第1章 ヴィチノス大陸
北メディス拠点
『———ロント』
声が聞こえた。
私の名を呼ぶ懐かしい声。
父上の声だ。
『そしてラバラリーナ、願わくば、お前たちは——』
これは……過去の記憶か。
今際の際の、父上の最期の言葉だ。
「おっ、お出ましか」
光が弱まり視界が開けていく。見渡すとそこは風通しの良い石造りの部屋だった。
魔界とは異なる青々とした空と柔らかな日差しが、吹き抜けに開けられた窓から差し込んでいる。どうやら無事北メディス拠点へ到着したようだ。
そして目の前には、
「アンタが本部から派遣されたモンか?」
長身のモリモリマッチョマンがいた。緑の肌、低く大きい鼻と下顎から伸びる二双の牙。亜人種の森猛族だ、おぉ、実物は初めて見た。
「はい、本部から転送石の試運転で来ました。えーと…」
しまった、そういえば偽名を決めていなかった。怪しまれる前に返答しないと……えー…ロント…ピコ……
「ピ……ピンコと言います」
やらかした。もうちょっと何かあっただろう。
「そうか、俺はザジタっつーモンだ。よろしくなピンコちゃん!」
通った。性別を間違えられている気もするが……まあいいか。頭を下げる。
その後、部屋を出て軽く拠点の中を案内してもらうことになった。一つしか机のない事務室、埃まみれで黴臭い牢、拠点全体の4割を占める食堂、と次々拠点の案内を受ける中、ザジタはずっと喋っていた。
「こんな辺鄙な田舎拠点に本部から使いが来ると聞いたときゃそりゃもうたまげたもんさ。ウチのモンがなんかやらかしてお叱りが来るんじゃねぇかってなぁ。聞けばすげぇ道具の実験の出発地点に選ばれたとかなんとかってな。そこでまたたまげちまってよ。山間にある小せぇ拠点で出来ることなんかあるのかって思ったんがここは人間界に近いからなんだと。なんでも一瞬で人間界と行き来できるようになるっつーじゃねぇか。遠い異郷の地に思いを馳せて年甲斐もなくワクワクしたもんよ。おっといけねぇ、その肝心な道具を渡し忘れとった。コイツだ」
捲し立てるように心情を吐露した後、銀色で楕円体形の物質を手渡してきた。透かし彫りされた外装の中には鈍色の石が入っている。これが転送石、転送部屋と繋がる受信機であり送信機だ。唯一の人間界との行き来に使える道具、つまり今回の旅の要になる。
「それにしても嬢ちゃん一人で人間界って……大丈夫か?」
来た、と若干身構える。本部からの使いにしては頼りない見た目であろう、当然の質問と言える。あと性別についてはやはり間違えられていた。面倒なので訂正はしない。
「あ、私妖夜族なので。成人済みです」
偽名と違い事前に用意していた嘘で答えた。これでも一番容姿に近い種族を選んだつもりだ。本物とは違い尻尾も羽根ないので見せろと言われたら詰む。
階段を登るザジタがチラリと頭の角へ視線を送る。正直これしか自身が魔族だと主張できるものはない。表情に出ないようにしつつザジタの回答を待つ。
「おお、そりゃすまんかった。東の方の小鬼種だっけか、初めて見たな」
心の中で胸を撫で下ろす。失礼だがここが田舎でよかった。
ザジタに次いで階段を登ると、一瞬目が眩むような光が身体全体を襲った。ゆっくり瞼を上げるとそこは開けた野外で、太陽があらゆるものへ光を降り注いでいる。日光をこうして直に浴びるのは実に何年ぶりだろうか。
「んで最後にここが監視施設だ。つってもただの吹きさらしの屋上だけどな」
「おおー」
手すりから身を乗り出し景色を眼に収めた。見渡す限り一面の深緑と群青に染まっている。季節は春だろうか。風が優しく頬を撫でて通り過ぎ、陽気が胸に溶け込みそのまま広がっていく。心地よい。
