5-11 もう、君の魂は限界だ
革靴の音が、乾いた廊下に響いた。
足早に駆けるその足取りは、いつになく鋭い。
風に揺れる白衣の裾。微かに漂うのは、あのいつもの香り——
けれど、今日はどこか苦かった。
斎賀ユウマは、異変を察知していた。
彼が辿り着いた体育館裏には、あまりに静かな、異様な光景が広がっていた。
血の色。
崩れ落ちた少女。
泣きも叫びもせず、ただ震えるしかない少女。
そして、その肩を抱きしめる少年。
斎賀の眉が、珍しくわずかに歪む。
「……朝霧さん……」
低く呟いた声に、感情の揺れがにじむ。
けれどその一瞬をのみ込み、彼は深く息を吐くと、目の奥にいつもの鋭さを取り戻す。
——見えている。
この場に漂うのは、ただの事故ではない。
空気の“層”が乱れている。魂の流れが、明らかにおかしい。
ユイの胸元で揺れるペンダントに視線を落とす。
それは、赤黒く明滅しながら、まるで今も“呼吸”をしているようだった。
(……来てしまったか。限界が)
斎賀はリョウのもとへ駆け寄ると、躊躇なく腕をとり、タオルを巻いて止血を始める。
巻きながら、静かに告げる。
「動かさなければ大丈夫。腱も、太い血管もかすってない」
「呼吸、整えて。……大丈夫、守ったね」
その言葉に、リョウは痛みを堪えながらも、小さく頷く。
彼の腕の中には、力の抜けたユイがいる。もう、何も話そうとしなかった。
斎賀はふたりの姿を見つめ、ふとユイのペンダントに視線を戻す。
そして、独り言のように呟いた。
「……それ、もう“鍵”じゃないよ。朝霧さん」
「君の魂、もう持ちきれないところまで来てる。過去を繰り返すたびに、何かを失ってる。……君は、気づいてるはずだ」
ペンダントは、呼応するように微かに熱を持つ。
ユイはその言葉に、答えることもできず、ただうつむいたまま、無言でそれを感じていた。
沈黙の中で、斎賀はゆっくりとリョウに目を向ける。
その視線は、問いかけるように、探るように。
(君が……継ぐのか?)
声には出さない。ただ、目で語る。
リョウは何も言わず、ユイを抱く腕に少しだけ力を込めた。
誰も、答えを口にしない。
けれど、確かに何かが、動き始めていた。
遠くで先生たちと生徒の足音、叫び声、怒号が近づいてくる。それでもこの場だけは、ひとつの密室のように、静かだった。
最後に、ペンダントの光がふっと弱まり、鼓動が止まった。
それは、“この世界線が限界を迎えた”という、静かな合図だった。
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