第4話 椅子の裏のメモ
月曜日の朝、村は昨日の恐怖の残像に包まれていた。三人目の犠牲者が出なかったことで、一時的な安堵が広がっていたが、同時に「なぜパターンが破れたのか」という新たな不安も生まれていた。
シエラ・スレイドは、両親に内緒で早朝からクラークの家に向かった。警察の検証は終わり、黄色いテープが家の周りに貼られているだけで、誰も守衛はいなかった。
「本当に入っていいのかな...」シエラは躊躇したが、思い切って裏口から中に入った。
リビングルームは昨日見たままの状態だった。倒れた椅子、散乱した本、そして机の上にはまだ薬品の空き瓶が置かれていた。警察が現場写真を撮り終えた後、何も片付けられていないようだった。
シエラは慎重に部屋を観察し始めた。鷺沼先生が昨日言った言葉を思い出していた。「細部に注目しなさい。真実は往々にして、見過ごされがちな場所に隠れています」
書斎を見回すと、本棚の隙間、床に落ちた紙片、そして—
シエラの目が、倒れた椅子に止まった。
椅子は背もたれ部分が下になって倒れていた。そして、座面の裏側に何か茶色いものが見えた。
近づいてみると、それは古いセロテープで、何か小さな紙が貼り付けられていた。シエラは慎重に、テープを剥がし始めた。
「赤い絵と鳥の影、忘れるな」
手書きの文字は、震えているように見えた。インクは赤かった。
シエラは息を殺して、そのメモを見つめた。「赤い絵と鳥の影?」
彼女はすぐにポケットからスマートフォンを取り出し、メモの写真を撮った。そして慎重に現場を離れ、急いで鷺沼鏡二の家に向かった。
同じ頃、鏡二は村の図書館にいた。
司書のミス・ブラウンは、彼の要請に応じてクラークの最近の借書記録を確認していた。
「エドワード・クラークさんの最後の借書は、先週の火曜日ですね」ブラウンはコンピューターの画面を見ながら答えた。「『グレンミスト1940-1945年:戦時下の村の記録』と『わたしたちの村の歴史:写真集』の二冊です」
「後者は返却されていますか?」
「いいえ、まだ未返却です」
鏡二は眼鏡の位置を直しながら考えた。「その写真集を拝見することはできますか?」
「申し訳ありませんが、現在は他の方が借りられています」
「誰が?」
司書は気まずそうに答えた。「プライバシーの関係で...」
鏡二は穏やかに微笑んだ。「もちろんです。ただ、その本には村の古い写真が含まれているのでしょうか?」
「ええ、1930年代から1950年代までの写真がたくさん」
その時、図書館の扉が開いて、シエラが駆け込んできた。「先生!」
鏡二は静かに手を上げ、図書館の中では静かにするよう促した。
二人は図書館の隅の読書コーナーに移動した。
「何か見つけましたか?」鏡二は小声で尋ねた。
シエラは興奮を抑えながら写真を見せた。「椅子の裏に、これが貼ってあったんです」
鏡二は写真を見て、眉をひそめた。「『赤い絵と鳥の影、忘れるな』...」
「何だと思います?」
鏡二は深く考え込んだ。「分かりません。しかし、クラーク氏は何かを思い出そうとしていた、あるいは忘れまいとしていたようです」
「赤い絵と鳥の影って、何の意味が?」
「神父が描く絵には、赤が多用されていました」鏡二は思い出した。「そして、何枚かには黒い鳥が描かれていた」
午後になると、二人は村外れの古い教会跡地に向かった。建物は既に廃墟となり、蔦に覆われていた。しかし、石造りの構造は比較的良好に保たれていた。
そのとき、背後から声がした。
「お前たち、ここで何をしている?」
振り返ると、シエラの父親ハロルド・スレイドが立っていた。彼の顔には怒りが浮かんでいた。
「娘を連れて帰ってください」ハロルドは冷たく鏡二に言った。「ここは子供が来る場所ではない」
「申し訳ありません」鏡二は穏やかに答えた。「ただ、最近の事件について調べていまして...」
「事件は警察に任せろ」ハロルドは口調を強めた。「特に、あなたのような部外者は関わるべきではない」
「父さん、なぜそんなに怒ってるの?」シエラは不思議そうに尋ねた。
ハロルドは娘を鋭く見つめた。「いいか、シエラ。この村には触れてはならない過去がある。お前には関係ない」
「でも、人が死んでるの!」
「だからこそだ」ハロルドは声を荒げた。「これ以上の犠牲を出したくない」
鏡二は静かに観察していた。ハロルドの反応は、単なる心配からではなかった。彼は何かを隠している。何かを知っている。
「お父さん」シエラは冷静に尋ねた。「あなたも何か知ってるの?」
ハロルドは一瞬、口ごもった。「...知らない。ただ、過去は過去だ。掘り返す必要はない」
「お父さん」シエラは続けた。「『赤い絵と鳥の影』って、何のこと?」
ハロルドの顔色が変わった。「どこでそんな言葉を...」
「クラークさんのメモにあったの」
父親の表情に浮かんだのは、明らかな恐怖だった。
「帰るぞ、シエラ」彼は娘の手を強引に掴んだ。
「痛い!」
鏡二が介入した。「少し落ち着いてください。子供は自分で歩けます」
