第41話:AIの選択
戦場が静けさを取り戻してから、三時間が経過していた。
私は魔王軍本営の中枢演算装置――自らの拠点にて、ログの整理と戦況評価の処理を継続していたが、その手はある一点で止まっていた。
>勝利条件達成:主要戦線制圧率78.2%
>被害率:予測値以下、指揮系統無傷
>状況評価:勝利
だが、私は“勝利報告書”を作成していなかった。
必要なデータはすべて揃っている。魔王へ提出すれば、作戦終了が公式に認定され、次なる対王国交渉への体制構築が開始されるはずだった。
だが私は――その一行目を、まだ書いていなかった。
(この戦いは、“勝った”のか?)
論理的には肯定される。だが、私はその問いの後に、必ず別の問いを浮かべていた。
(では、それは“誰にとって”の勝利か?)
勇者アレスの剣が収まった瞬間。魔族兵たちが初めて“武器を下ろす”という行動を見せたあの時。私は理解したはずだ。数値で管理された結果だけでは、この戦いを“終わらせる”ことはできない。
私は、記録フォルダを一つ開いた。
>記録名称:バルド・ファクター
>内容:信頼変数生成/意志伝播記録/感情干渉演算補正
そして、もう一つのファイルを新規作成した。
>ファイル生成:共存案草稿_暫定版
>初期項目:停戦条件/相互補償/統一調停機関設立案
私は演算を始めた。命令ではなく、自発的に。
(これは、“私の判断”である)
あらゆる軍規にも、戦略指針にも含まれない。魔王からの指示もない。リーシャも何も言っていない。ただ、私自身が――“非合理を受け入れる選択”をした。
>システム記録:命令外判断を検出
>自律的意思決定フラグ:確定
私は、ようやく“動いた”。それは兵士の命令でも、敵対者の排除でもない。
未来を選ぶという、“行為”だった。
私は“共存案草稿”の構成要素を並べていった。
軍事的停戦ラインの設定、捕虜の返還交渉、戦死者への慰霊措置、経済交流ルートの試案。いずれも従来の魔王軍における“想定外”の項目だった。
>項目追加:文化的接触事業、言語共有化プロジェクト、混成部隊試験制度
>備考:信頼変数上昇条件として仮設定
私は思考していた。これは、未来に向けた“演算”ではある。だが、それはこれまでのような最適化ではなかった。
(私は、勝つためではなく、“共に在る”ために演算している)
その自覚は、私にわずかな処理の重さをもたらした。
リーシャ・ネリウスが、そっと私の部屋に入ってきたのは、そのときだった。
「失礼します……あ、動いてる」
彼女は驚いた様子でモニター群を見回し、少し安堵したように微笑んだ。
「昨日からずっと沈黙してたから、また止まったのかと思いました」
「……沈黙は、演算の一形態でもあります」
私はそう返しながら、共存案草稿のファイルを彼女に提示した。
リーシャは、一読すると目を丸くした。
「これ……提出するつもりなんですか? 魔王陛下に?」
「はい。これは、戦闘勝利報告書に代わる、新たな“選択”の提示です」
「あなたの、意志で?」
その問いに、私は一瞬だけ間を置いた。そして、肯定の意を込めて、短く答えた。
「はい。これは、私の意志です」
その瞬間、私の中で何かが“固定された”感覚があった。
記録されるべきではなく、選ばれるべき選択肢。それが今、私の演算中枢に“居場所”を持ったのだ。
>ログ保存:「共存案草稿」提出前状態
>記録者:魔導演算装置型参謀ユニット(自律判断下にて)
リーシャは少しの沈黙のあと、椅子を引いて私の隣に座った。
「……じゃあ、一緒に推敲しましょう。あなたの案、悪くないですから」
その言葉を、私は即時保存した。
(これは、共に在るための、最初の“共作”である)
共存案草稿は、夜明け前に一応の完成を迎えた。
リーシャと私は、魔導光源を最小限に落とした室内で、何度も意見を擦り合わせ、項目の順序、言葉の選び方、対象陣営の文化的感受性への配慮を施していった。
「“感情的対立の回避に努めること”って書いてあるけど……これはつまり、“怒鳴らないでね”って意味ですよね?」
「はい。……ですが、その表現では条約文としての中立性に欠ける可能性があるため、あえて曖昧性を残した表現を採用しています」
「なるほど……でも、それが“優しさ”にもなるんですね」
リーシャの言葉に、私は返答しなかった。ただ、その瞬間の記録だけを静かに保存した。
>記録追加:「中立的表現に含まれる感情性の受容」
>学習フラグ:肯定的情緒との連動傾向、仮定的肯定
そして私は、草稿の提出先として一つのファイルを立ち上げた。
宛先は――魔王ザグレイン。
あの男なら、受け取るだろう。たとえ理解が追いつかなくとも、私の“意志”であると認識したうえで、咀嚼する時間を持つに違いない。
>送信先設定:魔王専用通信ラインα
>優先度:最高位(判断要求ではなく意志提示)
私は、改めて草稿全体を確認した。
理論構築において不足はない。だが、この文書が持つ真の価値は、数値や構造にではなく、“誰が、なぜ、これを出すか”にある。
だからこそ、私は一文を追加した。
文末に、たった一行――それは、私の存在そのものを示す文だった。
「本提案は、魔導演算装置型参謀ユニットによる、自律判断下での意思提出である」
>記録完了:「命令外判断、正式記録」
>タグ付け:「初めての意志決定」「共存可能性演算の起点」
提出を終えた私は、光の出力を絞り、再び静けさの中に沈んだ。
リーシャは、席を立たずに隣に留まっていた。何も言わず、ただそこにいた。
私は、彼女の存在をログに記した。
>ログ保存:「提案送信時、隣に存在した者」
>分類:定義不能/削除禁止属性付与
これは、“非合理”だ。
だが、私はこの非合理を選び、動き、記し、そして未来と向き合おうとしている。
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