#3 赤錆の騎士
灰色の町をしばらく進むと、大きな門があった。箱庭を覆い尽くしてしまいそうなほど、巨大な門。その向こうには、屋敷が迫っていた。門の側に立つ石像が、ボクらを睨みつけている。灰色に濁った空の隙間から、昼下がりの日の光が門に降り注いだ。
「この門をくぐれば、アドレムさんのお屋敷の敷地に入れるよ。アドレムさんのお庭はすっごく広いんだ」
ルーソがボクの肩に手をかけて、門を指さす。分厚い鉄板のような門の先には、どんな景色があるのだろう。胸を弾ませて、ボクは門へと近づいた。
「待て、それ以上近づくな」
ウィルの鋭い声が、ボクの足を引き止めた。今までの抑揚のない声とは違う、強い声だ。その時、地面が何かに怯えるように震えた。ボクは揺れに翻弄され、足元がおぼつかなくなる。
「大丈夫?」
ルーソががっしりとした手でボクの体を掴む。ウィルは門を睨みつけ、マントの中に手を隠した。
「許しなく屋敷に踏み入れる不届き者よ。性懲りも無くやってきたか」
雷が落ちるような声が轟く。ボクの耳は声の残響に震えた。声は確かに聞こえるのに、姿は見えない。得体の知れない怖さが、ボクを押し潰そうとした。
「この先はアドレム様の屋敷。侵入者は何人たりとも通すことはあたわぬぞ」
地面を割るような声とともに、石像が動き出した。石像が大きく身震いすると、石片が剥がれ落ちる。ルーソはボクを抱えて、落ちてくる欠片を躱した。土煙が晴れると、そこには石像の姿はない。代わりに門より大きな怪獣が立ち塞がっていた。赤錆色の鎧に全身を包んで、片手は時計盤のような盾に覆われている。その姿は、怪獣が騎士の格好をしているみたいにあべこべだ。金色の鬣を逆立たせ、怪獣は建物が軋むような唸り声を上げる。
「我は"赤錆の騎士レーゲン。屋敷に侵入する愚か者を全て排除する者」
赤錆色の怪獣はワニのような口をゆっくり開閉させる。石と石が擦れ合うような声は、地面を揺るがした。レーゲンは小さな侵入者達を叩き潰そうと、金棒を振り上げる。山のようにそびえ立つレーゲンの影を見ると、ボクは逃げ出したくなった。兜の黒い穴から覗くレーゲンの黄色い目玉は、ボクを獲物を狙う蛇のように捕えている。地響きを打ち鳴らしながら、レーゲンはボクに近づいてきた。
「ま......待って! レーゲンさん。私達はアドレムさんに話があって来たんだよ」
「貴様らの講釈なぞ知れた事。貴様らのような方便を嘯いて我が金棒に散った者なぞごまんといるぞ」
ルーソの説得をレーゲンは断ち切るように言い放つ。苛立たしげに唸り声を漏らすレーゲン。黄色い目玉も怒りに震えていた。
「貴様らのような侵入者を、我は誰一人逃さず叩き潰してきた。ある者は無謀にも我と戦い、ある者は恐怖のあまり逃げ出した。命乞いまでする愚か者もいたぞ」
レーゲンは金棒を宙で振り回す。あの金棒は、何人の恐怖で引きつった顔を映し出したのだろう。ボクの顔ははっきりとは映っていないけど、きっと今まで倒されてきた人と同じ顔をしているに違いない。
「■■■■がアドレムさんに会いたがっているんだ。アドレムさんなら、きっと力になってくれるかもしれないんだ」
「問答無用! 貴様らのような奴を、アドレム様に会わせるわけにはいかぬ!」
レーゲンは金棒をルーソ目掛けて振り下ろす。ルーソは間一髪の所で金棒を躱したけど、風圧に足を掬い上げられる。金棒は白いタイルに敷き詰められた地面を割り、亀裂を刻んだ。ルーソはバランスを崩し、ボクを離してそのまま地面に転がる。レーゲンは侵入者の姿を捕らえるなり、次の一撃を振り上げた。あんな門番に話し合いなんか通じっこない。でも、腕づくでも敵わない。あんな門番に立ち向かわなきゃいけないなら、ボクの記憶なんて戻らなくてもいい。恐怖がボクの足を急かせた。ボクは形振り構わず走り出す。
