第31話 開始の合図

 鉄の扉が開く。 目の前に広がるのは、光の少ない地下闘技場。 群衆のざわめきが収束し、空気が凍る。 剛と三影が静かに足を踏み入れる。


 床はわずかに濡れ、照明は低く、中央に立てば影が消える。 そこは“存在そのもの”が試される空間だった。


 剛は構えない。三影もまた、無駄のない立ち姿のまま動かない。


 合図は、ない。


 ただ、空気の圧が変わる。その瞬間が“始まり”だった。


 わずかに三影の足が動く。


 剛は見る。だが、見る前に“何か”が動いている。


 ――これか。


 “先の先”に触れる、その入口。 三影の気配が膨張する前に、剛の中に静かに“それ”が立ち上がる。


 両者の間に、まだ一歩の距離。


 誰も動かない。だが、その沈黙が観客席を飲み込んでいく。


 突如、三影が踏み込む。 その動きは速く、しかし奇妙な“無音”をまとっていた。 剛の目が、それを見ずに“受ける”。


 身体が勝手に流す。軌道を逸らす。 剛の手は上がってすらいなかった。


 ――受けた? いや、そこに“何も来ていなかった”だけだ。


 観客がどよめく。だが、二人は微動だにせず立ち尽くす。


 再び沈黙。空間が、震えている。


 “先の先”――それは、動くことではない。


 動かずして、空間の支配を取り戻す。


 剛の中に、今まで感じたことのない“輪郭の消失”が起きていた。


 次の瞬間、三影が笑った。 口元だけ、わずかに。


 「……面白い」


 試合は、まだ始まったばかりだった。


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