第3話 研究と執筆
夏の午後。陽炎がゆらぐ道路を、自転車で走っている。
目的地は、近所の国立大学――医学部、生理学研究室。
あの日のオープンキャンパス以来、僕は何度もこの大学を訪れていた。最初は恐る恐るだったけど、教授は、来るたびに「また来たか」と笑って迎えてくれた。
「うん、いい目だな、佐藤くん。君は“知る”ことの面白さに目覚めつつある」
そう言って、教授は実験室の奥から新しい資料を出してくれる。論文、模型、観察ノート、腸の構造標本……。
「うんこをしない身体構造」を追い求める僕の研究は、次第に精緻さを増していった。
教授はこう語った。
「“うんこをする”ということは、生きている証でもある。けれど、“しない”というのは、別の生のかたちを意味する」
「可愛い女の子たちは、きっと“うんこをしないような身体”として進化したんだよ。“美”の本質は、破綻しない循環にある」
──排泄は、代謝の果てに現れる“余り”だ。だが、もしも完全な代謝が成り立つなら、“余り”は存在しない。
食べたものはすべて吸収され、細胞内で燃焼され、呼気や汗に変わって消える。腸は不要になり、便意という感覚さえ失われる。
「つまり“うんこをしない女の子”とは、体内で完結する世界を持った存在なんだよ。まるで、宇宙のようにね」
僕は教授の話を、何ページにもわたってノートに書き写した。
わからない言葉は家に帰ってから調べた。
代謝経路、腸管免疫、腸内細菌の多様性、セロトニンと脳腸相関……。
書きながら、僕は少しずつ理解しはじめていた。これは妄想なんかじゃない。仮説であり、科学であり、探究の入り口だということを。
8月の中頃、教授は小さな紙の束を渡してくれた。
「これ、僕の学生時代のレポートなんだ。見せるの、恥ずかしいけどね」
中には手書きの図、計算式、観察メモ……そこにあったのは、真理を求める情熱の痕跡だった。
「佐藤くん、自由研究はね、結果じゃなくて、“問うたこと”そのものに価値があるんだ」
その言葉が、心に深く残った。
夏の終盤、僕の部屋は紙とメモで埋め尽くされていた。
レポートの構成はこうだ。
『可愛い女の子はうんこをしない ― 生理学的考察 ―』
1.はじめに
疑問の発端と問題提起
「可愛い」と「排泄」の矛盾について
2.排泄の生理学
消化・吸収・代謝と排泄の流れ
腸内細菌と便形成のプロセス
3.排泄を必要としない身体モデル
腸構造の簡略化と無菌的環境
高効率代謝と老廃物の気化排出
脳腸相関と便意消失の可能性
4.考察
美の感覚と“無排泄”構造の関係
可愛さとは、“壊れなさ”への共感である
5.結論
“可愛い女の子”は、排泄の機能を持たない新たな生命構造である
それは幻想ではなく、進化の可能性のひとつである
最後の一文を書き終えたとき、窓の外では鈴虫が鳴いていた。
その夜、僕は教授にメールを送った。
「先生、自由研究、ようやく完成しました。あの命題は、たしかに真理でした」
すぐに返信が来た。
「おめでとう、佐藤くん。
君は、科学の目で“愛”を見たのだよ」
──あとは、発表を残すのみだった。
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