「■■■■!」
ルーソの声が微かに聞こえる。ボクは耳を塞ぎたくなった。分かってる。分かってるんだ。そんな事しちゃダメだって。ボクにとって、ルーソもウィルも大切な存在だったんだ。でも、恐怖の方が勝っていた。あのレーゲンの金棒を見ていると、逃げ出したくてたまらなかったんだ。ボクは息を切らしながら走り続けた。
「ウィル、■■■■を助けて!」
「その必要がどこにある? アイツは逃げる事を選んだ。止める必要はねぇよ」
二人の声が遠ざかっていく。風がボクの胸を貫くように吹いた。足がもつれ、ふらつく。地響きがボクの命を奪い去ろうと迫ってきた。
「臆して仲間を置いて逃げるか。腑抜けめ」
冷たい声と共に、ボクの背中を鈍い衝撃が打つ。背骨が砕かれるような痛みに、ボクの呼吸は一瞬止まる。レーゲンの金棒が、ボクを壁に叩きつけた。壁にヒビが入り、ボクは金棒に押さえつけられて身動きが取れない。霞んでいく瞳で、ボクはレーゲンを見た。レーゲンは揺らめく炎のような目で、ボクを見ている。金棒を握る手は、緩みはしなかった。
「アドレム様に会おうなどと考えるべきではなかったな。貴様はここで死ぬ。我が金棒でその命を擦り潰してやろう!」
レーゲンの声に、大気が震える。金棒がボクを突き砕こうと、軋んだ音を立ててボクを圧迫した。すぐそこに迫る死の恐怖に、ボクは声も出ない。ただ、背骨の砕ける音が聞こえてくるのを待つだけだった。
「そんな事はさせないよ!」
ルーソがレーゲンの顔に飛びかかった。大柄なルーソに飛びつかれ、レーゲンはよろける。ルーソはレーゲンの目を隠し、頬に爪を立てた。ボクを押さえつけていた金棒が緩む。
「何だ、畜生風情が。貴様がこの腰抜けを守ったとて何になる?」
「■■■■は私の友達よ! だから私が守るの!」
ルーソは歯を食いしばり、レーゲンにしがみついたままだ。ボクと並んだ時はルーソはとても大きく見えたけど、レーゲンの目を覆う今のルーソはひどく小さく見えた。あんなに体格差があるのに、どうしてルーソはレーゲンに立ち向かうんだろう。二人を見捨てたボクなんかの為に。どうしてこんなボクを、まだ友達って呼んでくれるんだろう。胸の奥から、何かが込み上げてきた。
「愚かな猫よ。そんなに死に急ぐのならば、貴様の望み通りにしてやろう!」
レーゲンは首を振り、ルーソを振り解く。突風に煽られ、ルーソは地面に叩きつけられた。背中を打ちつけ、ルーソは咳き込む。レーゲンは、弱った獲物にとどめを刺す蛇のように、ゆっくりとルーソににじり寄る。ルーソは背中を押さえながらも、牙を剥いてレーゲンを威嚇していた。ボクに対して見せたことがないほど、凶暴な獣としてのルーソを剥き出しにして。友達。たったそれだけの理由で、ルーソはボクを守ろうとしている。レーゲンの金棒に叩き潰されてしまうかもしれないのに。分からなかった。ルーソの瞳はまだ鋭い光を帯びている。爪を立てて、その場を離れる気はない。そんなルーソも、レーゲンの金棒の前に崩れ落ちてしまうかもしれない。嫌だ。ルーソの事はよく知らないけど、ボクはルーソがいなくなるのは嫌だ。いつの間にかボクは、ルーソの前に走り出した。
「■■■■! ダメだよ。逃げて」
ルーソの言葉に、ボクは首を横に振る。ボクの目の前には、恐ろしい赤錆色の騎士がいた。レーゲンは苛立たしげに、ボクに金棒を向ける。怖い。怖いけど、ボクがルーソを守るんだ。鼓動が強く鳴り響く。恐怖と僅かな勇気が、ボクの体を震わせる。その時、ボクの体が赤く輝き始めた。赤い光が、ボクの体から抜け出ていく。レーゲンは目を細め、ボクを見る。光はハートの形をとり、宙に漂っていた。まるでボクに「勇気を出すんだ」と鼓舞するように。ハートはボクの胸元から、赤い糸を引いていた。
