#4 涙が象る迷宮

 やぁ、また会えたね。


 ……そうだね。今日はブリキの怪獣の話をしようかな。


 そのブリキの怪獣は、いつもおままごとで悪役をやらされていたんだ。なんたって怪獣の見た目をしているからね。でも、怪獣はその事に不満は無かったよ。それが彼の役目だからね。でも、そんな怪獣が、唯一不満になった出来事があったんだ。


 ある日、怪獣は外の世界に連れて行かれたんだ。誰か大切な人に渡す為にね。......結局、送り主に届くことはなかったんだ。そのブリキの怪獣が最後に見たのは、無くなった自分の片手と、ボロボロになったプレゼントだけ。

 

 なんとも可哀想なブリキだろう。そのブリキは永遠に誰かの"特別なモノ"になる事がなくなってしまったのだから。


 門をくぐり抜けると、目の前には不思議な道が入り組んでいた。水の壁が迷路のような道を形作っている。まるで海の中に迷路ができたみたいだ。ルーソは水の壁に鼻を近づけた。


「ちょっと潮の匂いがする。海の匂いみたい」


ウィルは濡れるのが嫌なのか、壁から距離を取っていた。ボクは迷路に一歩踏み入れる。その時、道のあちこちからすすり泣く声がした。声は水音に紛れて聞こえてくる。耳に冷水が入ってくるような感触が伝う。水溜りの上で跳ねる音が反響した。


「見つからない……見つからないよぉ」


涙声と共に、壁の中から女の子が姿を現す。濡れた青い前髪は両眼を隠し、黄色いレインコートは、手まですっぽり包んでいた。レインコートを着ているにも関わらず、彼女はずぶ濡れだ。水の壁から見せるその姿は、異様だった。ルーソとウィルも警戒して、壁に近づこうとしない。でも、ボクにはその子がなんだか寂しそうに見えた。ハートが輝き、レインコートの女の子の手に触れる。ハートの輝きに照らされて、女の子は顔を上げた。


「だぁれ? アドレム様?」


女の子は不思議そうにボクを見る。ボクは慌てて首を横に振った。この子も、アドレムを知のっているようだ。でも、緑色の瞳は涙で覆われていて、ボクの姿はハッキリとは見えていないみたい。


「あなたは誰? どうして泣いてるの?」


ルーソはヒゲをピクピク動かしながら女の子に尋ねる。女の子は目元を袖で拭くけど、涙は止まらない。ずっと頬にくっついているみたいだ。


「私はロスロー。アドレム様に仕える庭師。だけど......大切な写真を失くしちゃったの」


ロスローは肩を震わせ、大粒の涙をポロポロ零す。ロスローが泣く度に、水の壁は揺らぎ、次々と道を作った。グニャグニャと波のように揺らめく水の回廊。不気味に形を変える道を見て、ルーソは尻尾の毛を逆立てる。


「わわっ! そんなに泣かないで!」


「でも……ひぐっ……友達と思い出の場所で撮った一枚なの……。あれがないと……私……」


ルーソがロスローを宥めても、ロスローは泣くのを止めない。ボクらの足元にも、水が溢れ出た。履いているグリーブ越しでも、冷たさが伝わってくる。ロスローの泣く姿を見ていると胸が痛くなった。なんだか、二度と手に入らないものを失くしてしまったみたいだ。そんなに大事な物なら、ボクも探しに行きたい。ハートが仄かな光を放ち、ロスローの頬に擦り寄り、涙を拭う。


「え……? 一緒に探してくれるの?」


ロスローが僅かに顔を上げる。ハートから涙の感触が伝わってきた。氷の粒みたいな涙だ。ハート越しでも、全身が凍りつきそうだ。こんな涙ばっかり出していたら、ロスローもいずれ凍ってしまいそうだ。ボクはロスローの目を見て頷いた。