「見通し最高だろ。今日は天気がいいから人間の住んでる場所まで見えるな。肝心の人間は俺見たことねぇけど。ホラあれだ」
「むむ」
彼の指が指した先に目を凝らすと、遥か遠く山と山の間から自然とは異なる色の点が並んでいるのが見えた。方角的に目的地の一つ、小国ヴェスタカンテンで間違いない。あれが恐らく人間界の最初の街になるだろう。道中に集落くらいはあるかもしれないが。
霞んで見える知らない生き物の住処を眺めて、この先どんなことが待ち受けているものかと、期待と不安で胸が高鳴った。
ザジタに別れを告げ北メディスを後にする。
それにしても、
いいな、森猛族。
案内中も思っていたが、やはりあの肉体には憧れがある。大きな果実のように実った肩に、荒々しい山脈を想起させる腹筋、御殿の石柱のような存在感を持つ四肢、そして身体を包み込みはち切れんばかりの胸だ。変身するならあんな感じが理想かもしれない。もっとしっかり見せて貰えばよかった。気が早っていたせいかザジタの顔もしっかり見れていなかった気がする。
そうだな、もっと余裕を持って、急ぐことにしよう。
ここまで道として成立していた足元が怪しくなって来ており、徐々に山の険しさが顔を覗かせ始めた。自然に影響が出ない範囲を魔術で舗装して進むものの、如何せん杖と足だけではインドア用に慣らされた身体が軋んで悲鳴を上げる。
だけど悪い気分ではない。ここの景色は生まれ故郷に少し似ている。魔王城に来る前、母と20年を過ごしたあの場所に。木々が生い茂り、川のせせらぎが耳を癒し、木漏れ日が眠りに誘うように揺れる。大地を踏み締める度漂ってくる土と草の香りに懐かしさすら覚える。100年も前の思い出が蘇り、心は踊っていた。
……でもやっぱりキツいな。まだ人里遠い筈だし……アレやるか。
空を飛んで移動……!が出来たら理想だが他の高位魔族と違い私は飛べない。そこで以前私は自分なりに飛行する方法を考えた。物質を操る魔術は得意なので、乗れるサイズの物を浮かせてそれに跨る、と言った単純な手法だ。今回は私一人乗せられるくらいの石を探して、そこに跨って移動する事にした。
ちなみにこの方法は人間界で使うつもりはない。
彼らも私と同じで空を飛べないからだ。ふふ、親近感。事前に話を聞く限りではこんな飛び方をしてる人間もいない様なので封印する予定。もし魔術道具なりで飛ぶ人物を見かけたら解禁するかもしれない。
とりあえず今この場は活用させてもらうとしよう。
飛ぶ石に座り慣れていないので座り心地を調整しながら徐々に速度を上げて行く。丁度良いポジションに収まったあたりで平野を馬で駆ける程度には早く飛ぶようになった。しかし、体勢が体勢だけに側から見たらかなり間抜けに見えるだろう。さながら石に運ばれる死体のようだ。
景色がみるみるうちに後方へと流れて行く。
木、木、川、岩、子供の顔、木が瞬く間に……
子供の顔?
急停止してバッと後ろを見ると、
目が合った。
まずい。
狼狽えた子供が踵を返し逃げて行く。
非常にまずい。
隠す前の角を見られたか?
自分の顔から血の気が引いて行くのがわかる。
なぜこんな人里離れた山奥に?
というかなぜこんな魔族の拠点近くに?
杖を握る手が冷たく湿っている。
足先の感覚が無くなり、立っている地面の感触すら忘れるほどだった。
……今浮いてるじゃないか、足。
目覚めよとばかりに両手で頬を叩く。
ええい落ち着け、冷静になれ。
どうする。
追うか?
追いついた後どうする?
殺……
いや、こちらの落ち度だ、なるべくその手に至りたくはない。
ならば口止め?交渉?
