第22話 間に触れる瞬間
朝の山は静かだった。
鳥の声も、風の音も、霧の中に溶けていた。
青年は、祠の裏の立ち木の前に立っていた。
木刀は持っていない。構えも取らない。
ただ、“立つ”ということを試みていた。
剛は、少し離れた石の上に腰を下ろしていた。
何も言わず、何も教えず、ただ見ているだけだった。
青年は、自分の足の裏に意識を集中した。
地面の冷たさ、草の湿り、重さと軽さの境界。
背筋を立て、肩を落とし、力を抜く。
それでも最初の数分間、
頭の中では問いが渦巻いていた。
――これでいいのか。
――意味はあるのか。
――“間”って、どうやって感じるのか。
だが、10分ほど経ったとき。
ふと、何かが“外れた”。
風が吹いた。
その風の中に、自分の体が“含まれている”ように感じた。
揺れる葉の動きと、自分の内側の揺らぎが、なぜか一致した。
時間が止まったわけではない。
ただ、時間の流れを意識しなくなっていた。
目を閉じたわけでもないのに、
視界が広がった。
耳をすませたわけでもないのに、
遠くの鳥の羽音が聞こえた。
そして、ほんの一瞬。
自分が、“誰でもない存在”になった気がした。
自分という輪郭が、山の空気に滲んでいく。
立っているはずなのに、浮いているようでもあり、
けれど確かに“ここに在る”という不思議な実感だけがあった。
その瞬間、
剛が静かに立ち上がった。
青年は、剛の気配が変わったのを感じた。
振り返らずともわかった。
「……いま、一瞬だけ、何かが……」
剛は頷かなかった。
ただ、一歩、青年の傍へ歩いてきて言った。
「忘れろ」
その一言に、青年は戸惑った。
だが、剛の顔を見て、意味がわかった気がした。
“それを覚えようとするな。再現しようとするな。”
“それは、意識が触れた瞬間に消えるものだ。”
青年は息を吐き、目を閉じた。
そしてもう一度、何もせずに立った。
今度は、それを“起こす”ためではなく、
ただ、その風の中に“居る”ために。
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