時間、注いだ愛情の記録なんだ。


それを、俺が表面だけなぞっても、同じ効果が得られるわけがない。


俺は、俺自身のやり方で、ルナと向き合わなきゃいけないんじゃないか……?


そんなことを考えながら、洗い物を終え、カマドの火を落とす。


ふと、外の空気が吸いたくなって、家の裏手にある小さなポーチに出た。


腰を下ろし、ぼんやりと夕暮れに染まる森を眺める。


すると、パタパタという小さな足音がして、ルナが隣にやってきた。


そして、俺の真似をするように、ちょこんと隣に座り、小さな足をぶらぶらさせる。


何も言わない。俺も、何も言わない。


ただ、二人で、静かに移り変わる空の色を眺めていた。


風が、俺たちの髪を優しく撫でていく。


その時、ひらり、と黄色い蝶が、俺たちの目の前を横切った。


どこにでもいるような、小さなモンシロチョウだ。


「あ、ちょうちょ」

ルナが、小さな声で言った。


俺も、その蝶を目で追う。


特別なことは何もない、ありふれた光景。


戦略も、目標もない。


ただ、ルナと同じものを見て、同じ時間を共有している。


蝶は、近くに咲いていた名も知らぬ白い花に、ふわりと留まった。


それを見て、ルナが「ふふっ」と小さく笑った。


釣られるように、俺の口元にも、自然と笑みが浮かんでいた。


俺は、ルナを見た。


ルナも、俺を見た。


視線が合い、お互いの表情に浮かんだ、穏やかな笑みを確認する。


その瞬間、今日一日のどんな努力よりも、確かな手応えを感じた。


温かくて、柔らかい、確かな繋がり。


ああ、そうか。

こういうことなのかもしれない。


計画通りにいかなくてもいい。

効率が悪くてもいい。

完璧じゃなくてもいい。


ただ、こうして、同じものを見て、同じように感じて、心を寄り添わせる瞬間。


その積み重ねが、信頼ってやつを育んでいくのかもしれない。


エライザのノートは、道標にはなるけれど、ゴールそのものじゃない。


俺とルナの物語は、俺自身が、この手で紡いでいくしかないのだ。


「攻略」なんて考え方は、もうやめだ。


これからは、もっと肩の力を抜いて、ルナと向き合っていこう。


失敗したっていい。遠回りしたっていい。

一つ一つの瞬間を、大切にしながら。


隣で足を揺らすルナの小さな温もりを感じながら、俺は静かに決意を固めた。


夕焼け空が、やけに綺麗に見えた。

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