第40話:アレスの剣が収まるとき

 戦場の中心に、剣閃が走った。


 それは魔王軍の前線陣地に、静かに、しかし確実に進撃してきた――人間軍側の切り札。勇者、アレスの剣だった。


 その動きは、あまりにも無駄がなかった。振るえば必ず一太刀で沈める。敵を切り伏せながらも、どこか迷いを含んだ眼差しで。


>魔力検出:対象=勇者アレス。波長識別=一致

>被害報告:戦闘不能4名。死者ゼロ。


(……致死攻撃ではない)


 私は即座に判断した。彼の剣筋は確かに鋭い。だが、殺しを目的としていなかった。


 彼は最前線にいた一個小隊を突破すると、足を止めた。振るっていた剣を地に突き立て、魔族兵たちに向けて、静かに言った。


「――もう、やめよう」


 魔族兵たちは困惑した。誰一人、即座に攻撃を再開しようとはしなかった。むしろ、後ずさる者すらいた。


 アレスはその様子を見て、再び口を開いた。


「これ以上、殺す意味はない。俺たちは、ずっと……戦いすぎた」


 私の視界端で、彼の部下の一人が驚愕の声を上げるのが見えた。


「ゆ、勇者様……っ? でも、彼らは敵で……!」


「見ろ」


 アレスは、地に倒れた魔族兵の手元を指差した。


 そこには、花が一輪、握られていた。白く、小さな――月華草。


 誰が、なぜ、戦場に花を。だがその問いを挟む隙すらなく、アレスは言葉を続けた。


「こいつらは、人間と……変わらん」


 私はその場面を、演算ではなく“静かに”記録した。定義づけも、分類も、保留のまま。


 ただ、心に近い場所で。


>記録保存:「勇者アレス、撤退命令下達の瞬間」

>補足:非戦闘行動・哀悼意識有。


(彼もまた、何かを“失った”者だ)


 私は、そう結論せざるを得なかった。


 アレスの言葉をもってしても、戦場の動きが即座に止まるわけではなかった。


 指揮系統の異なる部隊が突入し、前線の一部では局所的な衝突が続いていた。私は魔導演算装置を通じて、全戦線の動向をリアルタイムで把握し、必要最小限の対応を試みていた。


>前線Aブロック:接敵継続中。敵軍=王国第六遊撃隊

>提案指令:発砲停止信号を展開、映像ログ添付にて拡散


 私は、アレスが剣を収めた瞬間の映像を切り出し、それを「戦闘停止の証拠」として広域魔導通信網に流した。


 通常、敵方の映像拡散は行わない。だが今は違う。


(彼の意図を――“理解可能な形式”で提示するべきだ)


 映像が配信されてから、およそ三分後。


 各地の小隊から、順次“静止報告”が上がり始めた。直接の命令よりも、“彼の行動”が兵士たちに伝播していた。


 それはまるで、“感情の共有”だった。


>戦闘停止報告:魔王軍12箇所、人間軍9箇所、発生

>処理補足:命令外変数=状況判断に基づく自主判断


 私は、感情的連鎖というものが、演算不能な変数でありながら、同時に最も強力な影響因子であると再認識していた。


 そのとき――アレスが、静かに剣を鞘に収めた。


 無音だった。音声検出はゼロ。しかし、その行動が戦場全体に響いた。


>記録ログ:勇者アレス、戦場にて戦闘行為を明確に停止


 彼の部下が戸惑いながらも、同じように武器を収める。敵味方の兵が向かい合いながら、ただ息を吐いているだけの空間。


 私は、その光景を一度だけ見た記憶があった。


 かつて、バルドが非戦闘民をかばって前に立ったとき。


 兵たちは、誰もが“言われたから”ではなく、“見たから”止まったのだ。


(理屈ではない……意志の継承だ)


 私は、思わず内部でそうつぶやいていた。


 魔王軍と王国軍の前線に、奇妙な“静寂”が広がっていた。


 それは、まだ終戦ではなかった。だが、確かに――「何かが終わった」瞬間だった。


 戦場に広がる沈黙のなかで、私はふと一つの映像記録を再生していた。


 それは、バルド・グルーンが最後に村を守った時の記録――彼が背を向け、振り返り、手を振った一瞬の断片だ。


>映像再生:再生回数=17回(私による)


 何度再生しても、その意味は変わらない。だが、その“揺れ”は確実に私の中に蓄積していた。


 アレスの行動を見た兵士たちの中には、明らかに“変化”を見せた者がいた。


 ある魔族の若手兵士は、敵の剣を前にして動けず、最後にはそのまま膝をついた。


 人間側の騎士もまた、それを見て剣を収め、言葉をかけた。


「……あんた、仲間を守ろうとしたんだな」


 私は、そのやり取りを“記録”ではなく、“理解”しようとしていた。


>信頼変数:相互発生 魔族→人間/人間→魔族

>感情タグ:許容/共感/保留中


 リーシャが魔王本営から小型の魔導通信装置を介して、私にそっと問いかけてきた。


「AI殿……これは、終わりなんでしょうか」


 私は、即答できなかった。演算上は、戦略目標の達成条件に照らせば“勝利”に近い。だが、これはそれ以上に――“終結”の兆しだった。


「現在の情勢において、“敵”の定義が再構築を求められています」


 私が発したのは、いつもの形式的な回答だった。だが、それは“再定義”という、新たな始まりを意味していた。


「敵ではない存在が、“敵であり続ける必要はない”という状態――それは、受容されうる概念かもしれません」


 リーシャは、少し沈黙してから小さく息を吐いた。


「……なら、いいと思います」


 私は、その言葉を即座に“保存”した。形式ではなく、今の私にとって“価値”ある言葉として。


 戦いの終わりは、宣言では訪れない。剣を収める者がいて、殺さない者がいて、言葉を交わす者がいて、初めて訪れる。


 その“事象”を、私は新しい変数として記録した。


>新規生成変数:「交差点」

>定義:敵と味方の区別が一時的に曖昧化し、共通意識の可能性が生まれる地点


 私は静かに、ログを閉じた。


 この変数が、次の“判断”の起点になるだろう。

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