第24話 人の心

──千町結花視点


「恋かな?」


カウンター越しに詩織を見つめながら、私は心の中でそっと笑った。


普段なら、ほんの少し影を引きずったように見える彼女が、今日は肩の力が抜けていて、まるで憑き物が落ちたみたいだった。


(朝宮君……上手くやったみたいだね)


ほっとした気持ちと、どこかくすぐったいような嬉しさが胸に広がる。


(……青春だなぁ)


思わず、口元が緩む。


店内はもう閉店時間を過ぎ、片付けもほとんど終わっていた。


だから私は、カウンター越しに手を振って声をかけた。


「詩織、ちょっといい?」


「どうしました? 結花さん」


首をかしげる彼女は、昔から変わらない。

小さい頃からずっと見守ってきた、強がりで、でも本当はとても繊細な、愛しい“妹”みたいな子。


「新君と……何か進展でもあった?」


「進展?」


一瞬きょとんとした後、詩織はふわっと笑みを浮かべた。


「ああ、そうなんですよ……」


(あ、これは間違いないな)


「……へぇ。ちゃんと話せたんだ?」


「はい。……朝宮君に、“もう少しだけそばにいてください”ってお願いしたんです」


「おおお……大胆じゃない?」


「ち、違いますよ!? そ、そういう意味じゃなくて……!

私、人に頼るのが苦手だから、練習させてもらえたらって話で……!

それに新君だって、私みたいなのよりきっと、他にいい人がいますって……」


必死に手を振る詩織の姿に、私はつい、くすっと笑ってしまった。


(まったく……ほんと、からかいがいがあるんだから)


「そうだねぇ。もしかしたら、もう“いい人”が居るかもしれないね?」


「……え?」


「そりゃそうでしょう? 花の高校生なんだから、彼女の一人や二人いないなんてこと、ないよ?

私もその頃は告白なんて、数えられないくらいされてたしね」


「う、うぅ……なんか、複雑な気持ち……」


しょんぼりした表情の詩織が面白くて、私はにやっと笑った。


「なんてね。

ほら、お客さんが来てもそんな不貞腐れた顔するなら──次は猫耳メイドになってもらうからね?」


「猫耳!?」


「そうそう。写真撮って、新君にも送ってあげるよ」


「ちょ、ちょっと待ってください! なんで朝宮君の連絡先を結花さんが持ってるんですか!?」


「そりゃあ、たまにからかって遊んでるし。え、詩織、連絡先交換してないの?」


「……っ! そ、それは……その……」


「はー……花の女子高生……」


「な、なんですかその同情のまなざしは!!」


詩織が慌てて身を乗り出してきて、笑いをこらえるのが大変だった。


(ほんとにもう……かわいいなぁ)


「ちなみにね、小鞠ちゃんも前に遊びに来たとき、しれっと新君と連絡先交換してたみたいだよ?」


「──えっ!? 小鞠まで!?」


「……まさか、詩織はまだ交換してない……なんてこと、ないよねぇ?」


「そ、そんなことあるわけないじゃないですか……!?」


「そっかそっかぁ。なら、嘘だったら猫耳メイド姿だね?」


「えっ」


「詩織ちゃんは、嘘をつかないいい子だもんねぇ〜」


「う、うぅ……やめてください、その……温かく我が子を見守るようなまなざし!」


「だって親代わりだし?」


「そ、それは……確かにそうですけど!!」


詩織の反論はだんだん弱くなり、顔は真っ赤だった。


(……でも)


心の奥では、じんわりと温かさが広がっていた。


詩織がこうして誰かに照れて、誰かを気にして、誰かのことで心を揺らす。

それは、私にとって何よりも嬉しいことだ。


昔の詩織は、小鞠を守るために、ずっと背伸びして、背負ってばかりだった。

でも、今の詩織は──少しずつ、等身大の女の子に戻れている。


(……よかったね、詩織。これからだね)


「……でもまあ、今のうちに言っとくけど、

私が新君に“猫耳メイド詩織”の写真を送ったときの彼の反応、楽しみにしてるからね?」


「結花さーん!!」


詩織が真っ赤になって身を乗り出す。


私は思わず笑ってしまった。


(ほんと、青春っていいねぇ)


カウンター越しのこの場所は、

いつだって家族みたいな笑顔が集まる場所であってほしい。


私はそう、密かに思いながら、

目の前のかわいい“妹”を、そっと見守り続けていた。

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