第26話 復讐
扉の裏側でアンが双子の弟にベタベタのキスをしているのが聴こえた。べたべたなのはアンが泣いているからで、涙でレオの頬をぬらしてしまったのだ。アンは泣き虫だった。そこの長椅子に座っている
双子の姉と入れ違いにレオが入ってきた。そっぽを向いて私の方を見ようともしない。私はもぞもぞと手を動かして口を開きかけたが、なんとなくやめてしまった。
レオは会わない間に背が伸びてスラリとしていた。
ポールにも私にも双子を呼び出すつもりはなかった。二人はそれぞれ新しい環境に馴染みつつあるのだし、こういう暴力沙汰を年ごろの子どもたちに知らせるのは少々繊細さに欠けるだろう。
が、噂は広まり、思いもよらぬところまで飛んでゆくものである。アンが花嫁学校で聞いたのだ。動揺したアンはレオに手紙を書き、私には家に帰りたいと
「アンはきっともう大丈夫よ」
レオが振り返って私を見た。怒ったような顔をしている。
「どうしてアンが僕にあんな手紙を書いてきた?隠さないで教えてよ」
私は答えないで立ち上がるとシャンパン色のサテンの部屋着の上にエメラルドのペンダントをつけた。
時刻はもう昼近い。これから身支度をして夫婦の部屋の外に出るのは変な感じがした。クラリッサに会いに行くつもりだったのだ。
「あれはタチの悪い冗談だろ?」
レオが詰め寄る。
答えたくなかった。真実を伝えるべきでない、とも思った。あれはおぞましいことであり、恥ずべきことだ。自分が虚しく低俗な欲望の犠牲者になったことを、レオには打ち明けられなかった。私を苦しめたあれは
レオは少しの慈悲も見せずに追求した。次第に私に近づきながら。
「ウォルター・クラインがあんたに乱暴したのか。それともあんた達二人の火遊びだったのか……」
沈黙の張り詰める部屋にポールが入ってきた。レオを厳しい目でにらんでいる。
「僕は子どもじゃない。アンは優しくて、こういうのには対処できないのはわかっている。でも僕は違うんだ……」
レオは冷静だった。
「ウォルター・クラインはキャサリンに許されないことをした。お前が知っておくべきなのはそれだけだ」
ポールが断固とした態度で言う。
「ダリアが首都から逃げ出したって聞いた。クラインとジョリーン・マクリーンに何か関係があるんじゃないか」
レオは父親の厳しい態度にもひるまなかった。
が、ポールは質問には答えずにレオをつまみだしてしまう。
「ジョリーンは関係ないわ」
私は廊下から帰ってきたポールに言った。
ポールは私の言葉に答えない。何か深い決意のうかんだ顔で私を見つめていた。恐ろしい表情だ。たとえば深い深い井戸の底を覗き込んだような。
「ねえ、ジョリーンもダリアも関係ないってそう思うでしょう?」
私は不安になって
ポールはけれど私の手を取ってキスすると、暗いよどんだ表情のまま、やはり何も言おうとしない。それは保護者めいた態度だった。ポールは私のためにとる行動を決定していて、それを当事者の私に共有するつもりはないのだ。
翌朝、まだ日が昇り切らないうち、町の広場で悲鳴が上がった。
女は石畳の上に膝を抱えて横たわっていた。服をまとわず、皮膚は血まみれで全身赤のまだら模様。ひどく殴りつけられたせいで顔は原型をとどめておらず、片方の眉毛がすっかりなくなっている。
誰かが女を暴行し、痛めつけたのだ。
集まってきた野次馬は身の毛のよだつ有様に、女はすでに死んでいると思った。衛兵が布をかけようとした時、女が身を震わせ、血を吐き出した。血が衛兵の胸にかかり、思わずとびのく……
「ポール、正直に言って。ジョリーンは……」
「僕がやったんじゃない。誓って言うよ。
ポールが空色のまっすぐな目で言った。
私は窓辺に立って震えている。町の中を騒ぎ立てながら歩く群衆が見えた。
「一体誰がやったの?あんなおぞましいこと、あんなの……。ジョリーンはあれには関係なかったのよ……」
クラリッサの私室に近づくにつれ、怒鳴りあう声が大きくなってゆく。女の声とまだ大人になりきらない少年の声。
ポールと私が部屋に入ると、クラリッサとレオは興奮で顔を赤くし、口を開きかけたまま押し黙った。目をぎらつかせお互いをねめつけている。
「どういうことなの……」
私は答えを求めて二人を、それからポールの顔を見た。
「ジョリーン・マクリーンはクラインとグルだったんだ。彼女の別荘の
レオが獰猛な顔つきで言う。
クラリッサがレオを平手打ちした。レオが頬を手で抑え、ものすごい目つきで伯母をにらむ。
「人間のやることじゃない。あんたは悪魔だよ、獣だよ。クラインの同類よ」
レオは伯母の非難の言葉をじっと聞いていた……
病室の
女は私を見て泣いていた。懸命に私に触れようと手を伸ばす姿は砂漠で一杯の水を求めてさまよい続けるミイラのようだ。
「あんなことになるって思ってなかったのよ。キャシー、あなたなら信じてくれるでしょう……」
ジョリーンが干からびた涙を流しながら言う。
「ええ、もちろん信じるわ。友達ですもの。お願いだから泣かないで。可哀想に。こんなこと……」
そう言いながらも私はジョリーンを信じてはいなかった。クラリッサもポールも私の手前、はっきりと口に出して言わなかったけれど、あの暴行にジョリーンが積極的に関与したのだと認めている。レオが取った行動はおぞましい以外の何物でもなかったが、探り当てた証拠は本物だったのだ。
本当はウォルター・クラインに押し倒されたあの瞬間から真実を知っていた。心がそう考えるのを許さなかったけれど……
ジョリーン・マクリーンは最悪の形で女の友情を裏切ったのだ。
私は病室を出ると吐いた。人間の本能は残酷だ。痛めつけられて絶望の中にいるジョリーンの姿を見て吐き気をもよおすのだから。
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