第1章 5話
讃えよ、讃えよ――我等が聖女を、我等が救いを。
捧げよ、破壊の讃美歌を、哀れなる世界に刻み込め、血と涙の賛美を。
慈しみ深き破壊者となりて聖女様の導きに従い、この贖罪の旅路を進むのだ。
暗闇の底で私が流す汚れ、腐敗した後悔、逃げ場のない羞恥。
聖女様は笑わず、嘲らず、その崇高なる身が汚れることなど厭わず。穢れの中に身を沈めてくださいました。
弱き私を抱きしめ、悲しみに打ちひしがれる私を撫でてくださいました。何度も、何度でも・・。その慈しみはただの慰めではなく弱きを支え、迷える魂を正しき道へと歩ませる力に他なりません。
聖女様の御言葉は私の盲目に光を与え、私を光の道へと導きました。
あぁ、慈しみ深き聖女様。・・・その御言葉は、存在は。私達が罪を拭い、迷いを砕き、嘆きをかき消してくださいます。
神はこれほどまでに慈しみ深き愛を、この穢れた人類に授けてくれました。神が与えし世界への愛、人類への愛。
なのに・・なのに・・・っ!!。
それでもなお、何故その慈しみ深き愛に背く・・?。これほどまでに尊い神の想いを感じてもなお、その心は動かないのです・・?。
動かぬ心、腐った眼差し、閉ざされた耳。
・・ああ、あぁっ!なんと哀れな「咎人」・・。
・・いや、違いますね。哀れではない、哀れみとは「人」に掛ける言葉。
もう、そんな者は「咎人」ですらない!。
聖女様の慈愛を受けてもなお揺るがぬ者は・・罪という大輪の花を咲かせし世界の呪い。
――「
聖女様の愛がその胸に落ちてもなお、その内なる穢れは浄化されず。咎花を咲かせし愚か者。そんな連中に私は慈悲を与えない。
・・浄化が必要だ。断罪、焼却。同じ底にいた、赦しを得た私にはしかできない世界の再生・・醜悪なる花の摘み取り。
・・そう、私もかつては貴方達と同じだった。
崇高なる理想を傷つけ、夢を壊し、己の手で穢れを撒き散らす咎人だった。自分も彼らと変わらぬ醜さを有しているのだと嫌悪し、夜毎に胃がねじ切れるほど嘔吐もしました。
そんな私を、聖女様は拾い上げてくださった。その崇高なる存在は私に言ってくださった。「一緒に生きましょう」と。
その一言で私は生まれ変わった、私は再び立ち上がる理由を得たのです。
聖女様・・その赦しの御言葉を私は忘れません。私はもう、迷うことなく聖女様の意志をもって前を歩みます。
赦しを受けた者の責務を私は果たします。必要ならば私は全てを捨て灰となり、礎となります。新しき世界・・清らかで罪の無い・・幸せな世界のために、私は自らを差し出します。
赦しを得た者はもはや放蕩できない。咎人であった私に与えられた聖女様の慈しみはただ優しいものではない。聖女様の刃となりて、その行動で罪を贖うのです。
時にそれは裁きの雷となり、時に大地を砕く地震となって世界を破壊するでしょう。ですが安心しなさい、破壊は終わりではないのです。祝福・・むしろ始まりなのです。
数多の散った罪、蹂躙された咎花の下からは、罪を知らぬ小さな蕾が芽吹くのです。血と骸の下で新しい秩序、創造が蠢き、世界の希望が芽吹くのです。
――そう。
破壊こそが愛、破壊こそが救済!、破壊こそが創造!!。
だからこそ私は歌い、叫び、笑い上げます。破壊の讃美歌を、死の調べを。血に塗れた舌で、声の限り・・狂喜と共に!。
ああ・・あああああ・・。聖女様・・私の聖女様、見ていてください・・!。
私は笑いながらに殺します、泣きながらに破壊します、穢れた血に体を染め上げ、踊るように全てを蹂躙します!
全ては世界のために……!
全ては聖女様のために……!
さあ、唱えよ。叫べよ。讃えよ――我らが聖女様を。尊い神の想いを。
捧げるのだ、破壊の讃美歌を。声が枯れ果てるまで世界に刻め、その歌を!血と涙の賛美を!!。
慈しみ深き破壊者となりて聖女様の導きに従い、破壊の讃美歌を歌い、この贖罪の旅路を行進するのです!。
全ては創造のために!、全ては再生のために・・!!。
あぁ・・。破壊とは、創造とは、なんて甘美で狂おしい響きだろう・・ッ!?。
罪を終わらせる終焉の鐘は、美しき世界の始まりの鐘。そうでしょ?、そう思うでしょ?。
哀れなる使命者・・アル・・。
あなたの名は、今ここで終わりを迎えた。
彼女が立つ灰色の空間は、もはや原形を留めていない。
壁も、床も鋭く裂け、めくれ上がった岩盤が荒々しく露出し、ただ混沌とした灰色の世界が広がっていた。
衝撃で巻き上げられた大量の粉塵が、未だに空気中を白く濁らせて漂う。 中央には砕け散った石の残骸が無秩序に積み重なり、アルと呼ばれた守護者の姿は、その瓦礫の山の中に跡形もなく消え失せていた。
彼が存在したという痕跡ごと、この破壊の潮流に飲み込まれ、塵へと還ったのだ。
ディアナは舞い上がる灰を身に受けながら、瓦礫の山の前に膝を折り祈りを捧げる。
さようならアル・・・道を間違えし使命者よ。これが
閉じた瞼の裏で、彼女はかつての守護者を弔う。
貴方は世界に根付いた、最も醜い、最も深い呪いの一部だった。
△
洞窟の入り口から差し込む夕暮れの光が私の背中を押し、私の体を前進させる。
洞窟の中に漂う重く湿った空気が肌に纏わりつき、この先に進むのを躊躇させようとするが・・そんなものでは私のこの疼きは止まらない。
地面を蹴り飛ばし、纏わりつく空気を風に変え、無理やり剥ぎ取り突き進む。
このどこまで続くか分からない洞窟の最深部に、あの女が言った「遺跡」はある。そこがゴールだ。
・・そこにいる。私を楽しませてくれる敵、ガキを連れ去った存在が・・。
