第4話 無言の稽古
その日も、剛は山を登った。
昨日も、その前の日も。
変わらない道、変わらない空気、変わらない沈黙。
だが、確かに何かが変わっていた。
それは景色でも、伝承者でもない。
剛自身の“見る目”だった。
伝承者は何も語らない。
木刀を握り、時に腰を下ろし、薪を割り、火をくべる。
そのどれもが、無駄なく、静かで、
“動き”というよりは“在る”という言葉がふさわしかった。
言葉はない。
指示もない。
教本も、形も、正誤も、褒めも叱責もない。
だが、剛は気づいていた。
すべてが“稽古”だった。
朝の湯を沸かすために、薪を割る。
その手つき一つに、間の取り方がある。
水を汲みに行く足取りに、歩法がある。
祠の前を掃く竹箒の音に、斬撃と同じ緊張がある。
“教える”ということが、
この男には必要ないのだと理解した。
剛は何も聞かず、ただ手伝った。
朝の支度をし、飯を炊き、祠のまわりを整えた。
そして、日が傾く頃、
伝承者は必ず木刀を握り、何も言わずに振った。
剛は、座ってそれを見つめる。
最初は“技”を探した。
今は“気配”を見ていた。
どこで呼吸をし、どこで無になり、どこで風と重なるか。
木刀が風を斬るとき、
風は斬られたことに気づいていない。
それが理想なのだと、剛は思った。
ある日、伝承者が振り終えたあと、剛に木刀を手渡した。
「斬ってみろ」
その言葉は命令でも挑発でもなかった。
ただ、道具を手渡す自然な動作と共にあった。
剛は受け取り、構えた。
が、振れなかった。
何を斬ればいいのか。
斬るべきものなどない。
空を割る意味がわからなかった。
「……斬れません」
そう告げると、伝承者はわずかに頷いた。
「斬る必要がないとき、人は斬れない」
「だが、斬らねばならぬとき、迷いは要らん」
それだけ言うと、再び静寂が戻った。
無言の稽古は続いていた。
言葉で教えられることなど、
この場所には最初からなかった。
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