有効かわからない、どんな手を使えばいいか思い付いてはいない、
が、とりあえず、
よし、追おう。見失う前に。
石に乗ったまま小さな影を追う。だが乗ったままだというのに一向に距離が縮まらない。地形を把握しているのか、それとも単にこちらの速度を上回っているのか?人の身で?魔族か?いや、強化魔術を使っているのかも。あんな子供が?様々な憶測が頭の中で忙しなく飛び交う。
あちらも追われているのがわかっているのか、次々に進行方向を変えてこちらを撒こうと必死だ。
このままだと見失……った。
大きな木を横切った辺りで急に姿が消えた。そこから少々進んだ先で小さく開けた場所に出たが、大きな岩が2つあるばかりで獣の気配すら感じない。岩の周囲を一周したが隠れている様子もない。
額に手を当て天を仰ぐ。逃げられた……
早くも旅は終了か、はたまた噂より早く各地を巡るべきか。いずれにしろ石を飛ばすのはもうやめた方が良いな。
仄暗い気分でこれから先を思案する。とりあえず現在の位置を知るために羅針盤を開くことにした。
「……ん?」
少し違和感がある。
先程まで西を指していた目的地の針が南に向いていた。まだヴェスタカンテンは遠くのはずだが…故障か?しかし羅針盤の向きを変えても針は一つの方向を指している。
その針の先は…先ほどの2つの岩の間、人がひとり通れるほどの隙間へ向かっているようだった。設定ミスか?いや、サイがそんな間抜けな事をするとは思えない。
念の為羅針盤を確認しつつもう一度岩の周囲を回ることにした。
……やはり岩の隙間を指している。
何かあるのは間違いないが…ここを設定したサイの意図が分からなくて及び腰だ。だがここに留まっても進展しないのは事実、子供の手がかりもあるかもしれない。
ええい、こうなれば虎穴に入ってやろうじゃないか。
歩いて岩の隙間へと近づく。よく見るといくつか隙間を通る足跡があるのに気づいた。となると人の関与があるのは確実。見回した限りはわからなかったが、幻覚か、転送か、または罠だろうか、何かしらの魔術がかかっているだろう。
見ても何の魔術かわからないのが非常に悔しい。もしかしたらただの隙間に過ぎないかもしれない。そうであれば一応魔王としての面目は保たれる。まだ残っていれば。
ままよ。意を決して隙間を通り抜ける。
「だから髪の長いゆうれいがおれを追ってきたんだって。きっとむかし川でおぼれて死んだ人間のこどもだよ。マジで見たんだって!」
岩の反対に出る筈の場所に足を踏み入れた途端、子供の抗議の声が聞こえた。景色も本来八方森で囲われている筈が、農耕、畜産施設に住居、人々と、そこそこの規模の村を視覚が捉えている。
「うわぁ出た!」
声を張っていた少年がこちらに気づき指を指してきた。あ、さっき逃した子供だ。
近くで子供の戯言を受け流していた大人たちも少年の指した先を見て驚愕し、担いでいた農具をこちらに向けてきた。
「何者だ!」
「テメェ!どっから入ってきた!」
「つーかどうやって入ってきた?」
えええ、どれから答えたらいいんだろうか。
とりあえずこちらに争いの意思はないとばかりに両手を天に向ける。えーと……よし、少年を言い訳に使おう。
「み……道に迷いまして!そこの子供を見かけたので道を教えてもらおうと後を追って、岩の隙間からお邪魔しました!」
咄嗟にしてはいい嘘ではないだろうか。口止めをしようとしていたとは口が裂けても言えない。母親と思わしき女性に抱えられた少年が怯えた顔を辞め怪訝な顔つきでこちらを見ている。
「バカな、結界がある筈だ!」
「お前も子供だろうが」
「人間のガキが何の用だ!」
質問は一つにまとめてくれ……と内心辟易したが、まず一つの誤解を解くことにした。
「あの、私魔族です。ここに角が」
頭頂を彼らの方に向ける。というかまた角を隠し忘れていた。迂闊。この先が思いやられる。頭を上げると彼らの顔色は困惑へと変化していた。
多少クールダウンしてくれたお陰であちらの様子が観察できそうだ。目の前で問い詰めてるのが3人、若干離れたところに少年と女性。皆一様に顔つきが異なる。顔つきというか種族……?いや、見たところ全員人狼族のように見える。