地下へと進み、闇が光を呑みこむ。闇と光、静寂と鼓動。
全てが私を次なる戦いに誘う。心臓が痛いほど高鳴るこの感じ・・この昂りが私の喉奥を震わせる。
「・・この奥にいるんだろう・・?」
細道の向こうに、灰色の空間が広がっているのが見えた。まるで岩をくり抜いたような灰色一色の不気味な空間だ。
・・いつもの私なら、急に現れたその空間に警戒し、不用意に突っ込む前に一度は踏み止まるだろう。
・・だが生憎、今の私は違う。そんなことがどうでもよくなるほど求めてるんだよ・・!。
「なあ、化け物・・!?」
加速する脚、跳ねる体。脳裏を過るは1つだけ、灰色の向こうで待つ「敵」の存在っ!。
躊躇いはない、この心の赴くままに全速力で私は飛び込んだ・・この先に待つ灰色の戦場へ!。
勢いよく空間に躍り出た私は、そこで足を止めた。
「・・ここか、ここが洞窟の最深部。あの女の言う「遺跡」なのか・・?」
私が飛び込んだここは、壁も床も天井も、境界すら曖昧な灰色の世界だった。
地面は巨大な獣の爪で抉り取られたように鋭く抉られ、空気中に舞い上がった粉塵は未だに漂っている。周囲に散乱する石の残骸は無秩序に積み重なり、静寂の中で無言の証言者となっていた。
この場所がすでに一度、戦場として蹂躙されていると。つい先ほどまで、ここで何かが衝突しぶつかり合い、殺し合いをしていた事を。
熱冷めやらぬこの場の空気を感じ、自然と口角が緩む。
「・・どうやら、予想通り派手に戯れていたようだな」
形あるもの全てが砕かれたその中で、石の残骸が山のように積み重なった場所が視界に入る。それはまるで、戦いの果てに築かれた墓標。
そしてその瓦礫の墓標の前に膝を突き、静かに祈りを捧げる一つの背中が、そこにあった。
「・・そして残ったのは、クソ女か・・」
ローズは目を細め、笑みを浮かべると。その無防備な背中へ躊躇いなく歩みを進めた。
△
私は胸の前で静かに十字を切り、祈りを捧げる。
祈りとは、声ではなく意思。だからこそ口を閉ざすほどに意思は鋭くなり。内側からこの祈り《信仰》が燃え上がる。
「聖女様の御名にて、哀れな使命者を焼き払わん・・」
私の想いはいつしか、熱い吐息と共に口から漏れ出していた。
その低く小さな呟きに反応するように、残骸の墓標が震えると、音を立てて激しく燃え始めた。
「・・浄化の炎で、
積み上げられた墓標の山が、紅蓮の炎の中に消えゆくのを見て、私は目を閉じた。
哀れな使命者を天に返すこの「浄化の炎」は慈しみではない。私の胸の内で紡がれる祈り、想いは慈悲などではなく・・断罪。
・・どんなものにも平等に破壊を執行し。その存在全てを塵に変え、赤い
慈悲を装う、冷酷な業火だ。
「・・そろそろ終わったか、その敗者との別れは?」
「・・ええ、もう少しでこの哀れなるモノとの別れも終わります」
背中越しに感じる圧が。彼女の気配が私の鼓動を速める。
「・・すみませんが、この浄化の炎が収まるまで暫しお待ちを・・」
胸の中の高揚を、この想いを私は押し殺す。
・・焦ってはならない。私はまだ、聖なる務めを果たしているのだ
これは聖女様より賜った、私が聖徒としての「最後」の使命・・。
「これだけの
「・・そういう貴女の方も、随分と楽しめたのではないですか?どうでしたか、私が用意したあの可愛い聖徒は・・?」
咎を天へと帰す浄化の炎は墓標と共に消え去った。その場から何もかもが消え去り、全てが静かに収束するのを確認し終えると、その場で一度だけ深く息を吸う。
灰と熱の匂いが、心地よくも何処か寂しく私の鼻を衝いた。
祈りは終わり・・断罪は成った。
私は最後の使命を終わらせると、静かに立ち上がる。
「ちゃんと貴女をお持て成し出来たでしょうか?。破壊と浄化が織り成す美しい町並みを舞踏会場とし、貴女を満足させうるだけの踊りを共に踊れたでしょうか?摘み取られた花の中で・・ね・・」
私の問いかけに対する返答、それは嘲笑を含んだ低い声だった。
「・・「お前が用意」した・・か。ふっ、笑わせるな」
――感じる。背中越しに、圧が膨れ上がのを。
「悪いが、あんな化け物もどきじゃ私の踊り相手はつとまらないさ」
――感じる。背後から、待ちきれないと言わんばかりの熱視線を。
「・・まさか、あれで舞踏会は『終わり』なんて言わないだろ?。互いに足慣らしは済んだんだ。踊ってくれるんだろ、私と」
「・・もちろんです、そのために私も待っていたんですから・・貴女をね」
私は纏っていた長い髪を、ふわりと宙に躍らせながら静かに反転してみせた。
・・話に聞いた通りだ・・。
――短い白髪。
――マギの黒軍服。
――その身から放たれる剥き出しの闘争心。そして何よりもあの瞳・・獲物を悦び、闘争を求める醜き獣の眼光。
全てが揃っている。これ以上の証明は必要ない。
私はローズを視界に捉えると、カッと目を見開いた。
・・彼女が・・ローズ・・ッ!。
遂に、私の「影」は実態となり姿を現した・・。
・・これが、私の前に立とうとする悪夢・・。
・・聖女様の心に巣食うマギの魔導士・・深紅の魔女《ブラッディー・ローズ》・・!。
「・・待っていた、狂おしいほどこの時を待っていましたよ。深紅の魔女《ブラッディー・ローズ》さん・・。貴女と私の道が交わることを・・私は長らく待っていました・・」
湧き上がる興奮と共に、その悪夢はさらに鮮明に映る。
・・血と粉塵で汚れた顔、酷く破けた黒軍服。どうやら出迎えを任せた聖徒は、無事に消耗させるという役目を果たしたようですね。
これならば条件は五分、それならば・・。