「よかったぁ、ありがとう!」


ロスローは涙を浮かべたままボクの手を握る。それが嬉し涙なのかはボクには分からなかった。壁がまた揺らぎ始めて、ルーソは慌ててロスローを落ち着かせる。


「私は壁の中を探しに行くから、道の中を探してみて」


ロスローは言うなり、水の壁の中に溶けていった。言い終わるまでボクが見えていないような、そんな感じがした。まるで誰か違う人と話しているみたい。


「おいおい、出来もしない頼みを聞きやがって。どうやって水の中から写真を見つけるつもりだ?」


ウィルが面倒臭そうに腕を組む。水に触れまいと、足を忙しなく組み替えている。ボクは何も答えることができなかった。何か写真を見つけるすごい作戦があった訳じゃない。この道を全部知っている物知りでもない。ただ、ロスローの泣いている顔が辛そうに見えただけだ。ボクは迷路に脚を踏み出す。チャプチャプと水音が静かな迷宮にこだまする。


 水の迷宮は先が見えず、どこに向かっているのか分からなくなりそうだ。足どりだけが重くなる。


「ね、ねぇ、なんか水かさが増えてない?」


ルーソが耳を後ろに倒している。ボクは慌てて足元を見た。いつの間にか水がボクの膝を覆っている。


「早く見つけねぇと、溺れちまうぞ」


ウィルは着ているフードを脱いで、ボクに被せる。ぶっきらぼうなウィルは、相変わらず何を考えているのか分からなかった。だけど、緑色のフードは迫り来る水しぶきを弾いてくれる。ずっと昔にも、ボクはこうやってフードを着せてもらったことがある気がした。こんな風に水の中にいて、寒くて凍えているボクを、誰かが服を被せてくれたっけ。朧げに記憶を浮かべると、胸がじんわりと温かくなる。その時、ボクの胸からハートが浮かび上がった。ハートは淡く光って、迷路の奥を指す。どういうことだろう。こっちに進めって訴えかけているみたいだ。ボクはハートに導かれるように進む。


「■■■■、そっちに行くの?」


ルーソがボクの方に駆け寄る。ハートはボクの胸を引っ張り、水のトンネルを進んでいく。ボクとハートを繋ぐ糸は、鼓動に合わせて脈打つ。ボクが呼吸をする度に、ハートは光を放つ。その様子を見ると、ボクの中から一抹の記憶が呼びかけてきた。水……。ボクはこんな水の中に閉じ込められた事があったっけ。あの時ボクは水の中を覗き込んで、そのまま落ちていって……。


「■■■■! 危ないよ!」


遠くからルーソの声が聞こえてくる。気がつくとボクは、荒れ狂う水流の中にいた。水流は渦を作り出し、ボクを飲み込んでいく。怖い。激しく波打つ水。轟音を立てる水。飛沫を飛ばす水。全てが怖い。ボクが恐怖するほど、渦はボクを引きずり込む。足を取られ、手を取られ、身体を取られ、ボクはハートと一緒に水底に沈んでいった。


--僕の住んでいる町には池があったんだ。水面がとても綺麗で、離れた場所から池を見ていた。でもある日、新しいカメラをもらった僕は、近くから池を撮ろうとしたんだ。そして、足を滑らせて落ちた。僕は泳げない。水底の藻が、僕の足を掴む。もがけばもがくほど、僕は底に沈んでいった。息が苦しい。口の中に入った水が、僕の肺を満たす。僕の体も、意識も沈む。全身の力が抜けて、僕は何もない世界に沈んでいく。水底が大きな口を開けて飲み込もうとする。まるで怪物が久しぶりの獲物に喜び、大口を開けるように。全身が水中へと溶けていく。  


 誰かの手が、ボクの目の前に差し出された。あの手を掴まないと。無意識のうちにボクはその手を握りしめる。そうすると、ボクは一気に光の中へと引き上げられた。


「大丈夫?」


誰かがボクの肩を叩く。ボクは水を吐き出して荒い呼吸をする。肩を小刻みに震わせながら、ボクは声の主の顔を見た。あの子だ。箱庭で会った女の子だ。名前は確か、フィンデルって言ったっけ。フィンデルはボクの胸に手を当てる。ひどく冷たい手だ。


