第27話 再び雪の牢獄

 フィーリアは暖炉の前でハンナを膝にのせ、髪の毛をとかしてやりながら微笑んでいる。相変わらずの雪のように白いドレスにダイヤをあしらったベルトをつけていた。ハンナは長い雪橇の旅に疲れ、兎のような小さなぽってりとした口を開いたまんま、まどろんでいる。フィーリアはハンナがいよいよ深い眠りの中へとおちていって、その頭を自分の胸の上にのっけてきたので、幸せそうにほんのりと笑った。


「マックス以外はみんな戻ってきたのね」

 フィーリアがハンナの髪をなでながら言う。


 雪の牢獄に戻るように言ったのはクラリッサだった。その提案がどれほどありがたかったことか。


 あの事件、それにレオがジョリーン・マクリーンに果たした凄惨せいさんな復讐は宮廷中で知れ渡っていた。アッシャー家はどこに行くにも、冷たい目で見られるか同情に満ちた目で見られるかのどちらかで、私にはそれが苦痛でしかなかった。

 あの事件のことを忘れたい。暗い廊下を意味もなく怖がったり、私が部屋に入るだけで静まり返ったりしない場所に行きたかったのだ。


「ハンナはダリアの親戚に預けたのだけれど、帰ってきてしまって。優しくなかったのね。マックスはギルバートについて行ったのよ。サンドンとの国境に。信じられないでしょう?」


「信じられないわ」

 けれどフィーリアはにこやかに、明るい声で相槌をうった。


 居間には私とフィーリアと二人の娘たちだけ。アンは隅の肘掛け椅子に座って妹のハンナのために赤毛のお人形の髪をおさげ髪に編んでいる。脇のテーブルにはミルクとオーツ麦のおかゆが手つかずのまま置かれていた。夜になって逆に目が冴えてきたようで、無心に髪を編みながら、扉をじっと見つめている。


「アデラインは大丈夫かしら。西向きの部屋を用意してしまったけれど、ちゃんと寝られるかしら……」

 フィーリアはせかせかと家庭の主婦然として気掛かりなことを口にした。


「あの部屋なら大丈夫なはずよ。それになんて言ったってあなたが用意したんですもの」



 フィーリアと一緒に領地の経営について話していると(領地の財政は右肩上がりになっていた)、レオが入ってきた。髪はびしょびしょに濡れ、肩には雪がのっかっている。


 フィーリアが立ち上がって揉み手をした。レオは父の領地に帰ってきてから一度も叔母に挨拶していなかったのだ。むすっと押し黙ってこちらを向こうともしない。


 彼はまさか居間に人が残っているとは思っていなくて戸惑っているようだった。


「おばさん、ご機嫌よう」

 レオがしぶしぶ挨拶し、フィーリアの抱擁を受け入れる。


「会わないうちにすっかり大きくなったのね。なんて勇ましくなったんでしょう」

 フィーリアは純粋な愛情と誇らしさでいっぱいになった。きれいな微笑を見せる。


 少年はたしかに叔母より背が高くなっていた。なんだか叔母の愛情を迷惑そうにしているけれど……。レオは叔母の目線を避けるよりももっと、私の視線を避けようとしている。


 私は地下牢で地べたに座っているレオを思い出した。松明のあかりと共に鉄格子に近づくと、彼がゆっくりと顔を上げる。まるで傷を負った狼のようだ。


「クラリッサがあなたを逮捕させたのよ。ジョリーン・マクリーンはたしかに酷いことをしたわ。でも、あなたがしたことは……」


「間違ってた。ああ、わかってるよ」

 レオが苛立ちで体を揺すりながら言う。

「マクリーンは裁判にかける必要があった。ほとんど死にかけるまで殴るべきじゃなかった。これじゃあ、まるであんたに俺が獣だってことを証明したようなもんだからね」


「レオ、感情的にならないで聞いてちょうだい。ポールがクラリッサを説得して刑罰はなくしてもらったわ。まだ若いし、道を誤っても正すことができるからって」


 レオが自嘲気味に笑った。

「あんたは釈放に反対したんだろう?ウォルター・クラインがしたことを、俺があんたにやるかもしれない……」


「ひどいわ。あんたは私を苦しめておもしろい?ねえ、いくらなんでもひどいわ!ウォルター・クラインの名前を、よりによってあんたが口にするなんて……」

 私は後退りしながら言う。


 レオの顔から皮肉めいた笑いがひいた。

「クラインがしたことを聞いた時、怒りを感じたんだ。あんたを傷つけた奴らに仕返しをしたかった。そうすればあんたも喜ぶか、少なくとも安心するかと思ったんだ……」


 重苦しい沈黙が続いた。

「感謝はしているわ。でも二度と相談もなしに私のために復讐なんかしないで」



 今、レオは姉のとなりの長椅子に腰かけ、父親似の長い足を投げ出している。アンは人形をおかゆ皿の隣に置き、猫のように伸びをすると、レオの方を向いて微笑み、背もたれに頬を寄せた。


「お兄さまは変わったわね。いい意味で。きっとあなたのおかげね。目を見ればわかるわ。前よりもずっとしっかりとした目よ」

 フィーリアが言う。


 不意に強い視線を感じた。レオだ。私にはわかる。

 意図的にそちらを向くのを避けた。

「そうかしら。でも最近、まったくお酒をのまないのよ」


 彼は、あの子は私に恋しているのだ。


 ばかげた考えが頭に浮かんだ。振り払おうとするけれど消えない。


 私はサッとレオを見た。目が合う。強烈な視線だ。嫉妬に満ちた緑の瞳……

 その瞬間、私はレオを理解した……

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