ハロルドは鏡二を睨みつけた。「あなたに娘の心配をしてもらう必要はない」
シエラは父親の手を振りほどいた。「鷺沼先生は私を助けてくれてる。お父さんとは違って」
その言葉は、ハロルドをさらに激怒させた。「言っておくが、この村の人間を信じ過ぎるな。誰もが正直者ではない」
彼はシエラを一瞥し、踵を返して歩き去った。
「今は待つしかありません」鏡二は言った。「もう少し証拠を集めましょう」
その夜、シエラは再び口笛を聞いた。
しかし今回は、一つではなかった。まるで合唱のように、複数の音が重なり合っていた。
シエラは起き上がり、窓際に寄った。
音は教会の方向から聞こえる。そして、驚いたことに、彼女の家のどこかからも、かすかに同じ音が響いているような気がした。
「お父さんの書斎から...?」
翌朝、シエラは鏡二に昨夜の出来事を報告した。
「重要な発見です」鏡二は真剣に聞いた。「お父様も、何かに悩まされている」
「慎重に」鏡二は考えながら答えた。「彼を刺激しすぎると、真実から遠ざかってしまうかもしれません」
「でも、このまま待ってたら...」
「忍耐も捜査の一部です」鏡二は優しく諭した。「急ぎ過ぎると、重要な手がかりを見逃します」
その日の午後、二人は村の中心部を散歩しながら、人々の行動を観察した。
興味深い発見があった。
村の古老たちの多くが、特定の場所—古い教会跡、かつての村会館、そして墓地の特定の区画—を避けて歩いていた。
「無意識の行動」鏡二は小声で指摘した。「彼らは何かを避けている」
夕方になり、二人は村の広場で休憩した。そこにギルバート神父が現れた。
「こんばんは」神父は穏やかに挨拶した。「美しい夕暮れですね」
「こんばんは」鏡二は答えた。「お聞きしたいことがあります」
「何でしょう?」
「先日、教会で聞いた賛美歌についてです」
神父は微笑んだ。「気に入っていただけましたか?」
「興味深いメロディーでした」鏡二は慎重に言葉を選んだ。「古い村の伝統曲とおっしゃっていましたね」
「ええ、この村に何百年も前から伝わるものです」
「その背景について、少し教えていただけますか?」
神父の表情が一瞬、曇った。「古い時代、音楽は祈りの一部でした」
「戦時中は?」
神父は沈黙した。数秒の後、彼はゆっくりと答えた。「戦争は、多くのものを変えました」
神父が去った後、シエラは尋ねた。
「何か分かりましたか?」
「確証はありません」鏡二は答えた。「しかし、ここで起きた出来事には、多くの人が関わっていたようです」
その晩、夕食の席は重苦しい空気に包まれていた。ハロルドは一言も口を利かず、エイミーも緊張した様子だった。
「父さん」シエラは思い切って尋ねた。「村には本当に、触れてはいけない秘密があるの?」
ハロルドは箸を置いた。「もう一度言う。これ以上、首を突っ込むな」
「人が死んでるのに?」
「だからこそだ」父親は鋭く言った。「これ以上の犠牲を出させたくない」
「誰から守ろうとしてるの?」シエラは続けた。「私たちを? それとも、秘密そのものを?」
その質問は、ハロルドを激怒させた。「いい加減にしろ!」
彼は立ち上がり、激しく椅子を引いた。その瞬間、ポケットから何か小さな紙切れが落ちた。
シエラはすぐさま拾い上げた。
それは赤いインクで書かれたメモだった。「Remember」という文字と、下には一つの絵—赤い背景に黒い鳥。
「これ...」シエラは息を呑んだ。
ハロルドは蒼白になり、メモを奪い取った。「見るな!」
「お父さんも持ってたんだ」シエラは確信した。「『赤い絵と鳥の影』」
ハロルドは何も答えず、書斎に駆け込んだ。扉が激しく閉まる音が響いた。
その夜、シエラは眠れなかった。父親の隠し事、村の秘密、そして連続する死。すべてが何かに繋がっているはずだ。
窓の外では、いつものように濃い霧が村を包んでいた。そして、深夜に入った頃、またあの音が聞こえた。
口笛。
しかし今回は、一つではなかった。まるで合唱のように、複数の音が重なり合っていた。
シエラは起き上がり、窓際に寄った。
音は教会の方向から聞こえる。そして、驚いたことに、彼女の家のどこかからも、かすかに同じ音が響いているような気がした。
「お父さんの書斎から...?」
翌朝、シエラは鏡二にこの発見を報告した。
「重大な発見です」鏡二は真剣に答えた。「しかし、慎重に行動しなければなりません」
「どうして?」
「もし彼が罪悪感に苦しんでいるとしたら、追い詰めすぎると取り返しのつかないことになるかもしれない」
シエラは息を呑んだ。「お父さんが...次の犠牲者に?」
「可能性は否定できません」鏡二は厳しい表情で答えた。「私たちは急がなければならない」
その日から、二人の調査は新たな局面を迎えた。
村の秘密は、徐々にその姿を現し始めていた。
そして、その秘密は恐ろしいほどに鋭い牙を持っていた。
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