私は溢れそうになるこの想いが零れ落ちないように、目を細めた。
「その姿、足慣らしにしては随分と力強く踊ってたようですね?。よかった、聖徒はちゃんとお持て成しできてたんですね・・赤い魔女様を」
彼女は私の言葉を聞き、暫く押し黙った後――表情を隠すように顔を俯け、その視線を外した。
「・・どういう訳か知らないが、お前は私の事を知っているようだな。更に私の事を知った上で・・こうも歓迎してくれたのか・・」
彼女は少し間を置き、ゆっくりと顔を上げる。
鋭い視線を向けてはいるが、その目とは裏腹に、唇の端には笑みを滲じませていた。
「・・助かるよ、話が速くて済むからな」
言い放つその声は低く、しかしどこか楽しげに震えていた。
張り詰めた空気が漂う灰色の空間で対峙する2人。静寂がその場を支配するなか、互いを見定めるような視線をぶつけ合い、この状況を窺い合う。
その時だった。彼女はふと、興が削がれたように視線を宙に彷徨わせ、頭を掻く仕草を見せる。
「・・チッ、そうだ。すっかり忘れるところだった。・・一応だが、聞いておくか」
彼女は面倒くさそうに吐き捨てると、思い出したように私を見る。その瞳に宿る熱は、少しも冷めていない。あくまで「ついで」と言わんばかりの態度だった。
「・・おい、お前が連れ去ったガキは何処だ?」
「その点は安心してください。彼女は今、私の背後にあるあの「扉」の中にいます」
「・・・扉か、そうか・・まあいいさ。正直に言うなんて思っていない。今は言わなくていいさ」
彼女は一瞬だが目線を私から外し確認すると。聞いた私がバカだったと言いたげに目を細めた。
そうでしょうね。私の背後に広がるは何もない空間。あるのは灰色の残骸のみで、扉どころか形あるものは何1つとしてこの場所には存在していないのですから。
――それに、彼女にとって少女のことは二の次なのでしょう。その証拠に、彼女は「扉がないこと」を追求すらせず、すぐに私へと興味を戻した。
その事実が、私の心を昂らせる。
・・私の全てを、あの温かさを「ついで」として扱うだと・・?。
衝動が、体内を駆け上がる。私はその
「死に際で良い、苦しみ藻掻きながらもう一度答えろ。その時に言えば・・すぐに殺してやる」
ローズは淡々と喋る言葉の中に、愉悦交じりの不快な感情を滲ませ、両手を隠す黒革の手袋の指先を口で噛み、引き抜いた。
手袋の内より現れる異形の双手、私はその醜き悪魔の手に眉をひそめる。
あの異様なまでに変化した悪魔の手。黒爪に宿った破滅の力・・話に聞いていたよりも想像以上に禍々しい・・・。
「さあ、始めようか・・クソ女」
「・・品性のない人ですね・・見るに堪えない・・」
「・・気取ったのは嫌いでな」
ゆっくりと、ローズがこちらへ歩みを進めてくる。地面に転がる岩の残骸を踏み砕き、笑みを浮かべながら一歩、また一歩と近づいてくる。
その姿を見ているだけで、私は抗えない感情が全身を駆け巡った。
私は彼女に遅れて歩き出す。足音に呼応するように、確かめるように一歩を踏み出すと、靴音が虚ろな灰色の世界に沈み込んだ。
「・・そういえば、私の自己紹介がまだでしたね?」
私が掌に魔力を集中させると、そこに小さな炎が生まれる。炎の粒子は指先で踊り、この身から赤き魔力が溢れ出る。
だがその一瞬、私は見逃さなかった。
この手に宿りし今は清らかに輝く紅の炎。その核の奥底に異色が混ざっているのを。魔力の発動直前、二つの
・・・これは。
「言わなくていいさ。これから死ぬ奴の名前なんかに興味はないんでな」
戦闘態勢に入ろうとする私を見て、低く愉しげな彼女の声が返ってくる。
その声が、炎の違和感に囚われかけた私の意識を、現実に引き戻した。
「・・・いいえ、言わせてください。貴女が胸に刻む最後の名前になるのですから」
私の言葉の終わりと共に互いの歩みが・・ピタリと同時に止まった。
「・・私の名前は、ディアナ。死ぬその時までのわずかな時間、どうか覚えておいてください」
「・・そうかよ。なら私の拳がお前を捉えるまでのそのわずかな間だけ覚えててやるさ・・クソ女」
「・・結構です、それならば貴女が死ぬそのときまで覚えていられますからね・・ローズ」
情熱と冷酷、交わる2つの視線。
対峙する2人が選んだ距離は互いの吐息が顔を撫でるほどの至近距離、腕を伸ばすだけで互いの心臓を握ることが出来る必殺の間合い。
この極限の静寂の中、唯一聞こえるのは、互いの小さな呼吸音だけだった。
「どうやら、考えてることは同じようだな」
ローズが悪魔の如き手を強く握り締め拳を作ると、掌に宿す暴力が軋み音を上げる。
「・・そのようで・・不愉快ではありますがね・・」
私は掌の中で魔力を練り上げる。浄化の炎を構成する魔力が小さくも激しく渦を巻き、もはや手の内には留めておけないほどに膨れ上がっていた。
・・このぶつかり合い、最初の一撃で・・・。
燃やし尽くすッ!《終わらせるッ!》。
互いの胸に宿した想いを理解した次の瞬間、体が意思とは関係なく動き出すのは必然だった。ローズもそうだ、同じタイミングで動き出していた。
私の掌の中で練り上げられた浄化の炎はこの時激しく燃え上がり、拳を包むと火の粉が乱舞する。
互いに疲弊した身、悠長な戦いをするだけの余力はない。
それならば狙うのは必然と一点のみ。小細工する気など最初からあるはずもない。その確固たる意思と共に真っすぐにこの腕を振り抜き、全力の一撃をもって短期決戦に挑む。
「灰燼に帰せ!、この浄化の炎によって!!」
