第30話 妹について
三津原詩織視点
「そういえばこれって――同人誌だよね? こんなものも持ってたんだ?」
軽い気持ちで声をかけたつもりだった。けれど、新くんの動きがぴたりと止まり、ちょっとバツの悪そうな顔で目を逸らす。その仕草に、思わず首を傾げた。
「あぁ、それは妹のだよ?」
「えっ、妹さんいたんだね? ……妹さんの持ち物が、なんでこんなところに?」
「いや、これ妹が描いたんだよ」
「え、これを!?」
思わず声が上ずってしまう。手にしたのは、可愛らしく整った表紙の同人誌。キャラクターの線は柔らかく、色遣いも優しくて、どこか“描き手の好き”が伝わってくるような一冊。まさかそれが、高校生の女の子の手によるものだなんて。
「ああ、うちの母親が漫画家でさ。妹も小さいころから母の真似して描いてて。気づいたら、自分で話作って本まで作るようになってた」
「すごいね、妹さん……」
私は思わず感嘆の息を漏らす。線の一本一本から、描き手の“好き”がにじみ出ている。それがまさか知り合いの妹の手によるものだということに、不思議な感動すら覚えた。
「妹って言っても、双子だけどね」
「双子!? じゃあ……顔も似てるの?」
「まあ、そこそこ。性格は全然違うけどな」
新くんが少し照れたように笑う。そんな様子が、なんだかちょっと微笑ましくて、つられて私も笑ってしまった。
「そういえば、なんで同じ高校には来なかったの? うちの学校って文系の部活も強いし、創作活動にも合ってそうだったのに」
「俺も勧めたんだけどな。あんまり気乗りしなかったみたいで。結局、実家に近い高校を選んだよ。たぶん、一人で気楽に描ける方が合ってるんじゃないかな」
「なるほどね、わかる気がする。好きなものって、好きなタイミングでやりたいもんね」
誰にも急かされず、評価を気にせず、自分の“好き”に向き合う時間。それがどれだけ大事か、私も少しはわかる気がした。
「締め切りとか、大変そうだしね」
そう言うと、新くんは少し懐かしそうな表情を浮かべた。
「……母さんもよく徹夜で描いてた。夜中に目覚めるとリビングの明かりがついててさ。机の上に原稿が積まれてて、横で母さんがペン持って寝てたりして。よく出版社の人が来てたよ。今思えば、あれが“修羅場”ってやつだったんだろうな」
「そっか……漫画家の家庭って、なんだか現場そのものだね」
私には想像もできない日常。だけど、それでもどこか温かくて、家族の中心に“漫画”がある暮らしって、ちょっと素敵だなって思った。
「妹さん、今でも描いてるんでしょ?」
「たぶん今、新刊作ってるんじゃないかな。恐らく夏に出すと思うよ」
「え、コミケに出すの?」
「うん、たぶん。今年はサークルとして応募したって言ってたから」
私は手にしていた同人誌をそっとページの途中までめくってから、丁寧に元の位置に戻した。手触りと、インクの香りがどこか心地いい。
「……あとで、ほかのも読んでもいい?」
「読者が増えて、妹も喜ぶよ」
「ふふっ……妹さん思いだね」
そうつぶやいた声は、私の中でも少し不意打ちだった。口にしてから、なんとなく胸のあたりがぽかぽかしてくる。
彼が気づいたかどうかは、わからない。
でも、こうして話している時間が、なんだかとても心地よくて。
――きっとこれは、私にとっても“いい時間”だった。
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