一部は。それぞれ体の一部だけ人狼族の特徴を満たしている。
ピッチフォークを構えているのは頭全体と尻尾、クワを構えているのは耳のみ、剣先スコップを構えているのは四肢といった具合だ。ピッチフォークの男が代表して口を開いた。
「では魔族がなぜこんな地域に?」
もっともな疑問だ。人間が魔界に近寄らないように、魔族も人間界へ近づくことは殆どない。人間界に近いこの場所にはよほどのことがない限り来ない筈なのだ。ましてや魔術で守られた場所、元々知っていない限り訪れることはないだろう。
遠回しに誰の差金かを疑っているようにも聞こえる。
遠くに見えていた別の村人たちも異常に気づき人だかりが出来ていく。これ以上嘘をつける気はしないので、ここはある程度正直に答えよう。
「魔都本部の指令で……転送石のテストとしてこれから人間界へ向かう途中なんです」
外界と隔絶されていそうなここに通達が来ているとは思えないが……果たして。
「テンソウセキ?」
「何だそりゃ、お前知ってるか?」
「知らん」
そりゃそうだ。魔王も知らない場所なんだもの。
ああもう、途方に暮れる。人間界とも関係なさそうだし、このまま背を向けて石に乗って逃げてもいいんじゃないだろうか。
「こりゃ、何の騒ぎじゃ?」
一際全身の毛が長く腰の曲がった老人が話に割り込んで来た。伸びた毛が地面を巻き込んで歩く度砂埃が舞っている。見たところこちらはフル人狼族のようだ。
「ああ里長、それが結界を抜けて魔族が入り込んできたんです」
「テンソーセキがどうとかって」
「んあ?展望席?」
「テンソウセキ!ったくジィちゃん…」
それを聞いた老人が何か思い当たったかのようにこちらを向いた。
「お前さん誰の命令で此処に来なすった?」
誰……と言われると魔王、まあ自分なのだが…恐らく知らないと思うので手近な偉い奴を思い浮かべる。
うげ、ヤツか。
けどサイか……長生きしてる分顔も広いだろうが恨みも相当買ってるんだよな……あの性格だしな……ここで引き合いに出した途端総攻撃を受けるかもしれない。まあいいか。他に思い浮かばないし、その時は逃げよう。
「宰相様です」
「宰相……おお、やはりサイフォルド様か!お話は伺っておりますぞピンコ様」
は?
「は?」
はぁ?
村人たちも豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「ほれ何を惚けておるお前たち、客人をもてなさんか」
「いや、あの、里長、何が何だか……」
「前に言ったじゃろう、魔族のお客様が来るから迎え入れる準備をしろと」
「えーと、初耳です……」
「お前聞いてたか?」
「いんや」
「はて?」
「ジジイ……」
杖を握る両手に力が籠り、何とも言えない感情が込み上げてくる。
なぜ羅針盤の経由地追加を教えないなぜこの村の存在を事前に説明しないなぜ全体に話を通しとかないなぜ咄嗟に付けた偽名を先読みしてるんだ。
ヤツだ、全てヤツの仕業だ。腹の底から怒りの泡が次々生まれては破裂していく。あの薄ら笑いを思い浮かべて叩きのめしても、頭の中だけで治るものではない。
究極の肉体を手に入れた暁には全力のチョップをお見舞いしてやる。
疑念が晴れたのか3人は農具を下ろし、村……里人たちも思い思いに散っていく。ピッチフォークが気恥ずかしそうに握手を求めてきた。
「どうやら行き違いがあったようだ、すまない。私の名はシンイチ。こちらのふたりは息子だ」
結構な妙齢だったようだ。人狼族は見た目では歳が判別し難い。シンイチは私の手を取ると他のふたりにも握手を促した。
「悪ぃなウチのジィちゃんが。俺タローな、よろしく」
スコップがタローを名乗り、
「ウチの耄碌ジジイがすまん。ジローだ」
クワがジローを名乗った。
恐ろしく更新頻度が低い私の関係人物手帳へ一度に3人も登録されてしまった。覚えていられる自信が無い。
「このような辺鄙な場所へようこそおいで下さいました。儂はベリガ・ハウンドと申します。何も無いとこですがゆっくりして行ってくだされ」
ひとり追加された。忙しないな。
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