「この一撃で、脳髄ぶちまけろよッ!!」
私達は視線をぶつけ合い、全力の拳を振り抜いた。
その一撃は風を裂き唸りを上げ、真っ直ぐに、一直線に憎むべきその顔を目指して伸びてゆく。
必殺の覚悟を乗せた両者の拳、何処までも似た一撃は必然と同じ軌道を描いた。
「業炎爆炎波ッ《フレイムシュート》!!」
「ガァァアアア゛ア゛ッ!!」
拳の奥底から魔力が迸ると、拳に纏う炎が爆発する。この身より生まれし浄化の炎は私の拳を火種として、この灰色の世界ごと焼き尽くすかのような爆炎へと姿を変えてゆく。
激しく燃え盛る浄化の炎。だが、その向こうに見えるローズの影はなんら恐れることもなく、自身が咆哮の勢いそのままに、この炎の中に向かって拳をねじ込んできていた。
「ハッ、これが灰燼に帰す炎だと・・」
拳と拳が衝突し、衝撃波と共に乾いた破裂音を響き渡らせた次の瞬間だった。
「あんまり笑わせるなよっ、クソ女ァッ!!」
ローズを飲みこみ燃やし尽くさんと、彼女に流れ込もうとした浄化の炎が彼女の拳圧によって無理やり抉じ開けられ、圧倒的な力と共に逆流してきた。
「そんなっ!、この拳の力は・・ッ!?」
ローズの拳から迸る力と衝撃波が、私の浄化の炎を正面から押し潰し、切り裂いていく。
「脆弱だなぁ!お前ご自慢の浄化の炎ってやつはッ!?」
荒れ狂う爆炎は散り散りに弾け、破片のように赤い残滓を撒き散らしながら宙に雲散していく。
「バカな、そんなことがあるわけ・・!?」
私の浄化の炎が・・・信仰が・・。聖徒としての全力が、こうも容易く押し返された・・!?。
これが・・これが、聖女様を惑わす醜悪なる者の力なのですか?これが刻印を刻んだ者の・・。
拳の先から伝わる痺れ、痛みと共に、全身の魔力が一瞬凍ったような感覚に襲われる。
「・・ぐう・・ッ!」
これはただの衝撃ではない、強大で純粋な暴力の権化だった。
その威力に顔が歪む。ぶつかり合った拳が弾け飛び、体勢は後ろへ大きく崩れる。頭部が視界から切り離されるように動き、無様にも天を仰いだ。
まずい・・、この状況で彼女から視線を切るのは・・!。
一瞬切れた視線を、首を捻って急いで戻す。
すると眼前には、もう既に追撃態勢に入っている彼女の姿があった。
「こんなもんじゃないだろ・・なぁ!」
――来る!
ローズが大きく体を捻った瞬間、腰から斜めに突き上げるようにして左腕が唸りを上げて振り抜かれる。
その形は拳ではない、真っ直ぐに伸びきったその手は鋭利な槍先そのものだった。
・・これは既に手ではない。ローズのその手が剛槍となり、私を貫こうと迫りくる。
この暴を・・真面には受けれない!。
私は迫りくる攻撃の圧を感じ、咄嗟に後ろによろめく体をそのまま反らせ、身体を弓なりにしならせる。
隙だらけの大振りの攻撃、この程度の攻めで・・ッ!
銀の長髪が垂れ地面に触れる。弧を描き反り返らせた私の体の上を滑る様にして、ローズの槍先が風切り音を鳴らし掠めていった。
まだだ、回避するだけでは甘い。私は反らした勢いを殺さず、そのまま背中から地面へと倒れ込み――両手を着いた瞬間に、バネのように身体を弾いた。
円を描くような後方回転蹴り《サマーソルトキック》。 死角からの一撃が、ローズの顎をカチ上げ、彼女を宙へと打ち上げた。
「ぐっ・・ッ!?」
足裏から伝わる感触が私に教える。完全に虚を突いた。今の一撃は無防備な顎を完璧に捕らえたと。
・・紛れもないチャンス、本来ならば一気に畳み掛けに行くべき場面。でも今の私には無理なのは明白、仕留めきれない・・。
宙に浮かぶ彼女を余所に、私はすぐさま後方へ大きくバックステップを踏み、間合いを取る。
安全圏まで下がり、最初の拳のぶつかり合い以降未だに痺れが残る右手に視線を移し、右手を握り締めた。
「拳が痺れて感覚がまだ戻らない・・馬鹿力が・・」
そう呟いた瞬間だ、小さくもはっきりと・・低く冷たい声が、私の鼓膜を震わせた。
「おいクソ女、戦いの最中で呆けてんじゃねえ・・」
「・・ッ!?」
――ありえない。ローズはまだ、射程外の地面に足が着いたばかりのはず。
慌てて視線を戻した私の目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。
・・舞い散る短い白髪の隙間から覗く鋭い眼光が、至近距離から私を射抜いていたのだ。
どうしてこうも近くにいる、どうしてこうも速く動ける・・!?。
私の目にはすでに攻撃の構えを取り、次の一撃を放とうとする彼女の姿がはっきりと、大きく映っていたのだ。
「楽しませろよ、殺し合いをなあッ!」
吐き捨てるような言葉。・・感じる、その言葉の奥にあるものは怒りではない。もっと深く・・もっと純粋なもの。
殺意よりも透明で、理性よりも鮮やかな感情・・「闘争本能」・・!。
空気を震わす踏み込みで、一瞬にして私の懐に飛び込んできたローズ。 その瞬間、彼女の闘争が巨大な
私の肉に喰らいつかんと迫りくる獰猛なる
集中しなければ、喰らいつかれる・・!。
この猛攻を前に私は攻める事を諦め、回避に専念する。
振るわれた腕の角度、その際の踏み込みから、次に来るであろう攻撃の軌道を読み切ると、最小限の体の動きで捌き、波状攻撃をいなしていく。
巻き上がる風にこの長い銀髪は舞乱れ。
今まで感じたこともないような圧力・・暴力の嵐。対処を少しでも間違え、この暴風に飲み込まれようものなら、一瞬にして骸に変えられる・・。
・・相手を「殺すため」の動き。・・いや、違う。あれは、戦いに生を見出した者の動き・・生きる実感を感じている者の動き。