「……それが貴様の選択か。見せかけの勇気だけで、我と戦おうとはな」
レーゲンが金棒をゆっくり振り上げる。ボクは恐怖に駆られる足を踏みとどめた。もう逃げない。ルーソを助けたい。握る拳が熱くなってきた。ボクにルーソを守る手立てはない。それでも、ここを離れる訳にはいかなかった。
「舐められたものだ! その勇気ごと粉微塵にしてやる!」
レーゲンの金棒が迫る。その時、ハートは盾に形を変え、レーゲンの金棒を防いだ。ハートを介して、痺れるような衝撃がボクに伝わってくる。ボクは膝をつき、胸元を押さえた。盾は今にも砕けそうだ。でも、ここでボクがくじけたら、ルーソが危ない。レーゲンに立ち向かうんだ。ボクは痛む胸を押さえ、立ち上がった。その時、盾が激しく光り、レーゲンの金棒を弾き返す。突然の出来事に、レーゲンも動きを止める。盾はボクの前で、剣に形を変えた。「立ち向かえ」、そう言っているような気がする。
「我が一撃を弾き返した者は幾人ぶりか。だが、次の一撃はそうはいかんぞ」
レーゲンは金棒を振り上げる。その時、レーゲンの肩に何かが命中した。ウィルだ。ウィルがレーゲンの背後で、パチンコを構えていた。
「何のつもりだ? 心なき人形よ。感情無き貴様に、こやつを助ける情でもあるのか?」
「俺はコイツの意思に従うだけだ。コイツが立ち向かう事を選んだなら、俺はアンタを止める」
嘲るレーゲンに対して、ウィルは表情一つ変えようとしない。ただ、パチンコの狙いを外そうともせずに、レーゲンを睨んでいた。
「何をしようと無駄な事。この門をくぐり抜ける力なぞ、貴様らにはないのだ!」
レーゲンは吠え、金棒を振る。ウィルはマントを翻し、レーゲンの一撃を躱した。レーゲンの吠え声は、地面を裂く。ガラスのヒビのように、地面に亀裂が走った。揺らぐ足場に、ボクは翻弄される。その時、ルーソが地割れに飲み込まれた。ルーソは辛うじて縁に掴まっているけど、苦しげに顔を歪ませる。そんなルーソにトドメを刺すように、慈悲のない足音が迫った。
「手始めに哀れな猫よ、貴様から葬ってやろう!」
レーゲンはルーソを踏みつけようと足を上げる。ウィルがパチンコ玉を撃つけれど、レーゲンの盾に弾かれた。ウィルはレーゲンから距離を取って、割れ目を飛び移る。ボクがルーソを助けないと。考えるより先に、ボクは裂け目を飛び越えていた。剣がボクを導くように、宙を漂う。レーゲンの足は、ルーソのすぐ目の前まで迫っていた。胸の奥で、ボクは声にならない叫びを上げる。その時、剣はレーゲンの胸元を目掛けて突き進んだ。レーゲンは咄嗟に盾を構える。風を切り、剣は盾を貫いた。分厚いレーゲンの鎧を、赤く光る剣が打ち砕く。鎧が砕けた騎士は、よろめき片膝をついた。剣はまた元のハートの形に戻り、ボクの元へ戻ってくる。ボクはおずおずとハートを手に取った。ハートはボクの呼吸に合わせて脈動する。ウィルはルーソの手を取って、乱暴に引き上げた。
「あ、ありがとう、ウィル」
「世話を焼かせるな。お前はアイツを守るんだろう」
ルーソは呆気に取られてウィルを見ていた。ウィルは相変わらず仏頂面のままだ。その目はまだ、騎士の姿を捉えていた。レーゲンは盾を失い、肘から先の無い腕が露わになっている。金棒を握りしめたまま、レーゲンはゆっくりと立ち上がろうとしていた。けれども、無くなった片腕は地面を捕らえられず宙に浮くばかりだ。
「...…させぬぞ。貴様のような奴に……この先は行かせぬ……」
苦しげな声で呻くレーゲン。傷ついた体で門を守るその姿を見ていると、胸がきりきりと痛んだ。ボクがレーゲンの胸を刺したんだ。レーゲンは、ただこの門を守ろうとしていただけなのに。さっきまでレーゲンに立ち向かおうとしていた勇気が、後悔に変わった。ハートはそれに応えるように、レーゲンの前にボクを導く。
