5-10 それでも、止めたかった

悲鳴が、裂けるように響いた。


「ぎゃあああああっ!!」


体育館裏の空気が、一気に凍りついた。

遅れて、サヤカの取り巻きたちの叫び声が重なる。


「ちょっ……やばくない!?」

「やだ…やだっ!サヤカちゃん!!!」

「誰か、先生呼んで!!」


その声は廊下の奥にまで届いた。

それを聞いた瞬間、リョウは全身が逆立つような感覚に襲われた。


(嫌な音だ……)


(……走れ)


走れ。走れ。今すぐ——!


リョウは全力で駆け出した。

心臓が、爆音のように打ち鳴らされる。喉が焼ける。けれど止まれない。


(ユイさん……)


脳裏に浮かんだのは、あの笑顔だった。

夏の日のような、あたたかくて、少し照れたような笑顔。


その笑顔と、今聞いた悲鳴が、交互に重なっていく。


(どうか、間に合ってくれ——)



辿り着いた体育館裏で、リョウの足が止まった。


そこには、地面に崩れ落ちたサヤカと、彼女に覆いかぶさるユイの姿。

ユイの手にはカッター。刃先には、確かな“赤”。


サヤカの制服は裂け、胸元から血がにじみ出ていた。


「っ……ユイ、さん……!?」


リョウの声に、ユイの肩が小さく震える。

でもその瞳は虚ろで、焦点が合っていない。

涙を流しているのに、どこを見ているのかすらわからない。


(違う……これは、何かが、おかしい)


リョウは迷わず駆け寄った。

サヤカの命が危ない。それ以上に、ユイが壊れていく気がした。


「やめて……っ!ユイさん!!」


リョウは背後から、ユイの手を抱きしめるようにして押さえ込んだ。


——その瞬間だった。


ズチュッ。


鋭い痛みが、左腕を突き抜けた。


「っ……く、うぅ……!」


刃が深く、肉を裂いていた。けれどリョウは叫ばなかった。

そのまま、傷口を押さえることなく、ユイの肩を強く抱きしめた。


「もういい……ユイさん、やめよう……!」


「大丈夫だから……!僕が、ここにいるから……!」


血が、リョウの腕を伝って滴り落ちていく。


それでも彼は離さなかった。ユイの背に手を回し、ぶつけるように言葉を重ねる。


「怖かったよね……苦しかったよね……!」


「でも、もう大丈夫だから……!止まって……お願い……!」


時間が、ふっと静かになる。


ようやく、ユイの瞳がリョウに焦点を合わせた。

その目に映ったのは、血だらけの自分、リョウの傷、そして震える手。


「……いや……なんで……リョウくんが……」


ユイの声はかすれていた。


すべてが、現実に戻ってくる。


世界のノイズが収束し、ペンダントが小さく「カチッ」と音を立てた。

まるで、“いったんここで終わり”と告げるように。


ユイの顔が、崩れ落ちるように泣き出す寸前の顔になった。


この時、誰もが気づいていなかった。

これが“終わり”ではなく、“始まり”の合図だったことに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る