第21話 問いの稽古
封筒が置かれたままの祠の前で、
剛は静かに火を見つめていた。
封筒に触れることも、言及することもなかった。
青年は、それを三日間見ていた。
最初は気にも留めなかったが、次第に目が行くようになった。
そして、四日目の夕方、とうとう声を出した。
「……行かないんですか?」
剛は応えなかった。
火の中の赤が、わずかにゆらいだ。
「昔、あなたは戦ってたんでしょう?」
「“最強”だったって言われてる」
「どうして、行かないんですか?」
青年の問いには、感情が混ざっていた。
怒りでも失望でもない。
ただ、理解したいという純粋な欲求だった。
剛はようやく立ち上がった。
木刀を手に取ると、無言で祠の前に出る。
構えず、ただ持ったまま立つ。
「……構えろ」
それだけ言った。
青年は驚きながらも、木刀を取り、呼吸を整えて構えた。
いつもと同じ正眼。
だが、今日は空気が違った。
剛の立つ“間”が、いつもより深く、遠く、重い。
「打て」
その言葉に、青年は一歩踏み出す。
しかし――剛は動かない。
それなのに、青年の動きが止まる。
打てない。足が地に縫い付けられたようになる。
「なんで……」
木刀を下ろすと、剛は静かに言った。
「戦う必要がない相手に、構える意味はあるか」
青年は息を詰めた。
言葉の意味がすぐには理解できなかった。
ただ、それが“あの試合の誘い”に対する答えなのだと、身体が先に理解した。
「戦うことは、強さの証明じゃない」
「構えることが、力の誇示でもない」
「ただ、“在る”ということが、それ以上のものになる時がある」
青年は木刀を胸元で握り、ゆっくりと頭を下げた。
問いは解かれていなかった。
だが、答えなくてもわかるという感覚が、確かにあった。
それが、この山で教えられる唯一の“稽古”なのだと。
剛は封筒を取り上げることもなく、そのまま火にくべた。
炎が一瞬だけ高くなり、紙の匂いが煙に変わる。
青年は、その火を見つめながら思った。
この人は、もう“誰かに見せるための強さ”から自由なんだ。
その夜、青年は何も語らなかった。
ただ、剛と同じ姿勢で火の前に座った。
構えず、語らず、ただそこに“在る”ように。
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