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振り返るのも恐ろしいけど、夢でないことは確か。怒号と、憤慨と、号泣。漫画で大きな涙がぼろぼろと溢れる描写を当てはめるのが最適なくらい、泣いた。二十年来の過去で一番、怒り、叫び、泣いた。
毎週の日曜日には、キックボクシングをしにいく。高校入学の時がちょうど、例の感染症と被ったものだから、部活に入る機会を損ね、けれども閉じこもっていても仕方ないと、親父の勧めで始めたのだ。キックボクシングといってもスパー等をするガチガチのものではなく、「運動」を目的としたフィットネス感覚のもので、私には性に合っていた。日頃のストレスを適度に発散し、突き蹴りの型も身につく。贅沢な趣味である。
昨日——二〇二五年の五月十一日。日曜日で、いつもの如く寝惚け眼を擦りながら、私はキックボクシングに行き、正午手前に実家へ帰宅した。何も変わらぬ日常で、適度にストレスを発散し、腹を空かせて帰ってきた。
昼餉を食べたら、必ずシャワーを浴びる。ちょうど昼餉を馳走した後、親父が一階——実家が三階建ての一戸建てで、一階が職場である——から上がってきて、序でシャワーの準備、精確には、洗濯関係のものを風呂場から出してやるという。私は甘えて、それをお願いしたら、親父は冗談交じりの怒りを表して、「ママ、洗濯物いれっぱやから、ホースから出た水でまたびちゃびちゃや」と言った。このやりとりは普段からよくあった。母が洗濯物を取り忘れ、親父が無駄な苦労を掻く。これに対して、別に親父は本気で怒ることはなく、いつも冗談半分で揶揄うのが常套であった。
その後、親父は仕事へ戻らないといけないものだから、再び一階へと姿を消す。拡大家族で、家に住むのは総勢七人。だのに、日曜の昼にいるのは、私ひとり。慣れっこではあったけど、残る静けさには言い表しにくい苦さがある。だから寂しさ晴らしに歌を歌ったりする。そんな時に着信音。発信先は母。出る。
「洗濯の中のスカーフだけでいいから出しといてほしい」
無理です。
母の惰性で、親父が不意に洗濯物を濡らしてしまったから、もう一度洗濯機をかけないといけない。その旨を伝えると、母は歯切れの悪そうに電話を切った。
私には、ごく小さなことだった。
私は水が好きだから、湯船に湯を張らなくても、一時間程度は風呂場に籠る。歌ったり、直近の出来事を振り返ったり。冷静になれる、憩いの空間である。そんなこんなで一時間程度。十五時を回って、私はパソコンを相手に格闘を始める。大学のことであったり、娯楽であったり、小説であったり。しかし、どう頑張っても眠気には抗えない。普段、私の生活リズムは昼夜を完全に逆転しているものだから、朝の四時に寝て、夕方の四時に目を覚ます。そんな人間が朝からボクシングに行き、帰宅後に昼餉を食し、風呂場でひとしきり歌えば、眠くなるのは至極当然である。
そうして、私はパソコンを閉じて睡眠につき、起きたのは夜の九時であった。窓の外はすっかり暗がりに満ちて、何用もないのに夜を焦る。とりあえず晩御飯を頂こうと母親に訊ねる。異変はここから、既に垣間見えていた。
「夜ご飯おねがいしていい?」
という。たったこれだけ。親子の間で、この会話になんの毒がある? 私は判然理解できない。この時から、母は既に機嫌を損ねていた。私の勘は意外にも鋭い。
晩御飯が出てくるところまでは、まだ普通——若干空気は重たかった——だった。
その後だ。
台所の近くにあるワゴンに置かれたおやつ。私がそれを瞥見して、いつも冗談を交わすみたいに、
「このおやつもらっていい?」
と言ったら、母は棘を吐いた。文面だけでは到底伝えられない、京都人が客を追い出すような、回りくどい、厭味な口の利き方を、私へ向けて放った。正直、これもよくあることであった。自分の機嫌が良くない時、私の母はよく態度が口に出る。だから、私も最初は堪えた。いつものことか、と、思いたかった。だけれど、許そうという気になれなかった。母は頑固者だから、私だけがいつも通りにいても、何か不公平だと。私もつい、衝動的な単純思考で、意地を張ってしまったのだ。こればかりは、私も大人でなかった。