己が生を削りながら、戦う事でしか生を感じられない。あまりにも醜い、生の軌跡・・。
・・あぁ、心の奥から湧き上がる。この暴力の風に肌が撫でられる度に、私のこの理性の仮面が罅割れていく。
理性の仮面の一部が剥がれ落ち、隙間から露わになる内なる本当の自分。そこには浄化の炎とはまた別の、奥底で燻るもう一つの火が見え隠れしていた。
そう、それは・・最初は小さな火種だった。だがローズの醜い闘争心に焚きつけられ、いつしか大きく燃え上がっていき、今では浄化の炎よりも激しく燃え盛り、割れた仮面の隙間から這い出てこようとしているのが自分でも分かった。
「・・ふざけるな」
私は今まで左右後ろへと下がりながらの回避に専念していたが、ここで初めて――前へ出ていた。
私は一瞬だが驚いた、体が次の行動を考えるよりも早く、内より噴き出すこの炎の勢いそのままに動き出していたからだ。
私は体を内へ捻り、全身の力を叩きつけるようにしてローズの懐に体当たりする。攻撃の勢いを殺すのと同時に、攻撃の間合いを潰していたのだった。
理にかなった行動、だがそれは今までの私が決して取る事は無い、泥臭くリスクのある行動。
・・私が、変わり始めている。
「・・チイッ!」
「・・お前みたいなみたいな醜い存在が・・何故・・聖女様に・・・?」
「何を訳の分からないことをごちゃごちゃ言ってんだよ、お前・・ッ!」
超至近距離で睨み合う私達の間には、もうわずかな隙間しか存在しない。互いの息が触れ合い、吐息の熱が交りあう。
「この程度で逃げれたと思うなよ、この距離もな・・私の距離なんだよッ!」
わずかな隙間――それさえ見逃さず、無理やりにローズは拳を振るおうとした。
私はもう知っている。彼女の力ならば拳一つ分の隙間さえあれば容易にこの心臓を撃ち抜けることなど、先のぶつかり合いの際に理解できていた。
私は息を止め身構えると、自らの意思を持ってしてこの攻防に挑んだ。
拳を交わすよりも先に、互いの額がぶつかり合う。鈍く乾いた衝突音と共に衝撃が脳天を貫き、遅れて拳のぶつかり合う音が辺りに響き渡る。
互いの一歩も引かない覚悟が、張り詰めた静寂を創り出した。
その静寂の底から、不快な音が這い上がる。
ミシミシ、ミシミシと何かが悲鳴をあげるような軋み音。その音の正体は両腕。腕の骨や関節、筋肉が。ローズの力に耐える音だった。
ローズと額や腕が触れ合っている箇所は魔力が高まり、冷たくも強固に・・聖徒としての戒律で保たれている。しかし、触れていない体幹の奥では抑圧された憎悪が熱を持ち流れ、吐き気を催すほどに脈打っている。
それらの音はまるで、体の内より私に囁きかける、本能の声のようだった。
「その偽りの仮面を取り去れ」、「何故そこまでして苦しむ必要がある?」。「心より湧き上がるこの醜き本性、「咎の炎」に身を任せ、偽りの炎を塗り替えろ」。
肉体が、
・・そんな事は、ローズと向かい合った瞬間から分かっていた。浄化の炎はこの戦いに、私自身が挑むこの戦いの枷になると。
最初の拳のぶつかり合いで、勝つためには聖徒では無理なんだと理解させられた。聖徒としての仮面は、私を苦しめ楔になるだけだと。
この内より湧き出る「咎の炎」は、聖徒としての力である「浄化の炎」とは相反するもの。
心が反応する相手とは、聖徒として戦えない。浄化の炎と相反するもう一方の咎の炎が、戦いの邪魔をしてしまうからだ。
だがそれでも、私は聖徒として戦いたかった。
私にとって、これが聖女様との始まりでもあり、唯一の繋がりだったから・・。
聖女様――。
私が聖女様を意識したその時だった、聖女様のあの嬉しそうな・・美しい残酷な声が、心の奥底から炎と共に蘇った。
――私の大切な・・・「お気に入り」・・・。
・・そうだ。あの時、私は・・!。
溢れ出る感情に目が押し開かれ、脈打つ鼓動が悲鳴のように速くなる。
「・・なぜこの女が・・選ばれる・・?なんで聖女様の瞳は私ではなく・・この女を・・映す・・!」
「・・・ッ!?。こいつ・・」
・・ふざけるな・・ふざけるなっ!。
声にならない心の叫びは慟哭よりも鋭く、体中を駆け巡る。
激突した額から血が伝う。それは引き寄せられたかのように、未だ重ね合う額の間で混ざり合うと。互いの視線の火花を赤く染めていく。
「ハハッ!、良い目してるよお前。さっきまでの気取った顔よりよっぽどいい・・!」
血は赤い線を引いて滴り落ちる。胸の間で互いの拳を受け止め合い、クロスする互いの腕の上にぽつり、ぽつりと。
それはまるで呪いの契約のように、二人を結びつけているようだった。
「私の心は・・お前への想いで燃えている。この心の奥より噴き出す穢れた咎の炎が、私をあの頃の「咎人」へと還していく・・」
「その気取った姿が上辺だけだってのは最初から分かっていたさ。常にこの感情を向けられているいる私だから気付ける。お前の瞳の奥に見える・・炎の正体を!」
ローズの眼光が深く、感情の核心を射抜く。
「・・今まで見て来た奴等が可愛く見えるぜ。どうやらお前も相当なようだな、――燃えてるんだろ?心の中で私に対する「憎悪の炎」が!さっきの言葉で分かったよ。嫉妬してるんだろ?ガキみたいによお!?」
「それ以上・・囀るな・・・!!」
怒りは力へと変わる。両手をぐっと締め、クロスしたまま握り続けるローズの手を離すまいと、必死に力を込め拘束する。
もう迷いはない――汗と血と魔力が混ざり合い、微かな間合いの一点に渦を巻くようにして魔力の炎が集まっていく。
