日本の伝統行事は大事にすべきである・リターンズ

雷師ヒロ

本編


「はああーー⁉︎」

「ちょちょ、ウェブ会議中ですって」


 おっさんの吠え声に、俺は慌ててそれほど広くない事務所の部屋の奥を指さした。

 その先で、気難しい工場長が振り向く。

 ヘッドセットを外さずに、なぜかメガネを外してぎろりとこちらを睨んできている。


「あっち、行きましょうかね」


 営業が扉をあけ、俺たちを外へと誘導する。

 工場長へ頭を下げながらヘラヘラとした表情で退出する様は、これぞ営業といった印象だ。

 


「おい、ゴンちゃん、ゴールデンウイークに働けっての?」


 おっさんがタバコに火をつけながら、濁声で営業に絡む。


「いやね、そりゃ仕事があるなら働いてもらわないと」

「休日出勤じゃんか」

「よくあるでしょ。代休とれますよ」


 うちは工場へ設備を導入するための工事を専門に請け負っている。

 世の工場が休みのタイミングで、メンテナンスや設備設置を行うことは当然多い。

 それはもちろんおっさんも把握しているはずだ。

 それでもごねるというのは……


「端午の節句じゃん!」

「あなた子供でしたっけ」

「子供じゃねえけど男だよ、男の日だろ」

「男の『子』の日でしょ。こどもの日です! あんた関係ない!」


 営業の口調がどんどん乱れていく。

 ツッコミどころは営業に同意でしかないのだが、俺は黙ったままだ。

 なんたって、俺もできればその日は休みたい。

 少し前まで、今年は休めそうだという見込みが立っていた。友人を誘って試合のチケットの手配を済ませてしまった。


「だいたいこんなん、伊藤チームにやらせときゃいいだろう。もっと経験積ませとけ」

「伊藤くんは、ちょっと別件の部品交換に行ってもらうんで」

「どこに」

「広島」

「はあああーーー! 俺もそっちがいい! お好み焼き食いてえ」


 見た目はともかく振る舞いは子どもの条件をクリアしてるなと少しニヤけながら、俺はペットボトルのサイダーを飲む。


「あんたをそんな些細なものに突っ込めるわけないでしょ。だいたい行くなら一人ですよ」

「え? こいつつれていけねえの?」


 俺のことを煙草を持つ手で指差してきた。非喫煙者の俺としては少し避けたくなる仕草だ。


 このおっさんが俺を連れていこうする魂胆も見え透いていて辟易する。

 人見知りだからと言い訳して客先とのやり取りを任せたり、ホテルや食事の調整などを押し付ける気だ。


「だから、なんで、たかが部品交換にオーバースペックな人材投入しなきゃいけないんですか。新規立ち上げの方なんとかしてくださいよ。広島焼き奢るんで」

「ゴンちゃん、広島焼きって言ったら広島人怒るんだぜ」


 このめんどくささに若干いらっとしたらしく、ついに営業は俺に向かって呆れた表情を示すと、自販機へと向かっていった。



 * * *


「さて、やるかあ」


 短髪のおっさんが、まるで髪の毛をばさりとかきあげるかのような仕草で気合を入れた。

 大判の図面を机に広げ、パソコンを操作している。


「珍しくやる気っすね」

「仕事したくねえからな」


 おっさんの言葉の意図がいまいち汲み取れなかったが、やる気を出してくれるのならばよいことだ。


「これ手配しとけ」

「はい。……あれ? でもこれいつも使ってるのと違くないですか?」

「いいんだよ、山口にももう話して許可とった」

「はあ……了解っす」


 珍しくやる気のおっさんの仕事っぷりを隣の席からそっと窺う。

 あれだけごねる電話のやりとりも、実際は俺なんかよりも立派にこなれている。


 その後ろ姿を見ると、正直、ほんのすこし、尊敬や憧れに近い感情が湧いてくるところはある。

 ギャップというやつのせいか、騙されるな俺。




 昼の合図のサイレンがなった。

 俺は立ち上がると事務所の電気を消しに行く。


 自席へもどり、財布とスマホ、そして車の鍵を手に取ると、パソコンの画面に照らされるおっさんの真剣な顔つきを見て、ぼそりと声をかけた。


「あの、コンビニ行きますけどなんかいります?」


 おっさんは、でかい図体を起こし、椅子の背もたれが傾くかの勢いでこちらを見た。


「コンビニかあ。あー今日はホームセンターの通りの方の、唐揚げ屋の弁当食いてえなあ」

 

 いつもの小憎たらしいニヤニヤ顔だ。


 俺コンビニって言ったんすけど、という言葉を飲み込み、ため息をついた。


「……了解っす」


 

 買い出しから帰ってきたときも、おっさんは気難しい表情でメールを打っていた。

 俺は机の端にそっと、唐揚げ弁当と、小さいくせに90円もした羊羹を捧げてやった。



 * * *


「終わった⁉︎」


 おっさんから煽られ電話をかけたスピーカーの先。

 明らかに焦りが内在された営業の声が聞こえる。


「早くお客さんに挨拶しにこいよ、ゴンちゃん」

「ちょちょ、え? だっていつものペースだと……は⁉︎」


 今日は5月4日。元々の工期は5月6日まで組まれていたはずだった。


「大体そもそものやり方がそもそも非効率だっての。だらだら伊藤みたいなやつ送り込んで『できませぇーん』なんで泣きついてくる電話越しの会話なんて無駄すぎんだろ」


 気分よくドヤ顔を見せながら話しているが、音声のみの通話なのでその顔は俺しか見えていない。


「うちの工場でできること終わらせといて、そのまま持ってった方が早え」

「だってそれどうやって運ぶんです? うちの車両じゃ設備はいらないでしょ……」

「デカめのトラック手配した。もともと前の現地調査で搬入できそうなスペースあるの確認してた」

「でもそんなでかいトラックわざわざレンタルしたら金かかるんじゃ……」

「人件費換算したら意外にこっちのが安く上がることわかったから、山口も許可出してくれたよ。ポンコツ伊藤より安上がり」


 ゴールデンウィークが潰れると聞いてから一月。


 おっさんは見事にいくつかの作業の時間短縮をはかって見せた。

 本気になると業務革新もお手のものか。


 毎度やって欲しいと突っ込みたくもなるが、おそらくその認識も間違っている。


 普段から業務を見てよくよく準備検討していなければ即座に実現も不可能ではあるから、適当でありながらもやることはやっているのだ。


「早くこいよ、ゴンちゃん」

「ええ、今日実家で田植えの手伝い言われてるんですよ」

「は⁉︎ 俺たち働かせといて、自分は呑気に予定入れてんのかよ」


 休日の過ごし方としてはそれほど呑気じゃない気がする。

 大の大人、まだ体力のある男の労働力が一人減るとなると、ご実家からのクレームが酷そうだ。


「あと2時間でこいよ。昼メシは広島風お好み焼きだ! 奢れ!」


 おっさんと親、どちらを断るのもめんどくさそうだ。

 多少の同情は覚えるが、普段の薄ら笑いを思い返すと、別にいいかと放置する。



 とはいえ早く電話を終わらせて欲しい。


 無駄にならずに済んだ試合のチケット。

 俺も明日の予定の空きを友人に直ちに報告する必要があるのだ。

 





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