「心を落ち着けて。そうすれば波も穏やかになるよ」


フィンデルの息遣いに合わせて、ボクも呼吸をする。胸が温かくなり、ざわつく心も鎮まる。同時に水面も凪いで、水位が下がっていった。


「よかったわ。この水の庭は、迷い込んだ人が戸惑えば戸惑うほど、その形を変えていくの」


フィンデルが手を離すと、ボクの胸からハートが浮かび上がる。ハートは淡い光を纏いながら脈動した。


「探し物は、どうやら見つかったみたいね」


フィンデルはボクの手を開かせる。そこには、一枚の写真があった。いつの間にかボクは写真を手に入れていたんだ。ボクは写真を覗く。古ぼけてよく見えないが、二人の人影が海辺で並んでいた。二人は手を繋ぎ、なんだか楽しそうだ。海辺を映したその写真を見ていると、穏やかな波音が聞こえてくるような気がする。すごく安心する音だ。


「■■■■! どこにいるの?」


ルーソがボクを呼んでいる。その声を聞くと、フィンデルは安心したようにボクから離れていく。待って! 君は誰なんだ? どうしてボクを助けてくれたんだ? もっと君のことを知りたい。頭の中で渦巻く言葉は、ボクの口からは出てこなかった。


「大丈夫よ。君の記憶はいつかきっと戻る。そんな心配そうな顔をしないで」


フィンデルはそう言って、水の壁に吸い込まれるように消えていった。ルーソはボクの姿を見つけるなり、水に濡れるのもお構いなしに走る。ルーソは大きな手でボクを力一杯抱きしめた。


「■■■■、よかったぁ。またいなくなっちゃったかと思ったよ」


ルーソは濡れたボクの頭を撫でる。自分の毛が濡れるのも構わずに。緑色の瞳を潤ませるルーソを見ていると、ボクの胸が締め付けられた。


「お前は昔、溺れたことがあるんだから、無茶すんなよ」


ウィルが後から来る。びしょびしょになったフードをボクから取り上げ、バサバサとはたく。


「でも、お望みの品は見つけたみたいだな」


ウィルがボクの手の中にある物に目をやる。写真は無意識に握りしめられ、若干ひしゃげていた。ルーソは興味津々に写真に鼻を近づける。


「いい匂い。磯の香りがするよ」


「おい、みっともねぇぞ。人のモン、クンクン嗅ぐんじゃねぇ」


ウィルがルーソの鼻を押し除ける。ルーソはしばらく残り香に浸っていた。


「いるんだろ? 泣き虫野郎。早く出てきな」


ウィルが水の壁を叩くと、ロスローが現れた。ボクはロスローに写真を渡す。涙の残る瞳で、ロスローはしばらく写真を見ていた。あの瞳ごしには、写真の中の世界はどう映っているのだろう? 写真を吟味するなり、ロスローは大粒の涙を溢した。


「うわぁーん! ありがとう! この写真が見つかってなかったら、私……私……!」


ロスローの泣き声が、庭の水路を歪める。ウィルは苛立ち、ロスローの口を塞いだ。


「いちいち泣くな。写真は見つかったんだ。それでいいだろ」


ロスローも驚き、涙を引っ込める。その瞬間、庭に日が差し、水が引いていった。壁がなくなり、屋敷の入り口が現れる。今まで不鮮明だったロスローの目が露わになった。丸い緑色の瞳は、雨粒のようだ。


「う……うん。ありがとう、お兄ちゃん」


泣き顔が笑顔に変わったロスローは、写真を握りしめる。


「屋敷はもう目の前だ。行くぞ」


ウィルはフードを被り直し、屋敷の入り口へ向かう。ボクも濡れた髪を拭い、歩みを進める。

 

 だけど、なぜロスローは自分が映っていない写真を大切だと言っていたのだろう。

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