「・・聖女様、貴女の与えてくださった光を、私は今――自らの咎で染め直します・・!」
その言葉と共に心臓がドクンと、一際大きく嫌な音を立てて脈打った。
「聖女様・・聖女様・・!。・・願わくばあの時の様に、私を・・!」
「これは・・!まさか・・っ!?」
その光景に、闘争に喜ぶローズの顔が歪む。
二人の間で魔力の炎球が蠢き、大地を震わす光が走る。熱が周囲の空気を揺らし、肌が焼けるような感覚が脈打つ。二人の間のわずかな隙間は、もはや死地。凝縮された破滅が臨界点を超えようとしている。
「クソッ!、こいつ、自分事・・!?」
彼女が拘束を振りほどこうとするが、もう無駄だ・・。
私の声がかき消される前に、絞り出すように叫んだ。
「これが私の聖徒としての最後の一撃ッ!聖火よ!、穢れを呑みこみ、咎を焼け・・!。殉教業火!!《ヴァニッシュメント・フレア》」
僅かな隙間に集約された炎が膨張し、空間そのものが悲鳴をあげた。
地を砕く衝撃波が円を描いて走り、焦げた空気が暴風となって逆巻くと、爆発音と共に二人は炎の渦の中に吞み込まれる。
そして次の瞬間、世界は光と共に白く塗り潰された。
聖徒としての誇り、清廉な誓い・・。それらが光と共に音を立てて崩れ去ると、心から燃え上がる炎がおぞましくも甘美な、一つの想いで全身を満たしていく。
ああ、なんて・・なんて心地が良いのだろう。
・・全てを消し去る破壊の光。この衝撃と光が、気高き聖徒としての仮面を打ち砕き、その下に眠る醜き本来の私を――呼び覚ます。
△
・・来る、奴の捨て身の一撃がッ!。
そう覚悟した次の瞬間、奴が生みだした炎球が弾けた。
視界を焼く白光が全てを塗り潰し、光の内より現れる業火と衝撃が空間を歪ませ、世界から一切の音が消え去った。
炎の中心から放たれた衝撃が、空気を押し裂きながら広がっていく。痛みと共に、私の体は爆炎の奔流の中から吹き飛ばされた。
あぁ・・瓦礫がぶつかりながら宙に散っているのが見える。その中で無数に舞い上がるあの赤く光っている粒は・・私の血か・・?。
それらはまるで時間が凍りついたかのように、血も、破片も、全てが虚空に張り付いたまま留まっていた。
・・自爆覚悟の捨て身の一撃・・これで終わりか・・。
戦いの終わりを悟り、この身を爆風に任せようとした、その時だ。
腕が、無意識のうちに前方へと伸びた。指先が何かを掴もうと、微かに震えているのが視界に入った。
・・なんだ、何に反応している・・?。
脳は「終わり」を告げているのに、体は・・本能はまだ「終わっていないと」と私に言っている。
私は閉じかけた重い瞼をこじ開け、指先が指し示す先へと視線を移す。
・・アレは・・!?
この掴もうとする指先の向こうに・・奴がいた。
全てが吹き飛ぶ爆発の中心部。
衝撃と共に弾け飛ぶ熱風の中で、そいつは静かに立っていた。
まるでこの爆風がそよ風だと言わんばかりに立ち尽くし、悠然と下を向いているのが見えた。
・・ハッ、私はとんだ思い違いをしていた。
この攻撃は捨て身の一撃なんかじゃない。元より・・私への「攻撃」ですらない・・。
これは、奴にとってただの魔力の解放・・!。
その事実を認識したと同時に、混濁していた意識がカッと覚醒する。
そして、それと同時に――。
ドオオォォォォォォンッ!!
止まっていた世界が、轟音と共に一気に息を吹き返した。
爆音が炸裂し、砂塵が巻き上がる。爆風に煽られた私の体は勢いよく地面に叩きつけられながら、凄い勢いで後方に吹き飛ばされる。
戦いのフェーズが変わった。この戦い・・これからが始まりだ・・。
それなのに・・よォッ!。
「・・こんな楽しみが目の前で待っているのに、いつまでも寝ていられるかよッ!!」
激しく地面に叩きつけられ、回転しながらも腕を振り上げた。
「さっさと、止まりやがれえええぇぇ!」
この勢いを殺すため、腕を地面へと打ち付ける!。
腕に衝撃が走った瞬間、岩を砕く轟音が空気を裂き、拳が硬質な地面に沈み込む。
砕け散る石片と共に腕は容易に地中へと食い込んでいき、硬質な地面は波打つように砕けて盛り上がった。
「ガアアァァアアアッ!」
この焦がれる心は咆哮となり、口から吐きだされる。
轟音と共に灰色の地面は砕かれ、巻き上がる粉塵の中で一本の深い溝が刻まれる。それは抗いながらも引きずられた、執念の爪痕。
勢いに負けて体が弾かれ、地面を転がりそうになるたびに拳が抜けてしまう。だが私は、抜けるたびにすぐさま拳を叩き込み、無理やりに大地へ喰らいついた。
隆起する灰色の線は、さらに濃く、深く、抉れていく。
「止まりやがれ・・」
歯を食いしばり、喉の奥でうなり声が漏れる。粉塵と瓦礫が頬を打ち、私の気持ちをはやらせる。
口の中に広がる、鉄錆びた血と砂利の味。その不快感が逆に体を熱くさせ、全身を蝕む痛みを忘れさせてくれるッ!
「いい加減にしろっ!・・早く、止まりやがれえぇ!!」
苛立つ叫び声を上げながら、私は空いているもう片方の腕を勢いのまま大地へ突き刺し、四つん這いの姿勢で岩盤を深々と削り取る。
「・・・醜い」
そのローズの姿を、俯きつつも上目遣いに見つめながら。ディアナは小さくも無機質な声を漏らした。
――あれは、人間ではない。
目に映るあの抗う者の姿は、人の姿をした獣そのもの。地を裂き、岩を砕き、己の肉を削り。ただ無様に・・己が本能に従い。猛り、狂い、暴れているだけの・・醜き獣。
「どうして・・どうしてそんな穢れた存在が、聖女様に・・」
どうしてこんなものが?聖女様のあの清らかな心に・・?