「ダメ! 危ないよ!」
「そいつは首だけになってもお前を殺すぞ。離れろ」
二人の言葉が聞こえた頃には、ボクはレーゲンの前にいた。片膝をついているとはいえ、レーゲンはボクなんかより遥かに大きい。ボクの姿を見た途端、レーゲンは体の節々を軋ませながら立ち上がろうとした。
「気に食わぬ、貴様のような奴がアドレム様に会いたいなどと」
レーゲンの胸からは黒い液体が垂れていた。レーゲンが苦しげな呼吸をする度に、液体は漏れ出る。恐ろしいとしか思えなかったレーゲンだけど、この時ばかりは悲しげに見えた。まるで主人に忠実なロボットみたいだ。レーゲンを助けたい。ボクの胸の中で暖かい何かが膨らんだ。ボクが言葉を紡ぐ代わりに、ハートがレーゲンに訴えかけるように輝く。
「何のつもりだ。情けが通る相手ではないことは、貴様も分かっているであろう」
レーゲンは隻腕でハートを振り払おうとする。けれど、彼には金棒を握りしめる力も残っていないみたいだ。片膝を付いても、レーゲンは門から動こうとしなかった。まるで何かに縛られるように、レーゲンは番人という役目に囚われているんだ。ボクはますます胸が痛んだ。その時、ハートが眩く輝き、レーゲンの傷ついた胸元に近づく。淡い光に触れると、レーゲンの傷はみるみるうちに塞がってきた。レーゲンの呼吸は次第に落ち着いたものに変わる。ボク自身、何が起こったのか分からなかった。どうしてハートは、レーゲンを癒やしたのだろう。
「貴様、我と戦う気は無いとでも言いたいのか」
怪訝な顔をするレーゲンに、ボクは頷く。レーゲンは金棒から手を離し、その手をハートに近づけた。隠し事は許さない。そう言いつけるような目で、レーゲンはボクを見ている。
「...…なるほど。自分が何者か知りたいが為、アドレム様に会いに来たか」
レーゲンは怒りを収め、静かな口調で呟く。門番らしい、重々しく厳しい声だ。
「今まで我に相対した中で、慈悲をかけた者は貴様が初めてだ」
レーゲンはゆっくりと顔を上げる。恐る恐る見ていたルーソも、警戒していたウィルも、意外そうにレーゲンの様子を見ていた。レーゲンはハートを優しく掴み、ボクに返す。
「貴様の覚悟は本物のようだな。…………よかろう、進むがいい」
ハートはボクの胸元に戻る。暖かい感触が、ボクの中で広がった。レーゲンは片腕で門を押し開ける。片腕の力でも、レーゲンは軽々と門をこじ開けた。重々しい音とともに、門が開く。門の先には、黒い屋敷が聳え立っていた。
「いいのか? 素性も分からない俺達を通して」
「人形よ、我が気が変わらぬうちにこの門を通った方がいいぞ。我が使命は侵入者の排除。だが、慈悲をかける者まで手にかけるほど冷酷ではない」
ウィルの言葉をレーゲンは制す。これ以上話すことはないと言わんばかりに口を固く閉じた。ルーソとウィルは、ボクが進むか進まないかの決断を待っているようだ。屋敷に入れる今、ボクの選択は一つしかない。ボクはレーゲンに会釈をして、門をくぐり抜けた。その姿を見て、ルーソとウィルも付いてくる。
「小僧、屋敷は貴様が思うよりも広いぞ。時として道に惑うかもしれぬ。だが、貴様の持つ心が、正しき道へと導いてくれるだろう」
屋敷へと進むボクの姿を背に、レーゲンは呟く。ボクには、レーゲンの言葉の意味が分からなかった。分からないけど、アドレムの屋敷に入ることはできたんだ。それだけでも、ボクは嬉しかった。自分の事が、ボクの存在がはっきり分かるんだ。
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