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 翌日。

 まだ陽が昇りきらぬうちに、十数名で構成された捜索隊の一行は、初級ダンジョン「始祖の原」近くの待機地に集まっていた。

 吐く息が白く濁り、いつまでもそこへ留まっているような、霧の濃い朝だった。視界はわずか十メートル先までしか効かず、あらゆる音が濡れた空気に飲み込まれていく。鳥の声も、獣の気配もない。まるで、この一帯だけが取り残されたような静寂だった。

 ヴァシリが先頭で進み、グレイがその隣に立つ。ギルバートは黙ったままその後ろに位置し、歩調を崩さないように足を運んでいた。


「…風が止んでいる」


 ギルバートがぽつりと呟く。誰に言ったわけでもなかったが、グレイがわずかに視線を寄越した。


「魔力が濃いからだ」

「お前にはわかるのか?」

「わかるようになった」


 それだけ言って、グレイはまた前を向いた。会話はそれきりだったが、ギルバートはなぜか、それ以上を問う気にはなれなかった。


 ダンジョン「始祖の原」の入口は、草原の奥にひっそりと佇んでいた。事象発生以来、民間人が立ち入らないように施した封印のしるしが淡く輝き、ヴァシリのもつ認証の証に反応して静かに開いていく。重く乾いた風が、奥から吹き出してくる。

 その瞬間、全員の背筋がわずかに強張った。空気が変わったのだ。濃密で、ぬめるような気配。長年の職員ほど、それを敏感に察していた。


「ここが……入口?」


 ギルバートの口から声が漏れる。


「“始祖の原”第一層、表層空間の転移口だ。地表に存在するが、これより内側はすべてダンジョン内部と見なされる。……封鎖は解除された。進入する。全員、気を引き締めろ」


 ヴァシリの声に全員が頷く。手に持ったガラスの筒に衝撃を与え、中にいる埃のような魔法生物を起こす。この生き物は、活動状態になると光を発するほか、それぞれに位置情報を共有する習性があり、ガラスの筒にいれることで、職員の間では位置特定及びランタンの代わりとして用いられている。

 各々の感情を胸に、ヴァシリとグレイの率いる行列が、ゆっくりと暗がりへと飲み込まれていく。


 内部は冷たく、しんと静まり返っていた。ごつごつとした岩の間には、かすかに魔力の流れを感じる。

 そして、その奥――およそ数十メートルを進んだ先に、それはあった。


 開けた空間。草原。風。空。


「……え?」


 ギルバートは思わず、言葉を失った。洞窟を抜けたはずなのに、そこに広がっていたのはまるで別世界だった。

 青い空がどこまでも続き、地表を草原が際限なく満たす。思わず、深く息を吸いたくなるような陽気。けれどギルバートは、言いようのない違和感を抱えていた。明らかに何かが“作られている”。太陽は動かず、風の流れに一定の周期があり、空の色には切り取られたような濃淡しかない。


「……ここが、ダンジョン?」

「そうだ」


 横から返るグレイの声。小さな背中は、何の感慨もないように、足元の草を一瞥した。


「この層は模倣草原と呼ばれている。空も、風も、地形も、生態も、すべてがダンジョン内部の魔力により模倣された自然だ。本物ではないが、馴染みやすい。君や他の職員は偽物だと気がつくことができるが、魔力や魔物に縁の薄い民間人には悟れない。だから、ある意味では、初心者向けの階層とも言える」

「……こんなのが、“中”なのか」


 ギルバートは空を見上げた。確かに青く澄んではいるが、そこには高さがなかった。ある一定以上、視線が上へ行かない。まるで、見えない天井があるような閉塞感。


「ここの空は、約二百メートル上に仮想境界層…つまり、天井がある」


 グレイが事務的に補足する。その冷めた口調と、目の前の景色の異常さが奇妙にかみ合わない。


「…外の入口からは、それほどの高さがあるようには見えなかった」

「ダンジョン内部は異空間だ。外から見た視覚的情報はすべてあてにならない」

「行方不明になった調査隊は、この層のどこかに?」

「いいや。彼らの足取りは、さらにその先。地形変動が起きたと思われる第二層の菌石洞窟へ降りた後に途絶えている」


 そう言ったグレイの視線の先には、遥か草原の向こう、黒くぽっかりと空いた地割れのような穴があった。


「地形の変化を調べるために、彼らは最短の調査ルートを選んだ。変動が起きた直後だったせいで、道中何か“想定外”が起きた可能性が高い」


 グレイが淡々と言う。その横で、手のひらサイズの端末を確認しながら、ヴァシリが付け加えた。


「記録に残っている転移座標をたどれば、彼らは間違いなくこの洞窟を通ったはずだ」


 人口の風が草を揺らし、グレイの黒い装束が小さくたなびく。

 どこまでも続く草原の向こう。ぽっかりと空いたその闇の口が、何かを飲み込むように、彼らを待ち構えていた




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