この、穢れ、狂った存在が――私の上に・・?
次の瞬間――地面を削る灰色の線が止まった。
「はあはあ・・、クソ女・・ッ!」
考えるよりも先に、体が動いていた。
足裏を地面に叩きつけ、両腕で地を抉り、爆発するように突き進む。
収まりつつある熱風を引き裂き、砕けた地面の破片が爆ぜる中で、ただ一点を見つめる。
「楽しもうぜええええ!!」
・・この存在を・・・消す・・
疾走する中、静かに俯いた顔を上げる奴と視線が交わる。
その目は遠くからでもはっきりと見えた。無くした表情の奥、虚ろな瞳に宿るのは――もはや憎悪ではない。
燃え尽きた激情の残滓、その奥に沈むのはどこまでも深く、底知れぬ闇。
その顔は、「私は地獄の底を見てきた」とでも言いたげな、そんなしけたツラをしていやがった。
逸っていた身体が無意識のうちに、まるで鎖に繋がれたかのようにその場で急停止していた。
理由は分からない、だがこの身体が、奴に近づくことを拒絶したのだ。
「聖女様・・・・私の聖女様の中から・・・」
落胆にも似た冷えきった声と共に奴の身体から、魔力が溢れ出す。
「ッ、・・これは!」
溢れ出す魔力の奔流。それはまるで、奴の背から大きな翼が生えているかのような光景だった。
一見すれば、燃え盛る赤き炎の翼。だが――それは違った。
見て取れるのは、明らかなる魔力の変質。奴の背で一瞬、荒れ狂っていた赤き炎が、内側から溢れ出すおぞましくも美しい「別の色」によって、急速に塗り潰されていく。
赤が、ドロリとした執念の色に侵食され、混ざり合い――そして完全に染まりきった。
「・・そうだ、これだ・・私が待っていたのは!」
赤を破り現れるは緑のオーロラを思わせるような、美しくも冷たい
緑色の翼。それは目の前で、大きく羽ばたいた。
翼が空気を打ち、巻き上げられた風が私の肌に触れると、まるで極寒の風を浴びたかのように皮膚が引き攣った。口から吐き出される熱い息が、一瞬で白く凍てつくかのような錯覚を覚えた。
・・これだ――この威圧感だ・・ッ!。
奴が放つその禍々しい魔力の
「・・・私は、分かっていました。祈りよりも、願いよりも。 誰かを呪い、妬む心の方が・・・この私には遥かに馴染むということを・・それが私の・・
空虚な表情を、一筋の雫が伝う。それは虚ろな瞳から溢れた涙。だが不思議とその表情のない顔が私には――恍惚に浸る喜びの顔に見えた。
・・吹っ切れたこいつは、どうやら想像以上に私と似ているようだ。
「・・良い狂いかたしてるよお前、これは想像以上に楽しくなりそうだ」
・・そうだ、その感情は何度目を逸らそうとしても決して許さず、無理やりこちらを振り向かせ、人の本能に問いかけてくる。
おぞましい「死」という名の概念の化け物――。
内に隠した化け物が、本性を現したな・・ディアナッ!!
「・・・狂っているだと?、私が・・?」
自身に向けられるこの圧倒的な威圧感が心地よく感じる。
いつ以来だ――この死の瀬戸際に立つ恍惚感。
恐怖していないのに、この体が震える感覚。久しぶりに味わうこの感覚に、顔も自然とほころんでいた。
「お前と同じ・・だと・・?」
奴が顔を片手で覆い、くぐもった声を漏らしながら体を前に倒した、その瞬間。奴のツラを隠すその長い銀髪が、突如として舞い上がり、激しく乱れ狂った。
そして――次の瞬間だった。
奴の背の翼が弾け飛ぶように形を崩すと、無数の「羽吹雪」となり、渦を巻いて吹き荒れた。
奴を中心に吹き荒れる魔力の羽吹雪。その羽に触れると本能が反応し体が強張り、血の気が引き、肌が粟立つ。石の残骸を巻き上げ吹き荒れる羽吹雪に、低く小さな唸り声が漏れた。
「ッ!?。・・この肌を焼くような、感覚を麻痺させるほどの凄烈な風は・・!」
その美しい緑の羽が一枚、私の頬に触れた瞬間――ぱっくりと肉が裂ける感覚と共に、傷口から体内に寒気が走る。
「ぐうっ!?」
腰を落とし、両腕で顔をかばい風を遮った。
「この感覚・・、まさかこの羽は・・ッ!?」
辺りの残骸を吹き飛ばしながら渦巻く魔力の風。その中で舞い踊る羽は次々にこの肌を切り裂く「感触」を与えてくる。
「やはりそうだ・・!。肌の裂ける感覚、体内を駆け巡る寒気を感じさせる。だけどそこに痛みが無い、傷を負ってはいない・・!これは・・外で受けたのと同じ殺気の刃・・ぐうううっ!?」
容赦なくこの身を切り刻む回避不能の幻想の刃。
どうすることも出来ないこの地獄のような感覚に、唸り声を上げる事しかできなかった。
「・・・その苦しむ声が・・・涼しく心地いい。・・この憎しみの業火に燃やされ・・膿み爛れた心には・・・」
「ふざけたこと言ってんじゃねえ!。この唸り声は、この苦しむ声は・・歓喜の叫びなんだよクソ女ッ!・・感謝するよ、お前のおかげで私はまた一歩、アイツのいる舞台に近づけるんだからよお!!」
「・・ローズ・・お前に次はない・・私の影はここで・・消えるんだ・・・」
私の呻き・・いや、歓喜の声に奴は反応した。途切れ途切れに言葉を最後まで呟くと、私の体を襲う殺意の風はピタリと、一瞬のうちに収まった。
それは突如として訪れた静寂。奴の強烈な魔力と殺気に当てられたせいで、私の体の感覚が鈍り、何も感じ取れないでいた。
暗闇の中で感じるこの異様な時間が、「嵐の前の静けさ」だと思えた瞬間。あんなにも昂揚していた心が・・いつの間にか冷たく静まっていた。
・・一体、どうなってやがる?。
白く荒い息を吐きながら、視界を塞ぐ腕を下ろして前を見る。
するとそこには、なおも腰を折り、俯いたまま動かないでいる奴の姿があった。