その後、私がボクシングで穿いていたズボン——帰宅後、洗濯を回してしまったが故、放置——を見て、「これ、洗濯するやつ?」と訊いたものだから、私も棘を吐いた。魔が差した。
「今日行ってんだから、そうでしょ?」
ここで、火が点いた。互いの思考が赤黒い「怒」に染まった。我に返っても、昨日は異常だった。それから、なぜそんな悪態をつくと言う母に、自分に問いかけてみろと反論する私。
「洗濯物で言われたから、機嫌損ねてズルズル引きずってんだろ!」
人の言うこと碌に聞かない、から、いつもグチグチ都合が悪くなったら、と。互いの棘はどんどん大きく、尖っていった。幻覚で可視化されたみたいに、互いの棘が、互いの身体を貫くのが見えた。私はパラノイアで、人間に期待を寄せない性格だから、この時、まだダメージは少なかった。ただ、母はそうも見えなかった。仮にも自分の子ども。「愛してない」というと嘘になる。お小言は少々過ぎる時もあるけど、決して愛のない母ではない。自分が泣くために、子どもを産んだわけではないのに。ただ、互いが冷静さを欠かした時点で、手遅れだった。凄まじい声量の怒号が飛び交って、互いを訾り罵る。そして母が私を突き刺すように指を差した時、私はそれをぱんと跳ねのけた。きっと触れてはいけなかったのだろう。禁忌だった。母の中の箍が外れた。殴り方の一つも知らない母が、泣きじゃくった顔をしながら、両手を大きく振って私の身体を引っ切り無しに叩く。か弱い力を振り絞って。事態の異常を悟った親父と妹が介入してきた時、私の箍も外れ、それから今まで生きてきて、抑えてきた感情の総てが、コップを突いたみたいに、私の器から溢れ、零れた。もう、最初の原因などとうに忘れていた。ぼろぼろと内側から大量の涙が溢れてきて、一度も出したことのない怒号で、多いに刃を放った。気を取り乱し過ぎていたせいで、模糊たる言葉しか思い出せないけれど、それはきっと母も、父も、妹も、全員を悲しませるような言葉だった。私は難病を患っている。「指定難病97」。そんな身体に仕立て上げたことを恨むような、酷い言葉を放った。解っていた。父も母も、誰も悪くない。私の身体が弱いばかりに、自分の体調管理が疎かだったばかりに、あるいは単なる不可抗力だったのかもしれない。ただ、私はもう、普通の人間ではない。なるべく感じないようにしていたけれど、どこか私も苦しかった。
それから、後にも先にもないくらに低めいた声で叫び、私を否定し続ける母に言ってやった。
「ほな死んだらええんやろ!」
衝動だったけれど、覚悟はあった。台所に一目散へ向かい、私は包丁を探した。本当の刃を、自分に向けようとした。親父と妹が必死に止めにかかり、私は逃亡犯の逮捕が如く、体格の大きい親父に取り押さえられた。その時に、私は判然、殺してくれ、と言った。覚えている。もうよかった。なにも順調でない人生に、「これから」なんてもう要らなかった。
それから親父に必死に押さえられて、私は冷静を取り戻したが、母はそれでも、お小言を止めなかった。否、止められなかった。
大学に通い、心理学を習って、それを活かせる人間が一番取り乱して、家族という大切な人に、一生単位の傷を埋め込んだ。人間失格。最初の非は向こうにあったかもしれない。けれど、母を泣かせるようなことは、決してしてはいけい。後になって、今。もみくちゃになった感情の中で、後悔している。いまさら後悔しても遅いのに。以降、まだ母とは会話の一つもしていない。確実に、深い溝ができた。私は本当に死ぬべきだろう。人を悲しませて、母の寿命を吸い取ったゴミだ。そんじょそこらの「死にたい」ではない。私の究極は、今なのかもしれない。
今日——二〇二五年、五月十二日。大学終わり、帰宅中の電車で、ふと私は検索をかけた。
『2025 母の日』
昨日だった。
みんなが母への感謝を伝える日に、私は母を傷つけた。悲しませた。
春と鬱 ǝı̣ɹʎʞ @dark_blue_nurse
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