この冷たい緊張感――それが嫌でも私に分からせる。
「・・・ここからは、今までのような・・戯れではない・・」
感情を欠いた、かすれた声。小さく発せられたその声が、恐ろしいまでにこの耳にはっきりと聞こえてきた。
「ローズ・・その生きた証・・・一片の欠片も・・残さない・・・」
ゆっくりと姿勢を起こし、こちらを見据えるクソ女の表情を見て、私はいつの間にかゴクリと息を飲んでいた。
そのしけたツラは、人としての全ての感情を削ぎ落とし、ただ冷たい虚無を宿して静かにこちらを見つめていた。
「・・どうしたの・・さっきまでの余裕は・・・笑みは・・。私に虚勢を張らなくて・・自身を奮い立たせなくていいの?。・・そうしなければ・・その絶望の震えは止まらないのではないのですか・・」
「・・チッ、何が絶望だよ?ぬかしやがれ。・・勘違いするな、嬉しくて震えてくるんだよ・・・!」
――くそっ、ムカつくが奴の言う通りだ。私の膝が笑っているのは、武者震いなんかじゃない。
「・・・そう・・・それでいいんです。・・抗え・・抗い苦しみ悶え死ね・・それが私に成り代わろうとしたお前の償い・・」
――分からされたからだ。私の肉体を満たしていたあの燃え焦がすほどの昂揚感が・・急速に抜け落ちていった理由を。
「私を咎に堕落させ・・聖女様を失望させた。・・・私の心を慰める・・唯一の救済・・・・希望・・」
――仮面の下から狂気を引きずり現れた、この「死の使い」・・・いや、そんな生温いもんじゃない。
目の前にいるこの「死神」に、恐怖を思い起こさせられたからなんだ・・。
こいつは――私の死そのものだ。
対峙するディアナの右手が眩いばかりに光り輝く。
私は思わず息を呑んだ。――奴の唇が、微かに動いた。
「赦しはもうない、救いもない。我が罪よ――咎よ、形を持ってこの心焦がす存在を消し去り。その血をもって我が心を慰めよ」
低く掠れた声が静寂の中で響いたその瞬間、辺りの空気が一斉に収縮し、目に見えぬ力が地面に亀裂を走らせる。
「これは・・詠唱ッ!?」
奴の魔力が光となり集まり、その右腕に流れ込む。
くそっ、こんな光景を見せられたら、さっきまでの私ならこの身を感情に任せ攻めていただろう。この身に刻んだこの刻印と、私の中で滾る闘争本能で蛮勇を振るっていただろう。
だが今は違う。こいつの顔が私を変えた。私の熱くなる頭に恐怖の冷や水を被せ、安易に死の淵に立つことを躊躇わせやがる。
私は息を殺し、警戒しながらその一挙一動を見つめる。
「来たれ、我が憎しみの魔力・・」
奴は私が睨むその視線の先で、悠々と光を纏う右手の拳を胸の前まで持ち上げ、人差し指を私に向けて突きつけた。
「咎の炎よ――」
そしてその瞬間、右手全体を覆っていた光が螺旋を描きながら指先へと流れ、集中していく。
「・・来るかっ!」
奴の魔法が来る。私は高まる魔力の波動に無意識に地を踏みしめ、全身の力を込めて構える。
「ヘイトレッド、今ここに顕現せよ・・!」
だが次の瞬間、私の予想は外された。ディアナは伸ばした腕をそのままに大きく横へと振り払ったのだった。
振り払われた指先から紡がれる一筋の光の線。
それはまるで空中に刃で裂かれたように、真っ直ぐに走る。
攻撃でも防御でもない、光はただそこに「存在している」。空間そのものを切り裂いたかのような静謐な輝きだった。
「・・・これは、攻撃じゃない?あの魔法は・・なんだ・・?」
初めて見る光景に思考が追いつかないが、ただひとつわかることがある。
あれほどの魔力を練り上げて何も起こらない――そんなはずがないという事だ。
疑念が胸を満たす中、ディアナが静かに口を開いた。
「・・そう・・ただの魔法ではない・・・」
淡く浮かぶ一本の光線。その輝きに、奴はゆっくりと右手を伸ばした。
「ヘイトレッド・・それは私の・・・武器・・・」
「・・なにっ!?」
輝く光線の端を握ると奴は勢いよく光を天に掲げる。すると光線は自身を包んでいた輝きを、まるでダイヤモンドダストのように四散させながら上空へ舞い上げ、その光の内に隠す本来の姿を露わにした。
「・・・魔法の光が・・」
鋭く尖った切っ先、長く美しい細身の刀身。装飾などで飾られる事なく、銀一色の無機質な色だけが支配する。それはただひとつの目的を遂行するための美しい姿を晒している。
「剣に、変わった・・!?」
天に掲げられたそれは――銀色の細剣だった。
「・・・私が抱く想い《憎悪》で練り上げ、作り上げた魔剣。・・この黒く爛れた醜い心の写し鏡でもあるこの剣の名前こそが――
ディアナの右手が力強く剣を握り締めたその瞬間、剣身の表面から緑炎が噴き出し、剣身を一瞬にして飲み込んだ。
「・・この剣こそが相応しい、貴女を消すには・・・この剣でなければいけない」
ディアナはゆっくりと刃先を地面へと静かに下げた。その所作には一切の無駄がなく、音を立てずに空気だけを震えさせる。
「ここからは虐殺・・一方的な蹂躙・・。私の心を燃やす、この憎悪の業火で燃え尽きろ・・ローズ・・・」
聖者の行進 @nico1nico1nico
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。聖者の行進の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
近況ノート
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます